ラスト5 家出娘の告白

 「ボクは……自分を女の子だなんて思ったことないんです」

 なぜ、家出してまでマンガを描きたいと思うのか。

 碧海あおみ森也しんやにそう問われて、自らのことを語り出した。

 「自分のこともずっと『ボク』って呼んできたし、小学校低学年の頃まで、いつも男子と一緒だった。他の女の子と関わることなんてほとんどなかったし、たまに関わるとドキドキした。はじめて好きになった人も同級生の女の子だった。

 学校では女子に分類されていたけど、実際は男子なんだと思っていたんです。

 ボクはそれでよかった。それで、毎日、楽しく過ごしていたんです。でも……ボクの体はボクを男子のままではいさせてくれなかった。

 小五の頃から急に胸が大きくなって、へたなおとなの人よりふくらみが目立つようになって……いままで当たり前に遊んでいた男子たちの態度が急によそよそしくなったり、胸のことでからかってきたりするようになった。

 いつの間にか、ずっと一緒だった男子たちのなかからはじき出されていました。でも、だからって、いまさら女の子たちのなかにも入れない。女の子たちの方でもボクのことは避けていたし。

 気がついてみたらボクは小学校のなかでひとりきりになっていた。別に、イジメとかに遭ったわけじゃないけど、『友だち』はいなくなっていた。中学校にあがってからもそれはかわらなかった。むしろ、ひどくなったぐらい。男子には相変わらず胸のことでからかわれたし、女の子たちはあからさまにボクを避けていた……」

 ――やっぱり、碧海あおみ、胸のことでいやな思いしてきたんだ。

 さくらは心にそう思った。

 初対面でいきなり胸をマジマジと見つめてしまったときの反応から、ある程度は察していた。しかし、こうして本人の口からはっきり聞くとやはり、『悪いことした』という気持ちになるし、気まずくもある。

 ――でも……仲間はずれにした女の子たちの気持ちもわかっちゃうのよね。

 遺憾いかんながらそうも思う。

 なにしろ、この沢木さわき碧海あおみ。グラビアアイドル並の美少女であり、なおかつ、欠点が見当たらない。普通、少しぐらいかわいくても『でも、足太い』とか『でも、胸小さい』とか、一般庶民を安心させてくれる欠点があるものだ。ところが、この沢木さわき碧海あおみ、それがない。一切、ない。

 小さな顔と大きな目。つやのある素直な髪にきれいな肌。背も低くはないし、腕も、足も、胴も、太いところはまったくない。全身がスッキリとスリムな仕上がりで、体操選手のように伸びやかで、均整の取れた体付き。それでいて、胸元には人目を引かずにはいない巨大なふくらみ。

 神さまって不公平!

 思わず、そう叫んでしまいそうな容姿の持ち主。

 せめて、性格でも悪ければ『やっぱり、美少女って実は……』とか、陰口をたたいてスッキリすることもできるかも知れない。ところが、性格的にもいたって真面目な優等生。礼儀正しく品行方正。成績も優秀。ツッコみどころがひとつもない。

 これだけそろってしまえば同じくS級の美少女以外、とてもではないけど側にはいられないだろう。事あるごとに自分がみじめに思えてしまう。

 ――あたし自身、兄さんの件がなければ話しかけたりしなかっただろうし。

 さくらはそう思い、こっそり溜め息をついた。

 ――ひかるや雪菜せつなもそうだけど、隔意かくいを感じてるのってやっぱり、あまりの美少女振りに対するやっかみもあるのよね。

 そう思い、ちょっぴり自己嫌悪に陥るさくらだった。

 碧海あおみはつづけた。

 「ボクはどこにも居場所がなくなっていた。誰からも受け入れてもらえなかった。全部、急にかわってしまったこの体のせい。それなのに、ボクの体はボクの意思とは関係なしにどんどん『女』になっていった。胸は大きくなる一方だし、顔立ちも女っぽくなっていった。

 ボクはそれが気持ち悪かった。自分の体が勝手にかわっていくことが怖かった。大きくふくらんだ胸を切り落としたくなったこともあった。そんなとき、藍条あいじょう先生のマンガに出会ったんです」

 「おれの?」

 「はい。他に行くところもなくて立ち寄っていた本屋で偶然、見つけたんです。藍条あいじょう先生の短編集。別になにかを期待していたわけじゃない。本当にただの気まぐれて買ってみたんです。でも、そうしたら……」

 ジッ、と、碧海あおみは真摯な視線で森也しんやを見つめた。

 「はじめて出会ったんです。『気に入らない世界をかえてやる』っていう強烈な意思に。たしかに、世間的な人気はなかったけど……ボクにはそれだけで特別だった。

 自分の気に入らない世界を憎んでもいいんだ。

 怒ってもいいんだ。

 かえてもいいんだ。

 そう教えてくれたから。

 そのときからボクは、マンガのなかに『自分の生きたい世界』を作りあげるようになった。いつか、ボクのマンガでこの世界をかえてやる。そう思って、居場所のない現実と戦ってきた。

 藍条あいじょう先生のマンガと出会えたから、ボクは生きてこられた。もし、藍条あいじょう先生のマンガと出会えなければ、とっくに耐えられなくなっていたはず。だから、ボクは、なにがなんでもこのチャンスをものにしたい。恩人である藍条あいじょう先生と一緒に……この世界をかえるための挑戦をしたいんです」

 藍条あいじょう先生と一緒に。

 思わずついて出たのだろうその一言に、その場にいる全員が押し黙った。

 時が止まったかのようだった。

 その静止を破り、口を開いたのは藍条あいじょう森也しんや本人だった。

 「まずは……君に謝らなくてはならないな」

 「えっ?」

 「親の説得を君ひとりに任せたのは、君がどれだけ本気でこの世界に足を踏み入れる覚悟があるかを見るためだった。つまり、君を試したわけだ。失礼なことをした。謝る。申し訳ない」

 森也しんやはそう言って頭をさげた。

 碧海あおみは年上の男性、それも、『人生の恩人』とも思う相手に頭をさげられてあわてふためいた。

 「い、いいんです、そんな……頭をさげたりしないでください!」

 「だが……」

 碧海あおみに言われたから、ではないが、森也しんやは一度はさげた頭をあげた。その顔には不敵な笑みを浮かべた表情があった。

 「君はこうして立派に覚悟を示してくれた。なら、これから先はおれたち『おとな』の役目だ。おとなとして、高校生の君を親と不仲にさせるような無責任な真似はしない。おれたちできちんと説得するから安心してくれ」

 「説得……」

 「と言うわけで……」

 森也しんやはその場にいる仲間たちに視線を向けた。

 「赤岩あかいわ黒瀬くろせ菜の花なのか、さくら。碧海あおみの家に乗り込むぞ。なんとしても説得する」

 「任せろ!」

 一同を代表して赤岩あかいわあきらが叫んだ。

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