最終話 最後のピース

ラスト1 ペンを求めて

 「つまらん」

 赤岩あかいわあきらが一刀両断にした。

 「相変わらず、キャラに自然さがない」

 黒瀬くろせヒロが断言した。

 「女の子が可愛くない」

 緑山みどりやま菜の花なのかが言い捨てた。

 お茶くみとして同席していたさくらの方が心が痛んでしまうような酷評の数々。しかし、当の藍条あいじょう森也しんやは傷ついた様子ひとつなく――この程度のことで傷つくほど恵まれた人生は送っていない――むしろ、納得したような表情でうなずいた。

 「だろうな。毎日、描いていてもそうだったんだ。久しぶりに描いた作品で改善されているはずがない」

 どこか、他人事のような突き放した印象なのは自分の限界を見極め、『あきらめて』いるからだ。

 地球進化史上最強の知性。

 森也しんやは自分のことをそう名乗っているし、それが『単なる事実』であることを『知って』もいた。しかし、同時に、自分が万能でないことも知っていたし、自身の能力に幻想を抱くこともなかった。

 絶対の自信をもっていい知性と才能を持ち合わせていることは重々、承知しているが、出来ないこと、欠けているものもきちんとわきまえている。だからこそ、あきらたちの酷評にも一切、動じることなく受けとめることが出来る。

 神奈川かながわけん赤葉あかばにある森也しんやの家。

 その居間。

 同僚である赤岩あかいわあきら。

 担当編集だった黒瀬くろせヒロ。

 姉であり、赤岩あかいわあきらのチーフアシスタントを務める緑山みどりやま菜の花なのか

 その三人を相手に久々に描いた新作の試し読みをしてもらったときのことだった。

 「はっきり言って、これでは売れんぞ」

 あきらがためらいなく言いきった。

 一切の容赦のないその批評は『プロがプロに』行うものである以上、ごく当たり前のものだった。

 「どうするのよ、森也しんや。売れなかったらせっかくのアイディアも広まらないし、世間に影響なんて与えられないわよ」

 菜の花なのかが言った。一応、姉として弟を気遣う様子がないではないが、それよりもきょうだいならではの遠慮のなさが強く出ている。

 「それが問題だ」

 姉の言葉に――。

 森也しんやはわざとか、天然か、芝居がかった重々しさで答えた。

 「お前の言うとおり、売れなければ広まらないし、広まらなければ影響力は得られない。富士ふじ幕府ばくふとしてのプロジェクトそのものは順調と言ってもいい。機械技術担当としてはかあら、太陽力発電を広めるためのプロジェクト・太陽ドルのためには赤葉あかばたち、ふぁいからりーふ。そして、『良き敗者を育てる』という目的のためのアスリートとしては、なつみと雪菜せつな。それぞれに逸材と言っていい人間たちが手に入った」

 森也しんやはそこでいったん、言葉を切った。お盆を胸元に抱えてお茶くみとして待機しているさくらを見た。

 「さくらのおかげでな。感謝している。ありがとう」

 いきなり言われて、さくらは思わずほおを赤くした。

 思いは言葉にして伝えなければ伝わらない。

 常に理解し、理解されようとしなければ理解し合うことなど出来ない。

 それが、森也しんやが、過去に父親とのやり取りから得た生涯の教訓。森也しんやとしてはその教訓を生かすべく日々、心がけているだけなのだが、そのあたりが女子たちから『卑怯!』と呼ばれる所以ゆえんなのだった。

 「しかし、あとひとり、おれのペンになってくれる人間が見つからない……」

 「ご、ごめんなさい……!」

 さくらは反射的にそう叫んでいた。

 「うちの学校、漫研とかないし、マンガを描ける人となると、どこでどう探せばいいのかわからなくて……」

 「謝ることはない」

 森也しんやが言った。

 本人としてはきちんと慰めているつもりなのだが、意識しないと優しさよりも素っ気なさが強く出てしまうあたりが、森也しんやの対人スキルの欠点というものだ。

 「お前ひとりに全部できるなんて思っていない。お前はすでに何人もの協力者を連れてきてくれた。言ったように、そのことに感謝している。もう充分なことをしてくれている。胸を張っていればいい」

