ステージ14 赤葉の帰還

 「赤葉あかばから? ああ、そう言えばあいつら、初のツアー真っ最中だったな」

 森也しんや赤葉あかばからのメールを受けて『すっかり、忘れていた』という表情と口調でそう言ってのけた。それを聞いたさくらが、さすがに呆れたように応じた。

 「兄さんがそれ、忘れていていいわけ? 責任者でしょう?」

 「今回のツアーはあくまでもハンターキャッツでやっていることだ。富士ふじ幕府ばくふは関係ない。関係ないことは気にしないのが多くのことをこなすコツだ」

 「そういうもの?」

 「そういうものだ。関係ないことまで気にしていると、『気にする』こと自体に時間を取られて実際になにかをする時間がなくなる」

 そう言われれば納得できないこともない。しかし、日頃から『いかに手を抜くかが大事』と言っている森也しんやの言うことだけに、素直に聞く気になれないさくらであった。

 「それで、赤葉あかばはなんだって?」

 「『大盛況、大入り、大盛り上がり。ふぁいからりーふ初のツアーは赤葉あかばさまの大活躍で大成功』だそうだ」

 その言葉に――。

 さくらは眉をひそめた。

 「それ、本当? 盛ってるんじゃないの?」

 別に赤葉あかばを疑うわけではないが、お祭り好きでお調子者の赤葉あかばの性格を知っているだけに『盛っているんじゃないの?』という疑いはどうしてもついてくる。

 その点では森也しんやも同感だったようである。より露骨ろこつに言ってのけた。

 「まあ、赤葉あかばの言うことだからな。一〇倍ぐらいは盛ってるだろ」

 ――いや、さすがに一〇倍は失礼でしょ。

 思わず、心のなかでそうツッコむさくらであった。

 赤葉あかばのメールとほぼ同時に白葉しろくとハンターキャッツ社長、倉田くらたあおいからのメールも届いていた。

 森也しんやはそのふたつのメールを見てから言った。

 「それぞれのメールを総合するとまあ、『小成功』と言ったところらしいな。満員まんいん御礼おんれいとは行かなかったが、閑古鳥かんこどりが鳴く、という状況でもなかったらしい。はじめてのツアーでしかも、知名度の低さを考えればまずまずの結果と言うべきだな」

 「そう。それならよかったわね」

 さくらは胸をなで下ろした。

 正直、赤葉あかばに対してとくに思い入れがあるわけではない。というより、赤葉あかばのような『おれさま系』女子はあまり好みではない。出来れば、距離を取っておきたいタイプだ。とは言え、同じく藍条あいじょう森也しんやのもとで活動する仲間。赤葉あかばたちが成功するかどうかは森也しんやの目的が達成されるかどうかに直結しているのだから気にはなっていた。つまり、さくらは赤葉あかばたちのためではなく森也しんやのために『よかった』と言ったのだ。それに――。

 ――赤葉あかばはともかく、白葉しろはの方は応援したいしね。

 白葉しろくはクラスこそ違えど同じ学校だし、自分が声をかけて森也しんやと引き合わせた相手でもある。赤葉あかばとちがって控えめで――一歩まちがえれば卑屈と言えるぐらい――謙虚な性格。おまけに、素質も才能もない普通の女の子。そんな――自分と同じ――普通の女の子が才能の化け物みたいな女子たちの集まるアイドル業界で必死に頑張っている。その姿を見れば『がんばれ、凡人代表!』みたいな感じで応援したくもなるというものだ。

 「ともかく、ツアーは無事に終わった。明日には帰ってくるそうだ」

 「そうなんだ。じゃあ、打ち上げとかはやるの?」

 「このツアーはあくまでハンターキャッツの行ったもので富士ふじ幕府ばくふ主催ではないからな。打ち上げをするなら、それはハンターキャッツでやるべきことで、おれたちのやるべきことではないんだが……まあ、あの赤岩あかいわが黙って迎えるはずはないな。知ったら、すぐに大宴会の準備をするだろう」

