【二十五】荒川戦線 其の四


 やけに低く響く破裂音がした。ユジェリはキョウコとは少し間合いを取り、音の方へと視線を巡らす。炎上する林の手前、そこに立っていた男の影が倒れるのが見えた。『虎』だ。やられたのか? ユジェリは舌打ちをする。想定外だ。あのトウマという少年が『虎』を倒すだけの異能力を発現したというのか。それともジュウロウの方か。


 どちらにせよ、状況は一気に悪化した。相手の新しい戦力、異能力が確認出来ていないのが一番不味い。一度撤収して情報収集かにやり直すのが常道だ。だが『マウア』の処分は最優先事項だ。今遂行しなければ、早晩マウアは前世の記憶を思い出し、こちらの計画は露見してしまうだろう。


 ユジェリはキョウコと相対している『氷狼』へと目配せをした。『氷狼』はこくりと頷くと、一気に異能力を発動する。『氷狼』の足元からキョウコへ向けて、疾く地面が凍り付いていく。


「それは前に見てるさかい」

 キョウコ・・・・は空間断裂を、自分を中心に半円条に繰り出す。地面が抉れ、そこで氷結が停止する。が、宙に舞い上がった凍土は細かい破片となって、止まらずキョウコの方へとと飛んでいく。


「面倒おすなあ」


 焼け爛れた両腕で顔面を覆い隠す。破片はさほど大きくない、身体のあちこちに切り傷を作る程度のものだ。しかしその隙にユジェリが動いた。キョウコの能力範囲内から離脱し、一気に林の方へと駆けていく。キョウコが一歩踏み出すが、その前に『氷狼』が立ち塞がる。


 ユジェリは走りながら、右手から藍色の光を溢れさせていた。光は炎へと転じ、ぐるりとユジェリの身体を回る。その先端は二つに裂かれ、まるで蛇の様に鎌首を上げる。


 見えた。木々の間から火に照らされ、寄り添った二人の人影が見える。トウマとジュウロウだ。トウマがユジェリに気づくと、手にした何かを構えた。銃か。ただの銃ではあるまい。纏わり付く蛇の如き炎が、一気に二人に向かって走る。トウマが引き金を引く。


 ——再び破裂音。ユジェリは咄嗟に首を振った。ユジェリの頭のあった空間を何かが貫いていった。トウマの放った銃弾だった。異様に弾速が速かったが、躱した。ユジェリの放った炎が一気に膨れあがる。それは一旦上昇し、そして押し潰す様に二人の頭上へと殺到する。


 しかし。


「オレの留守中に、よくもまあやらかしてくれたな」


 男の声と共に、首刎ねる断頭刃の様な青い炎が天から降ってきた。それはユジェリの放った炎の鎌首を斬り捨て、そしてトウマとジュウロウの前に障壁の如く突き刺さった。ユジェリの放った炎は悉く霧散して消える。・


 ユジェリは立ち止まり、空を見上げた。そこには林の炎に照らされてなお赤いシャツとスニーカーを纏った青年が浮いていた。朱乃条あけのじょうホムラ。本物だった。


 ユジェリはホムラと視線を合わせた。


「遅かったな。結構面白かったぜ、アンタの真似は」

「そうかい」


 ホムラの声は、明らかに怒気を孕んでいた。ぎりぎりと歯ぎしりをしながら、青い炎の刃がユジェリ目掛けて降ってくる。後ろ、右、前とステップを踏んで躱すが、三枚の炎の刃に取り囲まれた。その炎はホムラの感情を写しているのか、青く激しく燃えている。触れてはいないユジェリの肌がちりちりと焼ける。


 ホムラは手に炎の槍を生み出すと、それをユジェリの頭上に落とした。炎刃の壁の中で爆発すがおき、爆煙が空へ向かって吐き出される。


「おらあっ!」


 その爆煙を掻き分けて、無傷のユジェリが宙へと飛び出した。ぐるりと身に纏った二匹の炎蛇が散開し、ユジェリは真っ直ぐホムラへ向かい回し蹴りを仕掛ける。それを足の裏で防ぐホムラ。その接した面がバチバチと火花を散らす。そこへ二匹の炎蛇が左右からホムラに襲いかかる。


 爆炎に包まれるホムラ。ユジェリは宙空で距離を取るが、ふんと鼻で笑う。爆炎は引き裂かれ、無傷のホムラが姿を現す。


「さすがは『十二神将』名乗るだけある。ここで勝負つけようか?」


 ユジェリは歯を剥き、深く息を吐いた。両手を広げると四匹の炎蛇が彼の周囲を回り始める。対してホムラも眉間に皺を寄せ、威嚇する猛獣のごとく低く唸る。


「は。お前、逃がすとでも思ってたのかよ」


 ホムラの両手に炎槍が出現する。その先端には二重の光の輪があり、ゆっくりとしかし急速のその回転速度を増していく。


「撤収です」


 二人が衝突する直前。マリアの声が上から降りてきた。二人が見上げると、そこには黒ドレスの女性がいた。彼女は深い溜息をつき、そして手にした短機関銃をスカートの中へと仕舞う。


「残念ながら時間切れですね。」


 見回せば、周囲を人影が取り囲んでいた。十人、いや二十人か。服装はまちまちだが皆若く、そして光を帯びていた。青、緑、黄といった光の粒子が飛び交う。


「さすがデキステルの本拠地。これだけの執行官がいるとは驚きです」

「やい『幻想』。降伏するっていうんなら、聞かなくもないぜ」


 ホムラが激情を抑え、油断なく炎槍の片方を向けながら告げる。もう一方は無論ユジェリへ向けられている。


「あら? 私を殺したくてうずうずしていらっしゃる様ですけど」

「そりゃオレの偽物で散々遊んでくれたんだからな。どうせお前の仕業だろが」

「あらあら。私はてっきり貴方の恋人を傷つけたからかと思ってましたが」


 ちらりと、マリアの切れ長の目が地上の、キョウコへと注がれる。


「ばっ、誰が恋人だって言うんだよ!」


 ホムラが叫ぶ。その視線が一瞬、マリアのに吊られて地上へと向く。その一瞬だった。マリアの浮いていた場所には、彼女の日傘だけが残っていた。主人を失ってふわふわと地上へと舞い降りていく。ホムラが慌てて見回すが、ユジェリも『氷狼』も、そして『虎』の死体も消えていた。


「くそ、してやられた!」


 ホムラは全身を震わせ、手にした二本の炎槍を力任せに投げ付けようとして、結局だらんと両手を下ろした。炎槍がふわりと消える。ホムラは深く息を吐くと、ゆっくりとキョウコの元へと降りていった。





  —— ※ —— ※ ——





「終わった……のか?」


 地上からその様子を見ていたトウマは、ゆっくりと銃口を下げた。その銃身は震えている。ぺたりと地面に尻餅をつく。


「少なくとも、もう近くにはいないよ」


 能力を使って周囲を観察したジュウロウがそう告げる。トウマは胸をなで下ろすと、地面に座り込んだ。ジュウロウは隠したヒメを連れてくるといって、その場を離れる。


「そうか、終わったんだな」


 トウマのその唇は震えている。寒くは無い。日が落ちてもなお真夏の熱気が、トウマの肌に汗をかかせている。しかしその頬を滴る汗が、一体何による汗なのか。トウマは分からなかった。ただ、ただ一つ言えるのは、心がとても寒かった。







 ——新宮トウマは、今日初めて人を殺した。




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