28【鬼と蛇】

 朝、学院に向かう馬車の中は沈黙が支配していた。互いに何か言わねばと思っているのだが、お互いに何も言い出せない。

 最初に口を開いたのはマティアスだった。

「申し訳ございません……」

「何がですか?」

 言いたいことはわかるが、アレクシスはあえて気がつかないふりをした。それが心遣いになると思ったからだ。

 それとも問題の大事件かと思い、お嫁に行けないわ、とでもかまそうかと思ったが――。

「私は護衛失格です」

 ――真面目な話であった。

(やはり柔肌目撃事件の話ではないのですね……)

「あの日まで、私はたった一人で夢の中でおりました。誰かが来てくれただけでも、とても心強かったです」

「誰かが……ですか」

 アレクシスはしまったと思った。直接マティアスと言えばよかったのにと後悔した。やって来たのは仮面令嬢も同じだ。誰でも良かったとは思っていなかった。

「もちろんマティアス様が来てくれて、とても心強かったですわ」

「ありがとうございます」

 またしても気まずい沈黙。マティアスはたいした活躍もなく、ただの役立たずを演じただけだったのだ。嫌味に聞こえなくもない。

「これでは殿下に顔向けできません……」

「!!!」


 そして馬車は学院に到着した。マティアスが先に下車し反対に回って扉を開ける。アレクシスは手を借りて正門前に降り立つ。

 高級貴族の馬車が次々に到着していた。心機一転、通常どおりの学院生活が始まる。


  ◆


 授業はつづがなく終り、放課後は友人たちとの楽しい情報交換である。

「あなたたちのおかげよ。お礼を言うわ」

 二人が気をきかせてくれたおかげで、一歩早く対応できたのは間違いない。

「アレクシスは復帰したけれど、話題の令嬢様たちは休んでいる人もいるのよねー」

「エレオノール様が数日休んだけど、今日から復学したみたい。体調がすぐれなかったって噂よ」

 マルギットは少々はしゃぐように、真面目なロニヤは深刻そうに言う。

 復帰したとはいえ、立て続けに有力令嬢たちが休んでいたのだ。それもアレクシスがらみの令嬢ばかりだ。噂にもなろう。

 ヴレットブラード・エレオノール嬢は、部屋にこもって毎夜呪いの夢を仕掛けていた。もうそれは終わったのだ。

「それからフレドリカ様もずいぶん長く休みだったけれど、一緒に復学したのよ。ねえ、アレクシス」

「そう、無事で良かったわ」

 一方ロニヤの興味は噂の真相にあるようだ。フレドリカ嬢は、一時は自殺未遂などの噂が流れていたくらいだ。

 オスカリウス・フレドリカは防御の力を逆に作用させアレクシスの力を封じていた。二人は密接に協力していたのだ。問題はこの二人の力を勝手に増幅させ夢の世界に強力な魔獣を侵入させた第三勢力の存在だ。

「そうしたら今度はデシレア様よ。今日も休みっていうのはねえ……。一体どうしちゃったのかしら?」

 この休みが意外なのは、アレクシスもロニヤに同意するところであった。

「ところであれ以来、王宮には行っているの?」

「いえ。殿下のご予定もあるし、今はお呼び出しを待っている状態です」

「そっか……。婚約決定までは長い時間をかけて決めるから」

「そう! どんどん先に進むなんてないしねー」

 今のアレクシスは婚約者ではあるが、王族のうるさがたから評価を受ける立場だ。いつ破棄の宣言が出てもおかしくはない。なかなかに複雑な展開が続く。

「さて。そろそろ帰りましょうか」

「新しい話題ネタがあったら教えてね」

「分かったわ」

 アレクシスは笑顔で返す。二人は王宮情報に興味津々なのだ。


  ◆


 帰りがけの廊下では、厄災の原因が前からやって来た。協力関係にある家の貴族令嬢たちを数人従えている。

 翡翠色の髪に感情を見せない悪夢の精霊。噂のヴレットブラード・エレオノール嬢だった。立ち止まり、すました顔でこちらを見つめる。

「何かご用ですか?」

「お話があります。ご一緒いただけますか?」

 マルギットとロニヤの二人は不安そうに顔を見合わせる。

「大丈夫よ。今日はもう帰って。また明日」

「うん」

「分かった」

「こちらも一人で行くわ。皆さんもどうかお帰り下さい」

 エレオノール嬢の取り巻きたちも解散した。悪夢の続きでもあるまいに。これは竜と虎の続きだ。次は鬼が出るか蛇が出るのか。

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