 「でしょうね」

 と、さくらも心からうなずいた。

 お祭り好きのお調子者、という点では赤葉あかばの一〇倍ぐらいは上を行っている赤岩あかいわあきらである。

 とは言え、森也しんやにとってはいまは赤葉あかばたちよりなつみの方が重要である。

 その日はなつみや雪菜せつなと直接、会って、それぞれの進展振りに関して報告しあうことにした。

 まずはなつみのひざの検査からはじまった。

 四柴ししばが『これぞプロ』と言いたくなる、冷徹なほどの視線と態度で検査を進める。しかし――。

 雪菜せつなは、そんな四柴ししばを敵意むき出しの表情で睨み付けている。四柴ししばに関してとくにくわしい説明を受けたわけではない。それでも、女としての本能で四柴ししばたちの悪さを感じ取ったのだろう。なつみをガードするように側にぴったり寄り添って離れようとしない。

 とにかく、整いすぎるほどに整った顔立ちの美少女だけに、こうして敵意むき出しの表情になると本当に怖い。並の男ならこんな表情で睨まれたら尻尾を巻いて逃げ帰るにちがいない。そう思わせるぐらい凜々りりしく引き締まった表情だった。

 ――これなら、あたしがなつみの側にいる必要もないわね。

 さくらはそう思った。

 とは言え、『四柴ししばの前でなつみをひとりにしないように』とは森也しんやから受けた指令なので、さくらもなつみの側に寄り添っている。その表情は『少しでも医療行為から外れたことをしたら叩きのめしてやる』という気満々。

 普通であれば少女ふたりからこんな表情で睨まれていてはたまったものではない。思わず逃げ出すか、森也しんやに向かって『このふたりをなんとかしてくれ!』と助けを求めることだろう。

 しかし、そこは四柴ししばまもる。生まれついての女泣かせ。医療経験よりも修羅場をくぐり抜けた経験の方が多いという猛者もさである。『男も知らない小娘の敵意などなんでもない』とばかりに受け流し、自分の役目を淡々とこなしている。

 やがて、検査が終わった。四柴ししばがやはりプロらしい感情抜きの口調で報告した。

 「問題ない。良くなってはいないが悪くなってもいない。このひざの状態では望みうる最良の状態だろう」

 「……よかった」

 なつみが、そして、雪菜せつなが、そろって胸をなで下ろした。その口調と仕種がどれほど不安を抱えていたかを示している。

 「なつみ。お前自身の感覚はどうだ? 異常はないか」

 森也しんやの問いになつみはうなずきながら答えた。

 「うん、だいじょうぶ。さすがに故障前ほどじゃないけどちゃんと反応してるし、痛みもない。これならちゃんと踊っていけるよ」

 「そうか。それはなにより。しかし、くれぐれも言っておくが張り切りすぎてオーバーワークはするなよ。四柴ししばの指示は守れ。こいつは人格はクズだが、事態修理の腕だけは一流だからな」

 その言い草に――。

 四柴ししばは『ふん』とばかりに鼻を鳴らしたのだった。

 なつみは静かにうなずいた。

 「うん。わかってる。またひざを痛めたら今度こそ踊れなくなるかも知れないもの。無茶はしないよ」

 その言葉にはなんとも言えない実感がこもっており、なつみがいかに踊りにかけているかがはっきりとわかった。

 その言葉を受けて――。

 雪菜せつなもきっぱりと言いきった。

 「心配しないで。オーバーワークなんて、わたしが絶対にさせない。危険になったら必ずとめる」

 森也しんやはうなずいた。雪菜せつな水舞みずまいいの踊り手になって以来、スポーツ医学に関しても熱心に勉強していることを森也しんやは知っていた。

 この日はなつみがはじめて補助器具と水舞みずまい用の水着とを試す日でもあった。素肌の上に補助器具を取り付け、その上から水舞みずまい用の水着を着込む。

 「素肌に直接、補助器具を取り付けるとは思わなかったわ」

 「体の弱った年寄りがひとりで風呂には入れるように、が、開発のコンセプトだからな。素肌に直接、取り付けられなければ意味がない」

 「なるほど」

 と、なつみは感心したようにうなずいた。

 ちなみに、森也しんやは着替えの場にいたわけではない。補助器具の取り付けはモニターとして扱いに慣れているさくらが行い、森也しんやはその間、部屋の外にいた。

 「でも、これ、すごいわね。素肌に直接、取り付けているのに全然、不快感がない」

 雪菜せつなが言った。なつみとちがい、故障していない雪菜せつなは補助器具を着用する必要はないのだが『なつみが使うものなら体験しておきたい』という理由で着用している。

