【十六】会食する三人

 ——月が美しく輝く夜だった。東京、池袋。サンシャイン60を中心にビルが建ち並び、その間を縫う様に高速道路、首都高速が伸びていく。車の赤いテールランプが天空の路上を埋め尽くしている。渋滞中だった。首都高池袋線は渋滞の名所である。今夜も地上の一般道の方が滑らかに車が行き交っている。


 池袋の中心部からやや離れた所。緩やかな曲線を描く片側一車線の道路の両脇に、低層のビルが連なっている場所があった。ビルの低層階は商店になっていて、それは三百メートルほど続く商店街を形作っている。あまり大きな店舗は無い。喫茶店やドラッグストア、八百屋など、店種も並びもバラバラである。それでもどこか統一感があるのは、商業地域にしては落ち着いた照明と、往来の多さの割りには静かな雰囲気が漂っているからだろう。


 商店街の道路から車一台分奥まったマンションの一階に、小さな洋食店があった。コンクリートの基礎に、木製の壁と扉が据え付けられている。普段は「今日のオススメ」と書かれた木製の看板が出ていているが、今日は無い。


 大正袴を着た女性が商店街を歩いてきた。周囲から向けられる好奇の視線に全く動ずることない。マンション前を通り過ぎ、五分ほどすると戻ってきた。何事も無かったかの様に洋食店の扉に手を掛ける。


「お待たせした」

「お疲れ様、『氷狼』」


 漆黒のドレスを着た女性が笑顔で出迎えた。店内は狭い。カウンターが数席と、テーブル席が三つほどである。漆黒の女性は一番奥のテーブル席に座っている。『氷狼』はその隣に座した。席自体も狭い。その正面には金髪の男性『虎』が座っている。体格の良い彼の隣よりはマシだった。


 テーブルには既に料理が提供されていた。赤肉。アスパラガスにソースをかけたもの。そして大きめのワイングラスに注がれた赤ワインである。会食は先に始められていた。『虎』の顔が少々赤い。無言で店主がワイングラスを『氷狼』の前に置き、赤ワインを注ぐ。「雷鳥を」と『氷狼』が注文すると、店主はカウンター奥のキッチンへと戻った。店内に他の客はいなかった。


「マリア殿。言われた通り周囲を見てきたが、デキステルの執行官が出てきている様子はなかったぞ」

「ご苦労様。向こうも遠征中で手が足りないのでしょう」


 マリアと呼ばれた漆黒の女性はアスパラガスを自分の取り皿に取り、フォークとナイフで三つに刻んでその桃色の唇へと運ぶ。程良い噛み応えとソースの味が素晴らしい。目を細める。


「向こうの手数が足りてないなら、早めに攻めた方がいいんじゃねえのか? 遠征してる連中が戻ってくると、さすがに分が悪い」


 『虎』はぐいっと赤ワインを飲む。美食家ではないので銘柄には詳しくない。基本店主のお任せである。赤肉は鹿だった。ジビエの肉を食べると、豚や牛の肉が如何に洗練されているかが分かる。鹿肉は荒々しい。だがそれが良い。


「そうなのよね」


 マリアは溜息をつく。


「記憶を取り戻す前にどうにかしたいんだけど、そう何度も向こうに侵入出来ないわ。出来てあと一回かしら」

「スパイ君の情報操作もそれが限界か」


 『虎』は鹿肉を平らげると、キッチンに居る店主に今度は豚肉を注文する。ジビエだけではない。ここは豚肉も絶品なのだ。


 『氷狼』は店主から箸を受けると、箸先で器用に雷鳥の肉をほぐし、食べる。うん臭い。だがこれが癖になる。


「手は打つわ。デキステルの面々には精々頑張ってもらいましょうか」


 マリアは運ばれてきたグラタンをスプーンで掬う。その桃色の唇が品良く笑みを形作った。





  —— ※ —— ※ ——





「ところで」


 小一時間後。会食を終えた三人が店外へと出た。『氷狼』がマリアに声を掛ける。


「我らが総帥は、今何方どちらに?」

「さあ、気紛れなお方だから。でも時が満ちればお見えになるわ」


 マリアは天を見上げる。ビルの間に明るい夜空が見える。照明の明るさで星はほとんど見えない。典型的な都会の夜空だ。ただ月だけが見える。昔に比べれば、随分綺麗になった。


「あのお方が、歴史を造るのだから」





 —— ※ —— ※ ——





 天井の照明は落ちている。ジュウロウの自室はマンションの一室である。広さは六畳程度。机とベッドが置かれているので、少し手狭感がある。壁面には青いサッカーユニフォームが画鋲で貼られている。南側はベランダで、遠くに副都心の明かりが見える。


 ジュウロウは机に突っ伏している。先程まで自習をしていたのか、突っ伏した腕の下にはノートと参考書が広げてある。シャープペンシルは机の上をころころと転がり、そして床に落ちた。音はしない。絨毯敷きだった。


「う…ううっ…」


 ジュウロウはシャープペンシルを拾おうとはしなかった。机に顔を落としたまま、時折呻き声を発している。自室のドアの隙間から明かりが漏れている。その先はリビングである。人の気配はするが、ジュウロウの様子に気がついた気配は無い。しかし。家族が気がついたとしても、多分何も出来なかっただろう。


 ふわりと。ジュウロウの足元から黄色い粒子が、蛍のように舞い上がる。転生能力者にしか見えない光。それが吹き上がる。


「くっ…」


 ジュウロウは腕の隙間からその光を見た。眉間に皺を寄せ、苦しそうに呻く。ぎゅっと拳を握り締め、全身に力を込める。すると光の粒子はすっと消えていく。名残惜しそうに幾つかの粒子が舞っていたが、それも消える。


 深い溜息をつく。全身に力は込めたまま、落ち着かせるかの様に深く息を吸い、吐く。落ち着いても、ジュウロウは突っ伏したままだった。光の粒子はまるで発作の様に、何度も吹き出てくるからだ。その度に力を込め、強引に押し込める。


 ジュウロウがその疲労から気を失うように就寝したのは、時計の針が十二時を回ってのことだった。


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