不思議やにて

 不思議やにて ―マスターのMerry Christmas―


 今年もまた、小さな小さな祈りの声。

 幼さにも似た、切なる祈り。

 誰かの元へ届くように……。

 あの人の元へと、届くように……。



 かららん……。

 ドアに取り付けられたカウベルの音に、不思議やは棚の奥を探る手を止めた。

「おいでなさい、ルナ」

 ひょい……。

 小柄な身体にふさわしく、軽やかな動きで脚立を降り立ったのは、マリオネットを連想させるピエロ。サテン地のカラフルな衣装。白い顔。笑みを強調する赤い口元。右目に赤い十字の化粧。そして、どんなに微笑んでいても――左目の下には、キラキラ輝く一滴の涙の模様。常には、その屋号そのもので呼ばれる、雑貨商「不思議や」のピエロのマスターである。

「奥へ行って、少し待っていてくれるかい? 少し、探し物をしていてね……」

 肩をすくめてみせるのは、探し物が見つからないか――見つかっても、彼が小柄すぎて手が届かないでいるのかもしれない。

「ルナ?」

 とことことこ……。

 どの道、まだしばらく時間のかかりそうな気配を感じてか――軽やかな足音ともに近寄ったルナは、じっ…――小首を傾げるような仕草で、その上を見上げてみせる。

 さらり……。

 動きに従って、揺れるのは艶やかな黒髪。眉の下と肩の辺りで切り揃えられた、さらさらとした真っ直ぐな髪。少しばかりサイズがあまっても見える、深い紫色の長袍。もちろん、先ほど軽やかな足音を聞かせてくれた足元は、踵の平坦な黒い布製の靴。どうやら、髪質や髪型とも相まって微笑んだなら少女とも見まごうと思われる可愛らしい顔をしたこの色白な少年は、見かけほどにはなよやかではないらしい。

「ルナ?」

 同じように小首を傾げて見せるマスターに、返ってくるのは――しかしながら、笑むでもない、ただ静かな黒曜の眼差し。

「いいのかい?」

 こく。

 ルナの行動の意味に気付いてだろう、再び問いかける道化師には、ルナはひとつはっきりと頷いた。

「じゃぁ、お願いしようかな? この脚立だと、わたしでは手が届かなくて。一番上の棚の奥に、赤いロウソクの収まった箱があるから、それを取ってもらえるかい?」



「ありがとう。そこへ置いて――こちらへきてお茶にしよう」

 赤いロウソクの入った箱は、想像したよりも大きかったが、想像したよりも軽かった。それでも、その箱は消耗品を保存するには非常に立派で――それだけに、そのロウソクが特別なものであろうことがうかがえた。

「ルナ?」

 あまりに箱が立派で、その辺に置いておくに忍びなく思われたのだろう――箱を腕に抱えたまま立ち尽くすルナに、店の奥から顔を出した不思議やの浮かべるのは、はにかみにも似た苦笑。

「ありがとう、ルナ。いいよ。こっちへ持っておいで。そのロウソクのことを教えてあげよう」

 白塗りの化粧のせいで細かな表情までは読みとりにくいものの、それでも描かれた表情のまま――喜びを感じているのだろう声の調子に、ルナはゆっくりとした瞬きで是を返して従った。



 北欧の民家を思わせる不思議やの内装は、冬も深まるこの時期がもっともよく似合って思える。ニスのよく馴染んだ、素材の色そのままの棚は、高さの割りに威圧感を感じさせず――木材の温かみを感じさせる室内に、クリスマスを迎えるための赤い敷き布や緑のリースが非常によく映えて見えた。

「このロウソクはね、確かに売り物でもあるのだけれど……それよりも、毎年この日に、この部屋に飾るためのロウソクなんだよ」

 通されたのは、店にある棚と同様に素材の色そのままの素朴な家具のしつらえられた――掃除のよく行き届いた、それでいて生活の匂いのしない部屋。子供部屋なのかもしれないと思ったのは、窓際のベビーベッドが目に止まったからではあったが、どうやらそういうわけでもないようで――それなりにレイアウトされて配置された家具は、ライティングビュローや鏡台、およそ使用する年齢や性別に統一のないものだった。

 ルナからロウソクの箱を受け取りぎわに、彼のもの問いげな視線に気がついたのだろう、マスターは手をのばすと、自分よりほんの少し長身なルナの頭をなでやる。およそ十代半ばを過ぎた少年にするにはふさわしくない仕草なのだろうが、さほど違和感を覚えないのは、ルナの見せる従順な仕草のせいだろうか? 不思議やから滲み出る過ぎた歳月の気配のせいだろうか?

「これを、あるだけの燭台に立ててもらえるかい?」

 開かれた箱に行儀よく並んだ赤いロウソク。人恋茶屋にある人魚のロウソクとは異なる、クリスマスキャロルにふさわしい、スパイラルの浮き出た洋物のロウソク。あでやかさよりも神聖を感じるのは、やはりその色が本来、聖なる色であるためなのだろうか?

