九つの竜王

大秋

第1話 その竜王、未だ名もあらず。





 おぎゃあというのは人の子が産まれた時であろうが、我が産まれた時にはその鳴き声だけで恐慌をきたした同胞の竜が百程死んだという。我の鳴き声で死んでしまうなど、おいおいという言葉が口を突いて出そうになるが、それでも死なせてしまった事に憐憫の情がわいてしまうのは、種を同じとする身としては仕方のない事であった。


 物心のついた時にそれを聞かされた我は、口をつぐんでやり過ごすことを覚えた。所謂いわゆる、戦闘狂が具現化した存在でもある竜という個体として産まれ落ちて、ことさら争い事を苦手とする我は珍しい種であるのかもしれない。その時にふと気が付いたのは、我の性根が臆病であるという事であった。


 聞及ききおよべば我は竜王種としてこの世に生まれいでた時より、世界を構成する存在として他の竜種と違い特別な役割を与えられたという。随分勝手な話ではあるが、幼竜であった我はそれを聞いても右から左に聞き流すだけであった。


 しかし生まれてより百年程経った後、我は気付くことになる。我の存在は我が想像しているよりも遥かに高次元な世界のことわりとして、強固に固着されてしまっているということに。説明するのも厄介な感覚的な話ではあるのだが、我は理の外側からいつの間にか其れを構成する部品へとなり替わっていた。


 その意味を深く実感するにはさらに時が必要になるのだが、そんな状況に陥っても生来持ち合わせた自堕落な我の性根はここでも弊害をもたらす。其れについて特に思うことも無かったので、我は欠伸あくびをひとつだけして、竜種以外には本質を理解しえぬ世界の理を胸の奥深くに納めることにした。


 さらに時が流れた。今世界には我も含めて九つの竜王が存在して、各大陸を司り、ひいては世界を天秤の力を持って守護しているという。我がなぜそんなことを知っているのかといえば、我が生まれた時より付き従ってくれた、一体の老竜の知識であった。そんな老竜もつい今しがた我の目の前で寿命を全うし死んでしまった。


 亡骸は老竜に一抹の悔いも残さぬ安らかな表情だけを遺すが、人間という恐ろしい生きものが亡骸を狙ってくるので処分をしてくれと、老竜から死の間際に頼まれていた。少しだけ逡巡してみるが、それで我の行動が変わる余地もなく、我は大きく開いた口より生まれ出たほのおで老竜の亡骸を世界より消し去ることにした。竜王を竜王たらしめる力の象徴。有象無象の竜種が持ち得ぬ存在消滅の焔。我が気付いたのは、我は我が思っているよりも強大な力を持っているということであった。


 老竜が死に、我よりも幼かった同胞はらからが巣立ちの時を迎えて三百年。流石に何もする事がないので他の竜王と交流を持ってみたいと思いつつも、自堕落な生活を続けていたせいかそれを行うのも少し怖い。


 それでも意を決して三百年振りに動かした我の翼は、我の本能に従ってなんら錆付くことなく流麗かつ壮大な姿を持って、遥かなる大空に巨大な天蓋をつくる。光を吸い込む漆黒の翼は天空を覆うほどの巨大さを持って大地へと降り注いでいた陽の光を遮る。その瞬間に暴風が巻き起こる。一瞬の出来事ではあったが、我が気が付いた時には千年以上の時を我の揺りかごとして存在していた原始林が、目を向けた先で全て吹き飛んでいた。


 やってしまったという思いが脳内をよぎる。しかしやってしまった事はもう仕様がない。誰に見られているわけでもないが、早くその場から立ち去らねばという強迫観念は、我により強い旅立ちを決意させる。思うままに漫然と行動をしても別に良いのだが、当初の目的通り、我以外に存在している八つの竜王に会いに行こうと考えを纏める。


 どこかで気が変わるかもしれないが、変化のない日常においてはそれもまた一つの刺激になるだろうと、我は再度翼をはためかせた。一瞬で大地が米粒ほどになるくらいの大空の中天へと到達した我であったが、眼下に広がる景色が様々なものを巻き込みながら物凄い音を立てて変形してゆく様がチラリと目に入る。我の寝床であった緑豊かな大陸は、無残なことに地中深くまで陥没し、端から流れ込んだ海水で満たされて青一色に同化してゆく。どうしようもなくいたたまれなくなった我は、すぐにそれから目を逸らした。


 これが俗に言うチラリズムというやつなのだろうか。そんなどうでもいい思考を放棄して、我は巣立ちの時を迎えた。世に出れば竜王と持て囃される存在であろう我であるが、未だに個を選別する名はないらしい。それを特に欲しいとも、思いはしないのだが。




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