 「う、うん……」

 そうは言われたものの――。

 森也しんや直々じきじきに『世間とおれを繋ぐ架け橋』としての役割を任された身としてはやはり、森也しんやの望みにはきちんと応えたい。

 「あたしも、いろいろと当たってはいるんだけど……」

 森也しんやが『罪のしきよめ』を連載していた頃の担当編集である黒瀬くろせヒロが言った。

 「やっぱり、あんた、ネームバリューないから。あんたの原作を描きたいって言うマンガ家いなくって……」

 ヒロは申し訳なさそうな表情と口調で言った。

 『プロとプロ』とは言え、こんなことを面と向かって言うのはやはり、気が引ける。とくにヒロは、まだ入社二年目の若手だけになおさらだ。もう何年も、マンガ界という百鬼夜行の世界で生き抜いてきた森也しんややあきらのようには割り切れない。

 「まあ、当然だな」

 かつての担当編集の言葉に森也しんやはうなずいた。

 「もともと、ほとんど売れていなかった上に、いまでは連載打ち切り食らって失業中。そんな『元』マンガ家の原作なんて誰も描きたがるわけがない」

 「しかし……」と、あきら。

 「お前の原作を描くと言うことは、我らがクリエイターズカフェの店員になると言うことだ。作品を描くことで店から給料をもらえる。マンガを描いて食っていけるようになるんだ。その立場を欲しがる人間は多いはずだが……」

 「その立場目当てに来るやつではあてにならんだろう。おれの原作は適当にこなして、給料もらって、自分の作品を熱心に描くのがオチだと思うぞ。それでは意味がない。おれのアイディア……と言うより、理念に本気で共感し、広めようとするだけの熱意がなければな」

 「それはやっぱり、不可能な気が……」

 ヒロが溜め息をついた。

 「あんたって無駄にスケール大きいから、たいていの人間はついていけないと思うし……」

 ヒロは、森也しんややあきらとはちがい、れっきとした常識人である。それだけに、担当編集時代から森也しんやの発想についていけなくなったことが何度もある。その経験があるだけに、森也しんやの発想が世間に受け入れられにくいことは骨身に染みてわかる。

 「確かにな。おれの発想は時代も、世間の常識も、はるかにぶっちぎっている。ついてこられるやつの方がめずらしい」

 「そういうこと」

 ヒロは重ねて溜め息をついた。

 「あたしがやれればいいんだけど……」

 と、菜の花なのか。プロのマンガ家を目指したことがあるわけではないが、同人マンガ家としては一〇年選手のベテランである。ただし、内容は二次創作ばかりでプロとして描けば『パクリだ!』として訴えられるような内容のものばかりだが。

 「あたしはアシスタントとして絵を描くことは出来るけど、話が作れるわけじゃないしねえ」

 「できることなら、わたしがやりたいところなのだが……」

 あきらが腕組みしてむずかしい表情になった。

 「お前は自分のマンガがあるだろ」

 森也しんやが答えた。

 「『赤岩あかいわあきら』はクリエイターズカフェの顔であり、柱なんだ。お前にはそれにふさわしい作品を描きつづけてもらわなければならない。でなければ、カフェの経営そのものが成り立たない。よけいなことをしていないで自分の作品に集中してもらわなければな。そもそも、おれとお前では世界観がまったくちがう。シンプルな熱血ものを専門とするお前に、おれ式の理屈優先の世界を描けるわけがないだろう」

 「それはそうなのだが……」

 「それに、菜の花なのか。お前だって赤岩あかいわのチーフアシスタントなんだ。富士ふじ幕府ばくふの広報担当でもある。それ以上、よけいなことをしている余裕はないはずだぞ」