 雪菜せつなの言葉になつみもうなずいた。

 「うん。そうだよね。それに、しっかり体を支えてくれるのに窮屈きゅうくつすぎることもないし、むしろ、適度な締め付けが心地良いぐらい。この水着も体をすっぽり包んでいる割に動きやすいし」

 「このひれみたいなすそで足をすっぽり包むなんて転びそうで心配だったけど、そんな感じもないしね」

 なつみと雪菜せつな、ふたりの感想に森也しんやが答えた。

 「その点はさくらが熱心にモニターを務めてくれたんでな。うまい具合に調整できた」

 「そうなんだ。ありがとう、さくら」

 「お礼なんていいわよ。あたしに出来るのはそれぐらいなんだし」

 そうは言ったものの――。

 さくらの顔にはくすぐったいような、誇らしいような、そんな表情が浮いていた。

 「それと……」

 森也しんやが付け加えた。

 「いちいち『水舞みずまい用の水着』なんて言うのはまだるっこしいから、その水着のことは『緋衣ひごろも』と名付けた」

 「緋衣ひごろも?」

 「手足がひれじょうになっていると言うことと、天女てんにょのまとう羽衣はごろもついとして鰭衣ひごろも。しかし、それでは字面じづらが良くないから緋衣ひごろも。緋色はちょうど巫女装束の色であり、神聖な色。五穀ごこく豊穣ほうじょうの祭りとして行う水舞みずまいにはふさわしい色でもある。本番では緋色を基調としたデザインのものを着てもらう」

 さっそく、緋衣ひごろもを着ての水中運動を試してみることにした。森也しんやの家の前の水田と、貯水用の池。その両方で試してみた。水田は浅めなのでひざ程度までの水しかない。対して、貯水用の池は腰ぐらいまである。

 「やっぱり、手足が広がっている分、水の抵抗はかなりあるね」

 「着やすいように大きく作ってあるから、水の抵抗で服全体がけっこう揺れるしね」

 「緋衣ひごろものイメージ的に体にぴったりフィットした衣装よりも、ヒラヒラした衣装の方が似合うと思ったんだが。ぴったりしている方が動きやすいというなら直すことは可能だ。どうする?」

 「それより、水深をもっと深くしてくれない?」

 雪菜せつなが言った。

 「水深を? どれぐらいだ?」

 「胸の下ぐらいまで」

 「そこまで深くしたら浮力が強くなりすぎて動きづらいんじゃないか?」

 「そうだけど……でも、ある程度の水深があった方が潜ったり、浮いたりの立体的な表現が可能になる。せっかく、水のなかで舞うなら、陸上では表現できない水中ならではの動きを取り入れないと意味ないでしょう」

 「それは、たしかに。なら、水底に段差を作って水深をかえてみるか?」

 「あ、それ良いかも。水深がかわればそれだけ表現の幅も広がるしね」

 なつみもそう言った。

 「まあ、段差をつけると言っても階段状にするか、スロープ状にするかといった点もあるし、いろいろと試してみよう」

 森也しんやがそう言ったそのときだ。ふいに、日が陰った。

 空を見上げた森也しんや田の視線の先。そこに、大きな翼を広げた『空飛ぶ部屋』が浮いていた。

 「赤葉あかばたちが帰ってきたか」

 「あれが、部屋えもん……」

 「……すごい。本当に部屋が空を飛んでる」

 なつみと雪菜せつなが圧倒されたように呟いた。

 話だけは森也しんやから聞いていたとは言え、実際に見るのはこれがはじめて。やはり、聞くのと、見るのとでは印象も、迫力も、まったくちがう。

 部屋えもんが森也しんやの家の屋上に着地した。ほどなくして家のなかから赤葉あかばが飛び出してきた。居並ぶ人々を見て赤葉あかばは叫んだ。

 「なつみ! 雪菜せつな! なんで、あんたたちがここにいるの⁉」

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