06【フェイの令嬢】

「さて、わたくしは何をしに来たのでしたっけ……」

 フェイダール・カトリーナ嬢は腰に手をあてたまま、天井を仰ぐ。どうやら、何か用があってこの場に出向いたようだ。衝突とはいつも偶発的である。

「危ないところを助けていただいて、ありがとうございます」

 アレクシスはとりあえず礼を言う。確かに助かってはいる。

「いえ、危なくはありませんでしたから。そうそう、お話があります。外に出ましょうか」

 カトリーナ嬢は、用件を思い出したようだ。

「はい」

 アレクシスがシューズボックスを開けると、中に手紙が入っていた。ショートブーツを出して上履きのサンダルを入れる。

「痛っ……」

 ブーツに足を入れると痛みが走った。何かと思って中を見る。

「どうかしましたか?」

「靴にガラス片が入っていました」

 足には小さく血が滲んでいた。

「傷はたいしたことありません」

「それは私が入れました」

「えっ?」

「このような事態は想定できて当然ですわ。あなたの気配りが足りませんでしたね」

「はあ……」

 行為を言い訳するでもなく、アレクシスは逆に説教をされてしまった。どうやらこの様子を見ようとここに来たようである。さきほどの揉め事はたまたま起きた、やはり偶発的な衝突だ。

 幸いと言うべきか――、故意なのだがガラス片は小さく、アレクシスの足を少々傷つけただけである。

「カミソリでしたら大怪我です。注意なさいませ。その手紙は知りませんけど」

 アレクシスは封がされていない手紙を開ける。恋文ではないであろう。

「死ねと書いてあります」

「やれやれ、私に比べたら芸のない嫌がらせですこと……」

「はあ……」

 そして嫌がらせだと動機も認める。

「それは呪いの手紙ですね。特に魔力は感じませんでした。問題はありません。殿下にのぼせている女子生徒が衝動的にやったのでしょう。忘れなさい」

「はい……」

 アレクシスもそう思った。昨夜泣き明かした女子生徒は大勢いるであろう。ヴィクトル殿下は年頃の娘にとって、熱狂的に崇拝される存在だ。

 婚約者候補選びの期間は、婚約決定のショックを和らげる意味を持つ。それが、どこの誰かも分からない泥棒猫・・・がいきなり現われて、突然に夢の想い人を奪っていったのだ。本当に気持ちは分かる。


 複雑な気持ちを隠しつつブーツに履き替えて外に出ると、カトリーナ嬢もあとに続いた。

「今日はありがとうございました」

 先ほどの礼を忘れられたと思ったので、アレクシスはもう一度礼を言う。

「いいの、あんな小物。お礼を言われるほどではないわ」

 そう言って手をヒラヒラとさせた。追い払うような仕草を見せる。

 セッテルンド家は小物でもないのだが、話がややっこしくなるのでアレクシスは突っ込むのは止める。竜や虎にあえて・・・係わる必用もないのだ。

「それでは失礼いたします」

「ちょっと待って!」

「あの……、まだ何か?」

「本題です。思い出しましたわ。貴女あなたはこれから帰りに、ここに立ってこのハンカチを上げなさい」

「は?」

 カトリーナ嬢はハンカチを取り出し高く掲げる謎の行動をとった。アレクシスは何事かと首を傾げる。

「来たわね。見なさい」

 と先を指差す。


 そこには高級令嬢を出待ちする馬車が何台も待機していた。低級令嬢にとっては無縁の世界だ。その中の一台が動き始めている。

(まあ、なんて趣味の……)

「あれは……」

「王家が使う馬車です。貴女あなたのために殿下が差し向けてくれたのですよ」

「えっ?!」

 それは金モールでゴテゴテと装飾された、あまりセンスが良くない豪華一点突破デザインの馬車であった。

「当然です。ただ一人選ばれた婚約者なのですから。はいっ」

 と言ってハンカチを差し出す。

「どっ、どうも……」

「ひどいでしょ? クビにした候補に、貴女あなたを助ける頼み事をするなんてね。でも、ヴィクトルったら、なんで貴女あなたを選んだのかしらね?」

「はあ……」

 カトリーナ嬢は王太子の名前を呼んで親しさを強調する。

「やっぱり胸なのかしら? あの人ったら私の胸がもっと大きければ、なんて言うのよ」

「はあ……」

 今度はあの人と呼び、親しさを強調する。カトリーナ嬢の胸は標準よりも小ぶりであるが、ただ体は細くスタイルは当然良い。

(意外です。こんな感情を、無防備に私に見せるなんて。敵――ではない?)


 やっとハデな馬車がやって来た。操者が扉を開け、アレクシスは乗り込む。

「それでは失礼いたします」

「はい、ごきげんよう」

 さすがに王家の馬車と言うべきか、赤いビロードのシートはフカフカで、室内の装飾は意外と落ち着いていた。


 敵と味方が、ずいぶんと複雑に絡み合う状況のようだ。フェイ一族が単純な敵でないのは、アレクシスの父にとっても朗報である。

 これからどうなってしまうのか? アレクシスは車窓を眺めた。

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