【二十三】前世の記憶 其の四


 マウアは包帯を巻いていた。マウアに向けて差し出された相手の右手を膝上に置き、手首から肘に向けて巻いていく。途中、傷口に当てたガーゼを器用に巻き入れ、肘下辺りでテープで留める。腕の主は右腕を持ち上げ、動かして程度を確認する。問題無いらしい。にやっと笑うと「ありがとな」と言う。レイリーだった。


 今二人がいるのはマウアのマンションだ。正確には隠れ家セーフティハウスの一つである。白で統一された家電や家具が予め備え付けられた、長期出張者向けのワンルームマンションである。味気ない内装だが、元の部屋とそう変わりは無い。


 マウアが研究所に入った時に買い与えられた一軒家は戸建てだったが、今は整地されて何も残っていない。何ヶ月か前に爆破されたのだ。警察の調査ではガス爆発事故ということで片付けられてしまったが、そんな訳はない。『シニステル』の連中の仕業だ。


 連中の行動は急速に過激化していて、特に研究者を中心にデキステル関係者が襲われている。脅迫などでは済まない。既に死者も出ている。ここは『デキステル』の勢力下、治安の良いと評判の中央都市だというのに、今では気軽に外出も出来ない。隠れ家セーフティハウスも複数用意して、転々とする毎日だ。


 今日も研究所からの帰り道に襲われた。最寄り駅へと続く商店街の雑踏で、すれ違い様に突然刺された。レイリーがその右腕で庇わなければ、たぶんマウアの腹部を貫いていただろう。マウアが尻餅ついている間に、相手は雑踏の中に姿を消していた。レイリーは警察には通報せず、マウアを庇い上げると、タクシーでを呼び止めてすぐにその場を離れた。現状、警察は当てにならない。


 マウアは正直運動神経は良くない。幼い頃は文学少女で、高等学校から理系女子に転進した。運動神経や体力を養うという言葉はマウアに人生には無かったし、求められもしなかった。親が求めていたのはか弱く貞淑な女性だ。それに反発して生きてきたはずだったが、今の自分に体力が無いのは、全く先見の明が無かったととしか言えない。腹が立つ。


「さて、明日はどうしようかな」


 レイリーは部屋の隅に置かれていた大きなバッグを取ると、ベッドの端に座った。


「勿論行くわ」


 マウアは即答する。行き先は研究所だ。マウアが所属しているのは、量子相対性理論に基づく時空間の研究機関である。来たるべく他星系への進出に備えて、超光速航法の実現をその最終目標に掲げている。


 『シニステル』が何故そういった機関を狙うのかは不明だが、妨害されたからといって止める様な性格ではない。元々マウア自身は超光速航法にはさして興味を持っていなかった。研究所に入ったのは親へのささやかな反発が理由だった。しかしこう露骨に妨害されれば、結婚式をご破算にして以来行き場を無くしていた親への反発心が『シニステル』へ向くのは、マウアにとっては道理といえた。今小さなキッチンで湧かしているお湯の如く、である。


「まあ、そうだろうと思った」


 レイリーはバッグの中から黒い箱を取り出した。膝の上で開くと中には拳銃が収まっている。全体的に直線的で、銃把には「XX」のロゴが刻まれている。レイリーが壁に向けて構えると、銃身がスライドして伸びた。火薬式では無い、電磁投射式である。大電力が必要なので、こういう小型の銃火器では珍しい。


 最近はすっかり警護役としての所作が染みついている。それがマウアは悲しかった。レイリーは、今でも名義上はパイロットである。宇宙を飛ぶのがレイリーの夢だったはずなのだ。それをガードマンの真似事をさせているのは、マウア自身の我が儘故だという自覚はある。


 いっそ何もかも投げ出して、どこか辺境のコロニー、木星辺りにでも行ってしまおうかと思うこともある。レイリーなら同意してくれるだろう、という打算もある。でもそういう欲望が首をもたげる度に、マウアの自尊心がそれを切り捨てる。


 そんな軽い人間にはなりたくない。レイリーが風船だとすれば、自分は重しだ。軽ければどこかへ飛んでいってしまう。その重さで風船を地に落とし、雁字搦めにして縛ってしまいたい。地木星の重力の様に。その欲望が、レイリーの自由を奪っている。そこに罪の意識を感じると同時に、どこか充足感を憶えている自分がいる。矛盾だ。


 お湯が湧き上がる。吹き上がる蒸気が甲高い音を立てる。その横にカップを二つ用意していたが、マウアはその前にはいなかった。


「……マウア?」


 自分の上に落ちた影に気づいて、レイリーが視線を上げる。マウアだった。キッチンにいたはずの彼女が、レイリーを見下ろしていた。彼女は無言のままレイリーの上に覆い被さり、そして唇を重ねた。レイリーの手から、ごとりと銃が床に落ちる。







——でも今はただ、その矛盾を貪りたい。







 二人の影は重なったまま、狭い室内に蒸気の甲高い音だけが響いていた。



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