ステージ12 運命の恋

 その日、藍条あいじょう森也しんや赤岩あかいわあきらは学校側から招かれ、LEOレオを訪れていた。

 仮にも学校の生徒を自分たちのビジネスのために活用しようというのだから、学校側ともそれなりの折衝せっしょうが必要になるのである。

 「我が校としても、怪我で将来を絶たれた生徒が再起できるとなれば、これほど喜ばしい話はない。また、『誰にでも将来への希望を』という富士ふじ幕府ばくふの理念には大いに共感する。全力でサポートさせていただく」

 「ありがとうございます。もちろん、まだ学生であることは忘れずに学業に支障のない範囲で計画は進めていきます」

 お互い、相手を尊重し、また、相手の立場を理解し合い、協力体制を整える。その上で、当人の再起を図る。

 傍目はためにはいたって見目みめうるわしい美談に見えるだろう。それが嘘、と言うわけではないが、裏を覗けば少々、俗な面もある。

 未来の世代の教育を担う学校と言えど営利企業にはちがいない。優れた生徒の存在は大きな宣伝材料であり、新しい生徒を呼び込むための『餌』でもある。その学校側にとっては『世界を狙える天才少女!』が入学してくると思っていたのに怪我で普通の生徒になってしまった、というのは大きな損失であり、落胆。正直、

 『こんなことなら、他の生徒を招けばよかった』

 と言う思いはある。しかし――。

 その生徒が挫折ざせつに負けず、新たな道で再びスターになるとなれば話はちがう。なんの挫折もなくスターダムにのしあがるよりもよほど話題になるし、おまけに『すべての人間に将来への希望を』という理念をかかげる計画とのコラボ。うまく行けば、学校側にとってこれほど大きな宣伝はない。ネットに流れればバズるのは確実だし、世間のイメージも爆上がり。全力でサポートしようという気にもなるというものだ。

 もちろん、森也しんやは学校側の裏事情などすべて承知している。学校という名の営利企業が生徒に対する善意だけでなにかをする思うほど、幼稚でもなければ青臭くもない。その裏事情を知ってどう思っているかというと、

 「動機なぞどうでもいい。やることをやるなら充分だ」

 いたっておとなな森也しんやなのであった。

 お互い、本音に社交辞令をまぶした上での交渉を一時間ほど行い、今後のスケジュールを調整。つつがなく合意にいたり、交渉は終わった。もともと、問題になるのはなつみの出席日数と活動時間――真夜中はダメ――ぐらいなので、森也しんやでなくてもまとめるのは難しくなかった。

 別れの挨拶をすませて廊下に出ると、そこに思い掛けない人物がまっていた。北條ほうじょう雪菜せつなである。

 「おお、北條ほうじょう雪菜せつなではないか。いや、相変わらずの美しさ。まさに、しんぜんの化身。それが、ステージの上で思う存分、舞い踊るとなれば、まさに生きた芸術。おぬしに踊ってもらえるならバレエの演目も幸せだな」

 美少女大好きのあきらがここぞとばかりにめ言葉――口説き文句?――を並べ立てた。その言葉の羅列られつに、雪菜せつなは――。

 美しく、凜々りりしい顔立ちにわずかにムッとした表情を浮かべた。

 ――外見ばかり問題にしないで。

 そう思ったのだろう。

 子供の頃から外見偏差値に恵まれ、『きれい』、『かわいい』と言われつづけた女性が外見ばかり褒められることに反発するようになるのはままあることだ。

 ――見た目ばかりでなく、中身だってあるのよ!

 と。

 とくに雪菜せつなの場合、なつみと並んで『日本のバレエ界の将来を担う』と期待されてきた逸材。スポーツ万能なのは当然として学業優秀、品行方正、中学時代は生徒会役員も務めていたという完璧振り。おまけに、『運を良くするため』と言うことで幼い頃からボランティアでの清掃作業にも参加してきた。

 しがない一般人から見れば『嫌味か!』と言いたくなるぐらい、中身も充実しているのだ。ちなみに、なつみの方はスポーツ万能は同じだが、学業成績は平均的。素行においても悪いわけではもちろんないが、特筆するほどのこともない。バレエをのぞけばわりと『普通』の生徒である。

 そんな『中身もすごい』雪菜せつなであってもやはり、一目見てすぐにわかるのはその外見の良さ。物心付いたときから『きれい』、『かわいい』と言われつづけてきたし、いまでもとにかく『きれい』、『美しい』の連呼。外見を褒められることにはうんざりしている。

 一〇〇回生まれ変わっても雪菜せつなほどの外見は望み得ない一般女子からすれば『贅沢ぜいたく!』と叫びたくなるところだろうが、

 ――中身を見てよ!

