12【出会いの追憶】

 それは幼い頃の思い出だ。アレクシスがまだ七歳を少しばかり越えた頃の話。

 リンドブロム家は王都にわずかばかりの土地と屋敷を購入した。王都ヘイデンヴェルムに進出する念願の足掛かりであった。

 小等学校の夏休み、一家はこの屋敷で過ごしていた。地方で野山を駆けまわっていたおてんばアレクは、庭に立つこの木がお気に入りで両親の目を盗んでは登っていた。

 そんなアレクを横目で見ながら、屋敷の前を通り過ぎる少年と目が合った。

 羨ましそうにこちらを見ていると感じたアレクは、思いっきり自慢げな笑顔を返したのだ。

 種明かしがあった。アレクシスは魔力に恵まれ、木登りへの応用も会得していた。

 それは魔力が、暴走や感情の爆発に連動しないためのしつけ・・・であったのだが、器用なアレクは遊びに使用していた。


 数日後の朝、いつものように庭に出るとすすり泣く子供の声が聞こえた。アレクシスはキョロキョロと庭中を探して、その声が上から聞こえると突き止めた。男の子が木の上で枝にしがみつきながら泣いていたのだ。

 先日アレクシスが到達した、高い場所であった。

「どうしたのー?」

「下りられないよ……」

 ベソをかきながら、その少年は訴えた。

「下から見ると高くないよー」

「高いよ……」

「ゆっくの下りてきてー。落ちたら私が受け止めるからー。男の子でしょー」

「うん……」

 その少年は慎重に枝に足をかけて、必死にしがみつき、アレクシスの言ったとおりにゆっくりと下りてきた。

「あっ!」

「きゃあっ!」

 最後の枝にかけた足が滑って、手をかけるが落ちてしまった少年の背中を、約束どおりにアレクシスは受け止めた。そして尻もちをつく。

「いっ、痛いったあーい……」

「ごめんなさい……」

「大丈夫だから……」

 介抱しようと身を乗り出した少年と、起き上がろうとするアレクシスは、またも軽くぶつかった。そして二人はキスをしてしまう。

 何事かと母が屋敷から出てきた。

 少年の名は、最近隣の屋敷に引っ越してきたカールシュテイン・マティアス。

 それ以来マティアス坊やは、リンドブロム家の屋敷に入り浸るようになったのだ。


 アレクシスは、その時の父の喜びようを覚えていた。

「おいおい、まさか隣にあの・・カールシュテイン将軍一家が越してくるなんてなあ」

「あなた。ただの偶然ですよ」

「お隣さんだけでも、商売は有利になる。いや、家族ぐるみの付き合いだと話を膨らませよう」

「おやめなさいな。すぐにバレますよ」

 その頃、当の将軍は戦地を駆け回っていた。母親とマティアス坊やとの付き合いは、家族ぐるみと言えなくもない。

 アレクシスは王都で初めて友達ができた。


 しかしそのひと夏以来、そのマティアス少年は姿を現さなかった。

「カールシュテイン将軍は遠くに、国境の近くまで行ったんだよ」

「マティ坊やも連れて行くなんてねえ……」

「そう言うな。戦っている父親の背中を見せたいのだ」

「あちらの学校に通わせるそうです。家族はこちらに残るのに一人だけ行くなんて不憫ですよ」

「戦争だ。しかたあるまい」

 せんそう。

 その頃のアレクシスにはよく意味が分からなかった。ただもう会えないのだと思った。

 その日の夜、アレクシスはベッドに潜り込んで一人泣いた。


 その夏以来、その少年はアレクシスにとって、初めての人となったのだ。それは男性となった今でも変わらない。

 しばらくして、お隣さんは引っ越した。以来その屋敷は空き家のままである。


 中等部になった学院の夏休みも、リンドブロム家は王都で過ごした。が隣は空き家のままだった。

 そして相手は自分のことなど忘れてしまったのだと思った。

 また泣いた。

 二回目だった。


 イェムトランド地域の中等部を卒業し、アレクシスは王都に移りヴェルム王立学院に入学した。家の仕事は完全に軌道に乗り、低級と呼ばれてはいたが王都の貴族となった。

 その入学式の日に、私は泣き虫坊やと再会した。

 新入生を迎え入れる式典の列に加わっていたのだ。

 見つめるアレクシスと目が合うが、マティアスは特に反応しなかった。

 当然だ。もう九年もの歳月が流れていたのだ。


 そしてまたまた一人泣く。

 三回目だった。


   ◆


「またここですか。朝食の用意ができましたよ」

「はい、お母様」

 今日も日課が終わった。泣き虫坊やを思い出す儀式だ。

 食事を終わらせて迎えの馬車に乗り込む。


 この記憶はアレクシスの中で何度も反芻はんすうされた。そしてこの木を見るたびに泣きべその少年が心の中に蘇った。

 それはマティアスの今の姿ではない。もはやアレクシスの記憶の中で、泣き虫坊やはあの時の姿のままの存在となっていた。

 そしてまた泣く。もう何度目かは忘れてしまっていた。そんな時だ。アレクシスは王太子から婚約を申し込まれた。


 そして今朝もまた、いつものように木の前に立った。昨夜泣いたのは久しぶりだった。

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