《Slot:3》中原ミオの会話

朦朧とする意識の中、目が覚めた。


アスファルトの上、電柱の傍ら。

がま口のやけにサイケデリックな配色の財布があった。


私がそれを拾うと、掌にずっしりとした重みが広がった。

私がぐぐぐと力を込めてがま口の財布を開けると、解放された力がジャラリと中の硬貨を揺らした。


中を覗くと紙幣は無く、目測でも二千円分の硬貨が入っていることが確認できた。


この財布の持ち主は老人か子供であろう。

社会人ががま口財布を開いて小銭をチマチマ取り出す光景など見たことがない。


いや、子供が二千円もの大金を持ち歩くわけも無いので、やはりこれは老人の落としたものであろう。


ふと、ある考えが過った。

持ち主が小銭で二千円もの大金を蓄えているという事実は、大胆な紙幣の利用を意味しているのではないか?


紙幣を大量に抱え込んでいるのが日常であり、ショッピングに行っても、小銭をつまんで会計の帳尻を合わせる時間を発生させるくらいならば、一万円札を出し、溢れ出る大量の端数を適当に詰め込めばよい。

その結果が、この膨れ上がったがま口財布なのである。


きっと私がこの財布から二千円丸々とは言わずとも、硬貨を数枚拝借することは、軽微な罪のはずだ。

四捨五入したら消滅するほど軽微な罪だ。


日差しか、はたまたこのスリルのせいか。

私は額に垂れる汗を、リストバンドの付いた手首で拭った。


「あれ、なにこのダサいリストバンド。外さないと。」


付けた覚えのないリストバンドを鞄に詰め込み、私は再び思案した。






Q.この財布をどうするべきか。






いやいやいや、交番に届けるに決まってるでしょ。

どんなに軽微でも、人のものを盗ったら犯罪!

これ即ち、常識。道徳。


うーん、でもこの財布からほんの二百円だけ拝借して、あの自販機でオレンジジュースを買うことはそんなに悪いことなのかな?

もうそろそろ暑くなってきたし、喉がカラカラになっていた事に今気づいたよ。

今朝から口につけたのは歯磨きの時に誤飲したミント味の水だけだし、この粘ついた唾液と乾燥した喉をオレンジジュースで流し込めたらきっと爽快だよ。


え、オレンジジュース?

確かに好きだけど。今飲めたら最高だろうけども。

やはり私には人の心がある。

それにもし誰かに見られていたら?

学校や警察に通報されたら?

停学とか、それ以上になっちゃうかもよ。

それって私の人生に於いてもかなりのリスクを背負うことになるんじゃない?

そんなリスクを追う様なメリットはオレンジジュースには無いよ!!


リスク、リスクって...じゃあ逆に考えてみるんだ。

今から学校に行って、鉄の味の混じった水道水でも飲む?

今から家に帰って、冷蔵庫のジュースを飲む?

その場合確実に遅刻するわけだけど。

それならさ、今ちょっとだけ硬貨を数枚摘んであの投入口に入れて、オレンジジュースを買った方が良くない?

もちろんコーラだっていいよ?

あの炭酸で喉も頭もリフレッシュ出来たら、きっと午後まで居眠りしないで授業を受けられるよ。

ん?待って。

コーラもいいな。

なんでオレンジジュースに縛られていたんだ。






Q.オレンジジュースとコーラどちらを飲むべきか。






私は断然オレンジジュースだね。

コーラにあの柑橘の甘みと酸味がある?

それに朝からコーラってあまりよくないと思うよ。

授業中にゲップでも出たらどうするの。


いやいや、オレンジジュースにはまず炭酸がないでしょ。

酸味よりも炭酸の刺激の方が、脳内に清涼感と覚醒効果をもたらすんだよ。


でもコーラは最初に刺激があっても、後味がべっとりした甘さで気持ち悪いよね。

それに乾いた喉には刺激が強すぎるよ。

やっぱりオレンジジュースに決まりだね。


うーん...そう言われると、そうかも。






A.オレンジジュースを飲むべきである。






そうだ!やっぱりオレンジジュースを飲むべきだったんだ!


ちょっと何勝手に会議開いてんの!?

今はこの財布をどうするかについて話し合ってたんでしょう?

まず、オレンジジュースは買わないんだってば!


もう、何度言わせればわかるんだ。

この財布はきっと金持ちの落とし物だって。

ちょっと位ネコババしてもバレやしないよ。


でも仮にもしそうだとしたら、ちゃんとした正規の手続きをすれば、そのお金持ちがより多くの謝礼をくれるかもしれないよ?


え、詳しく。


童話でよくある感じだよ。

お金持ちの老人に、紳士に正直に接することで気に入られる感じの。

私は今までそういう話を見てきたはずだよ?


