二 虹のオルガン


 小さな教会に響くオルガンの音。

 荘厳なパイプオルガンでも、近代的な電子オルガンでもない――古いけれども、よく手入れの行き届いた足踏みオルガンの音。

 奏でるのは、聖夜のための曲。

 今夜のために――。

 そして――。



 ぱんぱんぱん……。

 終曲にあわせて、控えめな拍手が響く。

 ひやり……。

 同時に、足元へと滑り込む冷気は、礼拝堂の扉が開いたせいだろう。

「すみません。邪魔をするつもりはなかったのですが……」

「いえ、かまいません。――マスターが、とっておきの魔法を使って下さったようですね」

 視線を上げた先、白衣の上からコートを羽織った長身の肩に薄く積もる雪に気がついて、オルガン越しに窓の外へと視線を移すのは、この小さな教会の主、七色なしき。赤い礼服に白い肩掛け、ロウソクの灯りを反射しながら、彼のかすかな動きにも七色に揺れる長い白銀の髪。年齢の割りに小柄なルナと同じくらいの背格好ではあるが、十代も半ばを過ぎれば成人同様、年功序列が体格に現れるとは言い難い。とはいえ、彼はルナよりほんの少し若いはずである。しかしながら、ルナよりも大人びて見えるのは、長い睫毛に縁取られる、深い深い色をした碧の瞳のせいかもしれない。

「お茶でも入れましょう。キッチンへ行きますか? それとも……」

 テラの肩の雪を払いやりながら――言葉を切ったのは、オルガンを見つめるテラの視線に気付いたから。「虹のオルガン」と呼ばれる、その古い足踏みオルガンは、かつてテラの祖父が名付けたオルガン。

「そうですね。――七色がかまわなければ、もう少し……オルガンを聴かせていただけますか?」



「おみいさんが、こちらへいらしてるんですよ。――しばらく滞在されると思いますので、七色にも知らせておこうと思いまして……」

「みいさんが……?」

 ぱちくり……。

 疑問符とともに、七色は睫毛をしばたいてみせる。さすがに、そうしていると歳相応に見える。

「滞在ということは、もしかすると――と言うことでもあるわけですか?」

「それはないでしょう。おそらく、彼女はわかっているのでしょうから」

 小鳥のように小首を傾げて見せる七色には首を振っておいて、テラは渡されたカップに口をつける。良い香りのするお茶は、ハーブのお茶。ほんのり蜂蜜の香りがするのは、甘味として溶かされたためだろう。

「少しだけ、疲れてらっしゃるようでしたから、休んだ方がいいのだろうと思いまして……」

 そうですね――頷いて、再び七色はオルガンの前に座る。

「マスターは、長い長い時間を生きて――魔法を使うごとに、少しずつ少しずつ小さくなってゆく。そうしていつか、彼は消えてしまうでしょう。――それでも、彼は、小さな小さな微笑みの為に、またひとつ魔法を使う。そう、今夜も――とっておきの魔法を……」

 七色の細い指が鍵盤を押さえる。

 オルガンの背に微かに音をこもらせながら、部屋に響くいくつかの基本の和音。

「悲しみから生まれるものは必ずしも悲しみではなくて……」

 歌うように七色の唇をつく、つぶやき。

「悲しんだぶんだけ――優しくなろうとする……」

 そうですね――先ほどの七色の言葉をつぶやいたのは、テラだった。

 忘れてはいけないこと……。

 自分の生まれた場所――。

「マスターを、あなたを、それから、僕を――僕たちの心を生み出した人を、信じましょう」

 不意に手を止めて――振り返った七色は、歳相応の悪戯じみた笑みを浮かべて見せる。

「テラ、歌いませんか?」

「上手くありませんよ……」

「知ってますけれど――あなたは、声が素敵ですから」

 あからさまな誉め言葉に、苦笑して辞退するテラに、返されるのはやっぱり笑み。

「では、先悦ながら、僕が歌わせていただきましょう」



「やはり、テラは僕以上の心配性ですね」

 それはオルガンの音に紛れてしまって、テラの耳には届かなかったかもしれない。歌の途切れめに、微かな微かな囁きに似たひとりごと。

「でもきっと、大丈夫。僕たちが、生み出されたのだから――」



 小さな教会から響くオルガンの音。

 荘厳なパイプオルガンでも近代的な電子オルガンでもない――古いけれども、よく手入れの行き届いた足踏みオルガンの音。

 奏でられるのは、聖夜のための曲。

 朗々と響くのは、祈りの歌。

 今夜のために――。

 そして、人々の倖せのために――。


 優しくなろうとしているあの人のために……。


 それは――彼の使える小さな魔法……。



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