【七】蛍の如き群れ飛ぶ光

 トウマは目を覚ました。一瞬どこに居るかの失念する。黒板、窓の外に見えるサッカーコート、そして涎の垂れた机。そこまで見てトウマはようやく思い出す。学校の教室。その自分の席で、どうやら居眠りをしていたのだ。


 トウマのクラスは二年三組。席は一番後ろの一番窓際だ。周りを見回すが、皆雑談やらスマホ弄りやらに興じている。だんだんと記憶が戻ってくる。そうだった。朝礼が終わった後、担任教師がちょっと待つ様に言って退出したのだった。まだあれから十分と経っていない。


 教室は涼しかった。夏の日射しはトウマの席を焼いていたが、それ以上の冷気が流れてきている。天井には埋込式の空調機が三機あり、ルーバーが前後左右に涼しい風を供給している。さきたま市は地方自治体の中ではかなり裕福な部類に入る。大企業の本社があるからだ。毎年黒字を計上するその優良企業のお陰で法人税バンザイな上、その大企業が教育や芸術分野への理解が深く支援しているという。また市政に対しても協力的というのも大きい。


 この白い校舎も何年か前に建て替えたばかりで、設備はかなり先進的だ。空調は勿論、飲料用の水道は浄水機能付きだし、トレイはウォシュレット実装済だ。


 教室も無線LANは隠れてネットゲームをしていてもラグらないぐらい速いし、机は動かせない代わりに電源コンセントとUSBポートがついている。裕福な私立校なら兎も角、公立学校としてはかなり頑張っている方だろう。なお学生に一番評判が良いのは、学食が安くて美味いことだ。やはりいつの世も士気を維持するのに必要なのはまずは食、である。





  —— ※ —— ※ ——





「あ、起きた」


 トウマの前席、束ねられた黒髪が振り返る。ヒメだった。白い夏服は半袖だが、今は黒いカーディガンを羽織っている。空調の性能が良い分、女子には冷え過ぎるのだろう。教室の女子のそこそこが上から羽織り物をしている。ちなみにジュウロウは別クラス、五組である。


「また夜更かししてゲームでもしてたの?」

「ちょっと世界を救うのに忙しくてな」


 トウマは机の中からスマホをまさぐり出すと、器用にゲームアプリを起動させる。「ナイツ」というタイトルコールが小さく響く。そのままゲームを始めるかと思いきや、何度かタッチ操作をすると電源を落とし、またスマホを机の中に放り込む。ログインボーナスを獲得し忘れていた。微課金者にとっては日々の積み重ねが重要だ。


「サッカー辞めたと思ったら、今度はゲームにハマるなんて」

「いいじゃん。オレは今、サッカーに投じた青春を取り戻しているのだ」

「普通逆じゃないかなー」


 ヒメは苦笑いをする。その手に握られているのは文庫本だった。赤い色の表紙だ。トウマが何気なしにタイトルを見ようと顔を伸ばすと、すっとヒメの手が表紙を隠す。だが大体内容は察している。恐らく恋愛小説だろう。ヒメがSFとかファンタジーとか言うのを聞いた試しが無い。


「そういえば、なんでサッカー辞めたの?」

「んー? 特に理由はないんだけどねー」


 トウマはつい最近サッカー部を辞めた。中学の頃からサッカーを始め、高校では二年になってレギュラーのキーパーとして定着していた。夏の公式戦、インハイの県予選を優勝して全国進出を決めた矢先の退部だった。理由は右腕の調子が悪くセービングが上手く出来ないから、としておいた。トウマは右手を開き、ぎゅっと握る。嘘だった。


「そうやってまた嘘つく」


 ヒメはじっとサッカーコートを見つめながら不平を漏らす。トウマはその横顔を見つめ、右左と視線を泳がせる。ヒメの、少しだけ茶色の入った瞳がトウマの方へと向いた。何か言いたげだった。が、トウマは何も言わなかった。


「おらー、みんな席に着けーッ」


 教室の横開きの扉が開いて、担任教師である中年の男性が入ってきた。その両手には紙袋が握られている。「よいしょ」という掛け声と共に教壇の上に載せられるとガタッと重たい音を立てた。担任教師は二人居る学級委員を教壇へと呼び寄せる。


 ヒメは開きかけた薄い唇を閉じ、前に向き直る。安堵の溜息をつくトウマ。これで誤魔化す言い訳を考える時間が出来た。相手は幼馴染みのヒメである。サッカーの件は前世の記憶の件にも繋がっている。今は、バレたくない。