えぇ、うーん。

じゃあ...その方向で。






A.交番に届けるべきである。






私は交番に向かって駆けた。

交番でお巡りさんに高校生なのにネコババしないで偉いと褒められた。

少し書類を書いたりしたので、遅刻が確定した時間になってしまったが、正直に学校に連絡すると、少しも遅刻の言い訳の妄言だとは思われずに対応してくれた。


私の導き出した答えは間違っていなかったのだと知った。






……………






私の名前は中原ミオ。

親友は私の事を『ミオ』って呼ぶ。

そんな親友は数少ないのだけれど。



「ミオ」



そんな数少ない親友が私の隣席に座した。


「ミカ」


私はにこやかに彼女に返事を返した。


元々私は、彼女の分け隔てなく人と接する姿勢に気を許し、彼女を親友として認めたのだ。

それは私が勝手にそう感じているだけなのだから、親友だと思っているのは私だけなのかもしれないが。


「昨日もジュセロで研修だったんでしょ?

大変だった?」


「いや、それほど大変って訳じゃないんだけど、ごめん。機密保持の契約があるからあんま詳しい事は言えないんだ。」


私は「そうなんだ...」と吐息を漏らした。

同年代の女子生徒から『機密保持』という言葉が発せられるとは...

およそ同年代とは思えないその発言に、私は自分の将来とつい比較して、勝手に不安を覚えた。


ミカとはあまり長い付き合いとは言えないが、それなりに遊びに行ったりもしている。

彼女の性格は柔和で少しお茶目な印象だが、その度に金銭感覚の違いに驚かされる。


一女子高生がどの様にして、その様な大金を携えているのだろうかと考えたが、ジュセロのバックアップと彼女の能力の特性から考えると、特段不思議な事ではなかった。


何しろその金銭の一部は私の懐からも流れているのだ。


医者でも原因を特定できない、私の昨今の体調不良は、私の特殊効果の開花に関係があるのではないかと考え、私は彼女の『スキル画面』という能力を宛にしたのだ。


そしてこの泣け無しの1万円も、これから彼女に渡すことにはなるが、案ずることは無い。

この金銭の授受が私たちの関係を裂くことは無いし、私の能力がどの様なものでも、彼女との関係は変わらないはずだ。


しかし、私はその行為に一抹の不安を抱いた。

私達の友情は裂かれないとしても、これ以上彼女の金銭感覚を狂わせる様な行為に加担しても良いのだろうか?

一友人が、その友人に一方的に金銭を渡す行為は健全と言えるのだろうか?

私はこの金を渡すべきだろうか?


自分で決めなければならない。






Q.鹿島ミカに一万円札を渡すべきか。






渡さない方がいいと思う。

やっぱり特殊効果の性質だからと言って、未成年が未成年に一万円なんて大金を渡すべきではないよ。


そうかな?

これによって私の能力がわかるんだし、私はやるべきだと思う。

今後一生付き合っていく私の特殊効果を今すぐ知れるって言うのなら、一万円くらい安い買い物じゃないかな。


うーん。でもゆくゆく彼女の金銭感覚が壊れちゃったりしたら嫌だし...

そう言えば高校生になったら、イヤリングとかブレスレットとか付けるのが夢だったなぁ。

一万円位あれば足りるのかな。


いやいやいや、ブレスレットなんて私には似合わないよ。この腕、結構筋肉質だからあんまり見せたくないし。

あれ、なにこのダサいリストバンド、いつの間につけてたの?外さないと。

とにかく、この一万円は渡すことに決まったからね。


わかったよもう...






A.鹿島ミカに一万円札を渡すべきである。






私はちょっとした出来事ですぐに悩む。

その度に自分の頭の中で自分会議をしなければ何も決定できない、優柔不断な人間なのだ。



私は彼女があまり気を追わないように、会話の流れからして自然なタイミングで財布から1万円札を取り出した。



彼女は少しバツが悪い様な顔をしたが、すぐに照れた顔で誤魔化した。



財布に紙幣を挿入し終えた彼女が、その眼前に手をかざすとそこからゲームのテキストウィンドウのような画面が表示された。






―――――

中原ミオ

【効果名:天使と悪魔】


使用条件:

問題に直面した時


効果:

問題に対し、自身の人格を二分割して答えを得るまで討論させる。

―――――






「天使と...悪魔?」


「随分カッコイイネーミングだね」

と驚く私に彼女は笑った。


もしや、私がいつも悩む度に行っているあの会議のことを言っているのか...?


「これって私の癖じゃなかったんだ...

皆はこんな風に悩んだりしないって知ってはいたけど...」


突飛な言葉に疑問を抱えた彼女に、私は全てを説明した。

自分には悩む度に自分同士で会議をさせる奇癖があったこと。

その奇癖が特殊効果であったこと。

新たなアイデンティティを獲得できると期待していたのに拍子抜けしたことをだ。


「正直もっとカッコイイ能力だと思ってた。

手から火が出たりさ。時を止めたりとか。」


まるで漫画に憧れる中学生の様だな。と言った後に思ったが、彼女も同じ様な事を私に言って笑った。


特殊効果というもの自体が漫画の様にバランスが取れていたり、都合よく強さに制限が掛かる代物では無いことはわかっていた。

わかっていたつもりだった。


しかし、いざ自分の能力が悩むだけの能力だと知った時、私は心底ガッカリした。


絶望と呼ぶにはあまりにも心に衝撃が無く、平静と呼ぶにはあまりにも心に衝撃が有った。


だからガッカリした。

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