【九】敵の名は

 教室の扉を開放され、廊下には生徒たちで溢れかえっている。登校日なので鞄は軽い。様々な色の学生鞄を下げている生徒たちの中に、ちらほらとスポーツバックが混じっている。運動部の生徒たちだ。これから部活動なのだろう。テニスラケットの柄が出たバックを提げ、二人の女子生徒が仲良く小走りで駆けていく。途中、ジュウロウを追い越していく。女子生徒たちの「またねー」という挨拶に、ジュウロウは少し強張った表情で挨拶を返す。


 読書感想文の課題は、何故か途中で中止になった。白髭を蓄えた担任教師は、教師用のスマホに送られてきたメッセージを眼鏡を動かしながら確認すると、特に説明も無く「帰ってよし」と宣言した。歓声を上げる生徒たち。他のクラスも同様だった。校舎内はあっという間に開放感と生徒たちの雑踏で溢れかえった。


 ジュウロウは三組の教室の前まで来ると、ひょいと開放された扉から教室の中を見回した。生徒は数名しか残っていない。いつものように席の最後尾、窓際に視線を走らせるがそこには誰もいない。ただ、席の主の鞄は机の横に吊り下がっている。トウマとヒメ、まだ校内にはいるらしい。どこへ行ったのか。


 廊下へ戻るとジュウロウは一息ついた。静かに目を閉じ、集中する。するとふわりと、黄色い光の粒子がジュウロウを包み込むように舞い上がった。廊下には、まだ生徒たちが行き来している。しかし皆、何事も無いかの様にジュウロウの横を通り過ぎていく。


 瞼を開く。その虹彩は微かに輝いている。ジュウロウは一旦顔を上げ、そしてゆっくりと顎を下げる。その視線は床に遮られている。しかしその先がまるで見えているかのように、遠くの廊下の端から足元へと視線を動かしていく。


「校長室か」


 ジュウロウがぼそりと呟くと、光の粒子は霧散した。虹彩の輝きも消える。立ち止まったままのジュウロウに、今度は同じクラスの男子生徒が「どうしたんだ、こんなところで?」と声を掛けてきた。


「なんでもないよ」


 柔らかい微笑みでそう返すと、ジュウロウは下の階へ向けて歩き始めた。





  —— ※ —— ※ ——





 転生と言われて、トウマは努めて無表情を保とうとした。勿論心当たりがある。あの前世の記憶らしき夢だ。前世、それはつまり転生してるってことだ。そしてあの光の粒子。この赤い男もあの光の粒子を出した。そして何よりもそれが見える・・・。前世の記憶、光の粒子、異能力。これらには何か関係がある。


 しかし、この男を信用して良いのか。トウマは迷っていた。正直見た目がチンピラである。もし街中で出会っていたら、視線を合わせない様にして極力間合いを開けて速やかに遠ざかる。そういうタイプである。


「なにかご存じなんですか!」


 ヒメの食いつき気味な声が上がる。トウマの無表情の顔が崩れる。ヒメにとっては確かに恩人だからな。でもトウマは、ヒメのその人を信用しすぎる性格がちょっと心配である。基本詐欺はまず相手の信用を得ることところから始めるのだ。素直すぎる。


「ヒメちゃん、最近よく夢を見ないかい? 夢にしちゃあかなりハッキリしていて、見る度にパズルのピースがはままっていく様に続いていく」

「はい。確かにそういう夢、見ます」


 ホムラの問いにヒメは素直に答える。トウマの心拍がどきりと少し上がる。ヒメも、前世の夢を見ている! まさかそれは……。


「それはヒメちゃんの前世の記憶さ。どんな内容?」

「えっと、見る度に順番とか場所とかちぐはぐなんですけど」

「ざっくりでいいさ」

「いつも夜なんですけど……どこか広い山の上の研究所で、良く分からない乗り物の研究をしてていました。研究の内容は難しくって全然分からないんですけど……あ、『シニステル』っていう言葉だけは読めました」

「ヒメちゃんの前世での名前は、分かる?」

「『マウア』です」


 マウア。トウマは、気がつけばヒメの前に飛び出ていた。その細い肩を両手で掴み、そこまでして掛ける言葉が全く思いつかないことに気がついた。


「う…あ」


 言葉が出てこない。トウマは動揺していた。こんなにも胸の中が掻き乱されるとは、思ってもしなかった。今どんな顔をしているんだろう。きっと凄いみっともない顔をしているに違いない。