 「そうなのよねえ」

 と、菜の花なのかは溜め息をついた。

 「誰かさんのおかげで仕事がメチャクチャ不規則だから、よけい、他のことをしている余裕ないのよねえ」

 「世の中には他人の迷惑をかえりみない人間が多いからなあ」

 あきらが腕組みして『うんうん』とうなずく。自分こそがその『誰かさん』だという自覚はまったくない、あきらであった。

 「とにかく、おれのペンとなってくれる人間が見つからない以上、他の方法を考えるしかない」

 森也しんやが言った。

 「なにか方法を見つけるさ。問題解決がおれの役割だからな」


 LEOレオの教室。

 さくらは自分の席に座ったまま、生徒手帳をじっと眺めている。

 生徒手帳にはLEOレオにおけるクラブや同好会の紹介文が載っている。何度、見ても漫画研究会や、それに類するクラブ活動は、同好会すらも存在しない。

 「漫研って意外とマイナーなの?」

 さくらは小さく呟いた。マンガとはほぼ縁のない優等生人生を送ってきたさくらである。そんなことがわかるはずもない。

 「でも、LEOレオの理念って『世界に通用する人材を育てる』ことなんだから、マンガにも力を入れていていいと思うんだけど……」

 マンガはいまや日本における数少ない有力輸出商品。『世界を目指す』と言うからには外せないコンテンツのはずだった。

 「他に、マンガを描ける人なんてどこで探せばいいかわからないし、大体、そんなことはヒロさんがやっているわけだし……あたしに出来ればいいんだけど、いまさら、絵の練習なんてしたって無駄だよねえ」

 絵を描くなんて美術の授業ぐらいでしかやったことはない。しかも、決してうまくはなかった。仮に、練習して絵が描けるようになったとしても『マンガを』描けるようになるかはまったく別の話。素人がちょっと練習したぐらいで世間受けするマンガを描けるようになるなら森也しんやだって苦労していない。

 ――そもそも、あたしの役目は兄さんが必要とする人材を紹介することで、あたし自身がその人材になることじゃないわけだし。

 「なになに、さくらちゃん。マンガがどうかした?」

 突然、ジャーナリスト志望の校内スピーカー広渡ひろわたり風噂ふうさがよってきた。いつも通り、無駄に旺盛おうせいな好奇心に目をキラキラさせている。

 さくらはその勢いに思わず仰け反った。風噂ふうさはいつもいきなりだから困る。

 ――まあ、『○○のテーマ』とかと一緒に登場されても困るけど。

 さくらは思ったが、この際は風噂ふうさが頼みの綱かも知れない。校内スピーカーを自認する風噂ふうさであれば校内の人材については一通り情報を抱えているはずだ。

 「実は……」

 さくらは事情を説明した。

 風噂ふうさは目をキラキラさせたまま何度も『うんうん』とうなずいた。

 「あ~、あのお兄さんね。マンガ家をクビになった」

 「クビって……連載が終わっただけでクビになったわけでは」

 「打ち切りになったんだから、クビってことでしょ」

 さすが、風噂ふうさ。言うことに遠慮がない。

 さくらとしてもうなずかざるを得ない。

 「……まあ、そうなんだけど」

 「そして、自分にかわって、自分のアイディアを世に広めることが出来るペンたるべき人材を探していると」

 「そう」

 風噂ふうさは思いっきり破顔した。

 「そう言うことなら早くあたしに相談してくれなくちゃ!」

 「あてがあるの⁉」

 ふっふ~ん、と、風噂ふうさは余裕の笑みを浮かべた。

 「名うての校内スピーカー、この広渡ひろわたり風噂ふうさを舐めないでよね。校内の人材に関しては、もれなくチェックしてるんだから。実はね……」

 「実は?」

 「いるらしいのよ、美術部に」

 「美術部?」

 「そそ。まあ、『部』って言っても部員はひとりしかいなくて廃部寸前なんだけどね。そのひとりって言うのがマンガを描くらしいのよ。試しに訪ねてみたら?」

 そして、放課後――。

 さくらは風噂ふうさに言われたとおり、美術部を訪れた。

 閉めきられたドアの外からなかに人がいるかどうかをそっとうかがう。なにやら、イケナイコトをしているような気分になってくる。

 そっとドアを開けた。

 そこには、たしかにひとりの部員らしき生徒がいた。

 驚くほどに可愛く、愛らしい少年だった。

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