 トウマは気がつかなかった。そのトウマ足元から、幾つもの蛍の様な光の粒がふわりと浮き上がり、そして霞のように消えたのを。





  —— ※ —— ※ ——





「……ラノベ?」


 トウマは手にした文庫本を見て首を傾げた。担当教師が学級委員に配らせたのは、アニメ調の表紙がついた文庫本、俗に言うライトノベルだった。タイトルは「三角循環定義」。漫画は読むが小説はさっぱり読まないトウマには全く見覚え、聞き覚えが無い。ヒメにも聞いてみるが、彼女も首を振る。どうやら相当マイナーな作品の様だ。


 担当教師によれば、全校生徒にコレを読めということらしい。なんだか良く分からない。学校でわざわざラノベを読ませる? そして読書感想文を書けということらしい。


 国語の授業ならもっと小説らしいものを選ぶんじゃ無いのか。それに今日は登校日で授業は無いはずなのに。生徒から不平不満の声があがるが、二学期の成績に加味すると言われたら黙るしか無い。皆、しぶしぶページを捲り始める。


「なんだかなー」


 仕方が無くトウマも読み始める。どうやら内容はSFの様だ。難しい話は苦手なんだよなと思いつつ、トウマは国語の成績の為に慣れない文字列を追っていく。


 窓の外には白い夏の日射しが照りつけている。それは教室にも注ぐが暑さは空調によって遮断されている。暑い日射しと冷たい空気の間で、トウマは奇妙な浮遊感を感じていた。





  —— ※ —— ※ ——





 暑い。ホムラは鉄柱の上でうなだれていた。視線の先、サッカーコートの二面先には白い校舎がある。四階立て、屋上あり。校舎の窓の向こう側には、席に座っているであろう生徒の姿が見える。窓は全部閉められている。当然だ。全館空調が効いているので、その冷気を逃がすわけもない。広く空いた昇降口にはエアーシャッターが装備されている。贅沢な学校だった。


 ホムラは、サッカーコートの外周を囲うように立てられたネットを張る鉄柱の上に居た。高さは十メートルほどか。勿論人が立つ様には出来ていない。その小さい鉄柱の上に、赤いスニーカーで器用に座り込んでいる。


 暑い。ホムラは校舎の窓を一つずつ順番に見ながら、呻いていた。どうしてオレの任務はこう暑いのが多いのか。「上」は何か勘違いしている。きっと暑いのが好きだと思ってるんだな。全く違う。オレも人並みにクーラーが大好きな都会っ子なのだ。


 ずしりと。ホムラの身体が一段沈む。気がつけばホムラの肩の上に、デニムの半ズボンを穿いた少女がしゃがみ込んでいた。その様はまるでトーテムポールの様だった。


「ぐぎぎ、キョウコ! なんでオレの上に出てくる・・・・ンだよ!」

「だって、ここしか立つ場所無いし。馬鹿みたいに高いトコにいる方が悪いやんか」


 キョウコと呼ばれた少女は、被った野球帽のツバを弄りながらニヤリと笑う。野球帽につけられたマークは関西方面の球団のものだ。でも関西人では無い。


「ぐぬぬ。ちゃんと、取り付けてきたんだろうな?」


 唸りながらホムラが問う。特に重たい訳ではない。少女はかなり小柄で体重も軽かった。ただ密着したお陰で暑さが増した。少女の影の下で、汗が更に滲み出る。


「それはバッチリや。このガッコの四隅に偏向スクリーン設置してるで」

「よし。なら、思い出した・・・・・程度でもハッキリ分かるな」


 ホムラは再び校舎の窓に集中する。一階は職員室その他で教室は少ない。二階は三年生、三階は二年生、四階は一年生の教室となっている。


「そういや、帰ってくるの早かったやないけ」

「ん、そうか?」

出張・・から戻ってくるの、予定じゃ来週じゃなかったけ?」

「ああ、それか。早く終わったんでな」


 ホムラの視線は一階から二階、そして三階へと進んだところで止まった。


「いるん?」

「ああ、少なくとも転生能力者・・・・・はな」


 ホムラはニヤリと笑った。彼の見つめる窓の向こうには、淡い光が揺らめいていた。しかも二人分だ。念の為、急いで他の窓もチェックするが、先程の光は他には見えない。


「それじゃ跳ぶで・・・

「ああ。これでレイリーが見つかればラッキーなんだがな」


 次の瞬間。二人の姿は鉄柱の上から消えていた。

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