 ヒメは両肩を掴まれて驚いている。ぽかんと桜色の唇が開き、しかしきゅっと閉じられてから、ゆっくりと呟いた。それはトウマにとっては、二人の声が重なって聞こえた。


「『レイリー』?」





  —— ※ —— ※ ——





「なんだ、これ?」


 寝そべるようにソファに深く座っていた都成となりキョウコは、ぼそりと呟いた。窓の方を見ると、二人の学生が抱き合っている。お互いの手が背に回っていて、その服に深く皺が寄っている。どうやら劇的に再会の様だが、キョウコにはさっぱり興味がない。


「なあホムラ、結局どうなったんだ?」

「ビンゴ。こいつらが『マウア』で『レイリー』だ」


 二人を遠巻きに見つめながら、ホムラが口角を上げる。どうやら感動の再会を邪魔する気はないらしい。キョウコは溜息をつき、もぞもぞとズボンの後ろのポケットからスマホを取り出す。


「そっか。じゃあ統括官ケレブルムに連絡いれるで」

「ああ、ついでに迎えも寄越してくれや」

「そんなん、アタシが『跳躍』したるで、その為の輜重官パッスやし」

「それは助かるな」


 しばらくして、ようやく二人が離れた。トウマはごほんと咳払いをし、ヒメは俯いていたまま、しずしずとホムラたちの方へと向き直った。トウマもヒメも耳まで赤くしている。


「感動の再会だったみたいで、何よりだ」

「ど、どうも」


 嫌味気の感じられないカラッとした笑顔を見せるホムラに、トウマは少し頭を下げてみせる。意外とイイ奴なのかも知れない。見た目はアレだが。


「でも、この前世の記憶っていうのは、何なんだ?」

 改めてトウマが聞く。前世、転生。つまり輪廻転生というヤツか。死んでもその魂は新しい生命に宿って続いていく。てっきりオカルトか物語の中の話かと思っていたが、こうやって見せつけられては信じるしかない。


「その辺りは今も調査中さ。前世の記憶はちぐはぐに蘇るからな。そうだろ?」

「それは、そうだな」

「今分かっていることは、前世の記憶を持って転生してるのはごく一部の人間だけであることと、そいつらは異能力を持っていること。だからオレらは自分たちのことを転生能力者・・・・・と呼んでる」

「異能力?」


 ヒメは怪訝そうな顔をする。


「どうやらヒメちゃんはまだ発現してないようだな。トウマは」

「ささやかなモノだけどね」


 トウマは肩をすくめる。物を引き寄せるだけの能力だからな。もしこの世界がバトル物の物語だったら、どう頑張っても活躍は出来そうにない。三下以下である。


「ああ、そういえば」


 ホムラは、今思い出したといった表情を浮かべた。


「もう一つ、分かっている大切なことがあったわ」

「大切なこと?」


 トウマがそう聞き返した時、唐突に視界が白く染まった。一瞬だった。校長室の中の空気が一気に灼熱の熱気として膨張し、窓枠とその反対側のドアを吹き飛ばした。木片やトロフィーの残骸が吹き出されていき、その激しい熱風によって机とソファがずり動く。何かが校長室の中で爆発した。そうとしか思えなかった。


 トウマとヒメは壁に叩きつけられる。キョウコは辛うじてソファにしがみつき、しかしホムラだけが校長室であった空間の中央に屹立していた。


「なッ」


 トウマは見えていた。校長室が吹き飛ぶ直前、窓から何か細長い杭のような物が弾丸の様な速さで入ってきた。その杭を、ホムラの全身から舞い上がった光の粒子、そこから転じた炎が叩き上げる様に舐め、消失させた。校長室を吹き飛ばしたのはその余波であった。


「オレらの敵は——」


 ホムラが鉄筋だけを残して消失した壁の外を見つめる。外にはサッカーコートがあり、そのセンターライン上には誰かが立っている。一見して分かる。生徒では無い。


「『シニステル』だぜ」


 ホムラはセンターライン上の人物と目が合い、笑った。センターライン上の人物の、左右の青いメッシュを入った金髪が揺れる。それは『ティーガー』と呼ばれた男であった。


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