05【初めての戦い】

 翌日、アレクシスは拍子抜けするほど普通の学院生活を送っていた。午前の授業を受けてから、友人たちとレストランで昼食をとる。

「ねえねえ。昨夜は夢でも見ていたのかしら?」

 マルギットは周囲を見回す。それはいつもと同じ風景であった。平穏無事すぎて、かえって不気味なくらいだ。

「でもないわよ~」

 ロニヤの視線の先はレストランの出入り口に向いていた。そこには数人の女子生徒がたむろしている。中心にいるのは元婚約者候補の一人だ。

 他の生徒たちはこちらへの視線をそらしてから、額を寄せ合ってささやき合う。アレクシスの件が話題となっているのだろう。

 噂は深く静かに、学院中に広がりつつあった。


   ◆


「ごめんねー。こんな時だから一緒にいてあげたいけど……」

「いいのよ、大丈夫」

「やっぱり心配よ~」

「平気よ。あとは屋敷に帰るだけだし」

 マルギットとロニヤは今日、課外の活動を抱えている。放課後の教室でアレクシスは親友たちと分かれ帰宅の途についた。廊下ですれ違う生徒たちに注目されるのは、気のせいではないだろう。それは王太子の婚約者なのだから当然だとも言えた。


 厄災とは突然やって来るものだ。エントランスでアレクシスは女子生徒たちに取り囲まれる。平穏無事が急転直下、令嬢の闘技場へと変貌した。

「わたくしに何か御用ですか?」

「おおありよ!」

 取り巻きを割って現われたのは、あの時両拳をわなわなと握りしめ、怒りに顔を歪めていた令嬢である。レストランでもアレクシスを睨んでいた、元婚約者候補のセッテルンド・デシレア嬢だった。

 内に秘めている闘志を自然と身にまとい、堂々とした立ち姿は騎士の貫禄すらある。目の奥をギラリとさせてアレクシスを睨みつけた。

「殿下はなんでこんな低級の小娘を選んだのかしら?」

 そう言って大袈裟に首を左右に振った。

「やっぱりこの大きな胸が気になったのかしらね?」

 取り巻きが示し合わせたようにクスクスと笑った。敵はなかなかに手強い。胸はアレクシスの弱点、コンプレックスだったからだ。

 子供の頃からここが一番に目立つ身体的特徴であった。だから男子からもずいぶん、からかわれたりもしたものだ。

「娼婦も大きな胸が人気らしいわ。だからちょっと興味があった。飽きたらポイって捨てられるわね」

 周囲がドッと湧いた。人の体や生きる為の術を侮辱し笑うその姿に、アレクシスは心底憤った。怒りの感情がこみ上げてくる。

「いったいどのような汚い手を使えば、私たちを差し置いてあなたのような低級が婚約者になれるのかしら? ぜひ教えて頂きたいものね」

 と更に因縁を付けてきた。取り巻きたちは、示し合わせたように同調の声を上げる。自分が聞きたいくらいだとアレクシスは思った。

「私は選ばれた側です。なので訳など知りませんわ。殿下にお聞きになられてはいかがでしょうか?」

「何をぬけぬけと……。あなたの家がどんな手を使った、ってことよ。お金? 土地? 重臣たちに何をばらまいたのかしら?」

 デシレア嬢は頭に血が上っているのか、きわどいことを平気で口走る。自分はやっていると、告白しているのに等しい。

「私の家にそのようなお金や土地はございませんわ。何せ低級ですので……」

「くくっ。この、馬鹿にして……」

 怒りの形相のまま、デシレア嬢は詰め寄る。アレクシスは凛とした立ち姿を崩さないまま穏やかな表情で対峙する。

(私にも背負っているものがあります。低級と呼ばれても令嬢ですから)


「お待ちなさいっ! こんな所でみっともなくてよ!」

 突然の制止に皆が注目する。気が付けばフェイダール・カトリーナ嬢が腕組みをして立っていた。フェイ一族のリーダー格と言われている、フェイダール家の令嬢だ。

「デシレア。あなたは自分が一番強いって思っているようだけど、だからいつまでも小物感が抜けないのよ。いいかげんになさいな」

「口だけはいい加減にしてほしいわね。何ならここでやる?」

「だから小物なのよ……」

 舌戦はしばしの間を置き、アレクシスは他人事のようにこの状況を眺めていた。

(低級の令嬢らしく脇役となってしまいましたわ……)

「ふんっ! カトリーナ……、あなたは悔しくないの? こんな泥棒猫に殿下を横からかっさらわれて!」

「あら? 殿下は猫のエサでは、ございません・・・・・・ことよ――。いいかげん無様はお止めなさいっ!」

「フェイだからって、いい気にならないでっ!」

 デシレア嬢が一歩前に出た。カトリーナ嬢も一歩前に出て迎え撃つ。どちらも引かず、迫力満点の胆力を発揮する。取り巻きはたち青ざめ何も言えない。低級狩りの小競り合い程度が、いきなり竜虎激突の場と化したのだ。

 燃えるような目でカトリーナ嬢を睨む、デシレア嬢の歯ぎしりが聞こえそうだ。

「にゃー……」

「「「……」」」

 突然にそう鳴いたアレクシスに、全員が毒気と勢い、狼狽を抜かれた。そしてまた緊張の静寂が訪れる。


 しばしの沈黙をやぶったのは、カトリーナ嬢であった。

「ぷっ、あは、あはははっ。あなた面白いわね、あはっ」

 そう言って、腹を抱えて笑う。

「デシレア、引きなさい! あなたの・・・・負けよ……」

「フェイが何よ! セッテルンド家に指図しないでほしいわね」

「ふふんっ」

 カトリーナ嬢は、デシレア嬢の啖呵タンカを鼻で笑う。

「あなたは脳天気でいいわね。でもお仲間の中級貴族の皆様はいかがかしら? フェイ一族と戦争したいのなら、受けて立ちますわよ」

 そう言われ取り巻きたちは更に狼狽した。低級貴族の娘が虐められる様を見て、ストレスを解消する程度に考えて来たのだが、気が付けば高級貴族の抗争に巻き込まれてしまいそうなのだ。こんな場所にはいられないと、皆があとずさる。

 デシレアは持ち前の勘で雰囲気を察する。

「ちいっ、行くわよ! カトリーナ、覚えてなさい!」

「さあ、たぶん忘れてしましますわ」

「くっ……」

 捨てゼリフすら封じられたデシレア嬢と取り巻きたちは去って行く。実に父親好みの展開であると、アレクシスは呑気にそんなことを思っていた。

 この場の主役を、王都の一大勢力に完全に奪われてしまったのだ。やはり婚約者候補となっても、アレクシスは脇役であった。

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