 それほど広くもない部屋の中、高い位置へ低い位置へ、燭台は驚くほどたくさんあった。十近くまで数えた辺りで、ルナも早々に数えることを放棄してしまったほどに。そして、燭台よりさらに多く、ベビーベッドの枕元、ライティングビュローの上、鏡台の脇、小物タンスの上、レースのカーテンのかかる出窓、そしてもちろん、淡い色彩の花模様の壁紙の張られた内壁、室内のいたるところに大小さまざま額に収まった古い写真。子供、大人、女性、男性――しつらえられた家具と同じように、年齢も性別もまちまちの写真たち。

「皆、わたしの大切な人たちだよ。もう、いなくなってしまったけれどね……」

 ルナの疑問を感じ取ったゆえよりは、元から話すつもりだったのだろう、自らも燭台にロウソクを立てやりながら、振り向きもせずに不思議やの声。

 いなくなってしまった――その言葉の意味は、わからないわけはない。この写真の中の人達は、マスターが長い長い生の中で出逢った人々。出会い、そして――生ある者ならば、遅かれ早かれ必ず訪れるだろう避けられない運命によって、別れた人々。幼い命、若い命であっても――それの訪れは、ためらいもなくやってくる。

 手を止めて見つめ返すルナに、マスターの浮かべやるのは、道化の化粧に似合わぬ笑み。彼自身の抱いた悲しみよりも、ルナの心に影を落としたことの方が、今の彼には辛かったのかもしれない。

「悲しむことではないんだよ。わたしもいずれ、また彼らに会うことができるのだから」

 先ほど、ルナの髪を撫でやった手の平と同じ温もりの声は、それでも――それだけに、ルナの優しさを切ながらせてしまったのだろう――いや、それよりも、たとえ不思議やの言葉に間違いはないとしても、それが遠い遠い気も遠くなるほどに遠い未来の希望であることによる、彼のさみしさを感じ取ったのかもしれない、最後の燭台にロウソクを立てやる不思議やの手の甲に添えられたのは、年齢の割に薄く体温の低いルナの手の平。

「ありがとう」

 そえられた手の甲をさらに手の平で包み込んで、道化師はゆっくりと笑みを浮かべてみせた。どこか泣き笑いのように思えたのは、きっと左目の下の化粧のせいだったのだろう。



「とっておきの魔法を……」

 恭しいお辞儀とともに、部屋のランプが消えた。

「失われたものに安息を。辿り着くべき場所へと、辿り着けるように……」

 ぽぅ……。

 道化師の指さす先――赤いロウソクに火がともる。

「残されたものに安息を。喪失は、束の間であるように……」

 ぽぅ……。

 またひとつ、赤いロウソクが灯る。

 ひとつ、またひとつ……次々と灯りを宿してゆくロウソクたち。

 やがて部屋中のすべてのロウソクに火がつくと、それはランプの灯りよりもいっそ明るい。先ほどまではっきりと見取ることのできなかった写真の人々の表情さえも見て取れるほどに。


 かたん……。


 小さな音は、ルナが思わず椅子の背を袖にひっかけてしまったせい。

 ライティングビュローの上、木製の写真立てに飾られた――セピア色の写真。

 写真を撮られることに慣れていないからだろう、気恥ずかしさから来る困惑の笑みを浮かべた人物――。

 長い黒髪。どちらかと言えば痩せているだろうか、モノクロの写真にもわかる日に焼けていない肌。糊とアイロンのよく効いた白いシャツに、医療を生業とするかのような白衣。細い銀縁の眼鏡の奥の黒い瞳は、穏やかさに満ちていて……。

 そして何より、笑みの中の優しさが、ルナのとても身近に知る人によく似ている。

「Dr.マースィ――テラの、おじい様だよ」

 愛おしさのこもる声は、もちろん部屋にいるもうひとりの声。


「そして、わたしの大切な友人――」


 それは、ルナに聞かせるつもりのない独り言だったのかもしれない、小さな小さな声。

「彼は、少しだけ、悲しかった。――だけど」

 不思議やは小さく首を振ったのかもしれない。不思議と、ランプよりも明るいはずのロウソクたちの灯りの中で、マスターの表情は読み取れない。ただ、その分、つづく言葉は、はっきりとルナに聞かせるための声だった。

「彼は、誰よりも優しかったよ」



 かららん……。

 再び鳴るカウベルは、ルナを見送るため。

「急いでお帰り。わたしは、とっておきの魔法を使ってしまったからね」

 手を振る少年に、手を振り返して――彼の姿の見えなくなるころ、見上げた空から零れ落ちるもの。

 ふわり……。

「さぁ、聖なる夜のはじまりだ――」

 ふわふわ……。

 ひらり……。

 舞い降りる、白いもの。

「わたしもまた、祈ろう。君のしたように、皆のために――」

 静かな夜に――。

「失ったもの、残されたもののために――」

 ただ、静かに……。

「君の愛する養い子達のために――」

 そして……。

 誰より優しいがゆえに、誰より倖せだった――だけど、ほんの少しだけ悲しかった。


「君のために――」



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