 と言う思いは人一倍、強い。あきらの大げさな褒め言葉の羅列に腹を立てるのはかのにとってはごく自然なことだった。

 その思いをはっきり表に出すことなく、かすかに表情をかえる程度に抑えたのはやはり、幼い頃からバレエ界で生きてきた経験のたまもの。どんな業界でもそうだが、上の人間に対して悪感情を見せているようでは上には行けない。

 「なにか用か?」

 そのあたりの面倒くささを骨身に染みて知っている森也しんやである。これ以上、あきらが『外見ばかりを』褒めまくって気分を害させないよう、さりげなく口をはさんだ。

 雪菜せつなはうなずいた。

 「あなたたち、マンガ家なんでしょう?」

 「おお、その通りだ!」

 と、あきら。両手を腰に当て、背筋の運動のように反っくり返る。

 「大人気マンガ家、マンガ界の命運を担う大黒柱、世界の英雄、『海賊ヴァン!』の作者、赤岩あかいわあきらさまとはわたしのことだ!」

 『ふん!』と、鼻息荒くそう語るその姿。本人自身がすでにマンガのキャラクター。そのわかりやすい性格が人気の一因となっている点は否定できない。

 「おれは現状、開店休業状態だけどな」

 森也しんやが付け加えた。

 あきらの宣言に比べればなんとも景気の悪い話だが、隠すでもなく、卑下するでもなく、事実は事実として淡々と語るのが藍条あいじょう森也しんや

 実際、ここ最近、森也しんやはマンガを描いていない。唯一の連載作品であった『罪のしきよめ』は連載打ち切りとなってそのまま消滅。他の依頼などあるはずもなく、マンガの仕事は一切なし。カフェでの作品も肝心の『欠点を補ってくれる作画担当』が見つからず、手つかずのまま。マンガ家業に限れば失業状態の森也しんやであった。

 雪菜せつなはそんなふたりに向かって言った。

 「マンガ家なのを見込んで頼みがあるの。屋上まで来てくれる?」


 雪菜せつなに乞われるままに森也しんやとあきらは校舎の屋上へとやってきた。

 学園物では定番のシチュエーションにあきらのテンションは爆上がりである。

 「さあ、屋上に来たぞ! 告白なら存分にするがいい。それとも、フリーハグの方か? どちらにしても安心するがいい。我が全力で受けとめてやるぞ」

 「バカ」

 と、森也しんやが短く口にした。いつもの『あほう』ではなく『バカ』なのは、雪菜せつなが言いたくても言えないことをかわりに言ったからである。

 森也しんやがかわりに言いたいことを言ってくれたので気が晴れた……というわけでもないだろうが、雪菜せつなはあきらの言葉は無視して言った。

 「マンガ家なら動きを捉えるのは専門家でしょう? わたしの動きを見てほしいの」

 「動きを?」

 「ええ」

 と、雪菜せつなは真顔でうなずいた。

 「最近、納得の行く動きができなくて。コーチやまわりの子たちからは問題ないって言われているんだけど、自分ではどうしてもしっくりこなくて。だから、専門家ではない、観客視線の意見がほしいの」

 「おお、なるほど。そういうことなら我らはまさに適任だな。バレエには素人だが、動きを捉える目はしっかりある。その意気や良し! いくらでも見てしんぜるぞ」

 ノリと勢いだけでバカ殿ぶっているので時々、表現がおかしくなるあきらである。

 「おれもかまわない。ただ……」と、森也しんや

 「『ただ……』、なに?」

 雪菜せつな森也しんやの言葉にムッとした様子で眉をひそめた。あきら相手に比べて表情の変化が露骨ろこつなのは男に対する警戒心が残っているからだろう。

 森也しんやはそんな雪菜せつなの制服の下半分を指で指し示した。

 「いいのか? 男の前でミニスカートで踊って?」

 「……体操服に着替えてくる」

 雪菜せつなはそう言って駆け出していった。その姿が見えなくなったとき――。

 バン! と、音を立ててあきらが森也しんやの背中を叩いた。

 「グッジョブ、藍条あいじょう!」

 「体操服って、なんであんなにそそるんだろうな」

 実はスケベ心も普通に持ち合わせている森也しんやであった。


 校舎の屋上を舞台に体操服姿の美少女が思いきり躍動やくどうし、舞い、踊る。

 それは確かにめったに見ることの出来ない演目だった。

 空高く飛翔し、回転し、手足が意思あるもののように伸びやかに動く。力強く、ダイナミックで、それでいて女子特有の優美さをいささかも失わない。常にバランスが取れ、無駄な力が加わらず、脱力した状態で手足を動かし、肝心の部分にだけきちんと力を入れる。だからこそ、力強さと美しさを両立させることの出来る動き。素人目にもその技術の高さが知れるダンスだった。

 「ほおお」

 と、美少女大好きのあきらがそのことを忘れ、純粋にダンスの技術に対して感嘆かんたんの声を何度も漏らす。それほどに完璧な踊り。普通の観客であればただただ褒めそやすことしかできなかっだろう。

 雪菜せつなは一〇分ばかりのダンスを終え、フィニッシュを決めた。

 あきらと森也しんやが同時に拍手をする。あきらは激しく、森也しんやは静かに、しかし、深みを込めて。決して礼儀ではない。本心からの拍手である。

 「どう?」

 雪菜せつなが汗を浮かべた体操服姿で尋ねた。一〇分の間、踊っていたのにまったく息を乱していないのはさすがだった。

 「うむ、素晴らしかったぞ」と、あきら。

 「力強くダイナミック。それでいて、美しい。まさに、理想的な舞いであった」

 「たしかに。素人目にも技術の高さがわかる。その点に関してはケチの付けようがない」

 「……だが」

 「ああ、だが……」

 あきらと森也しんやは口をそろえて言った。

 「感動はない」

 はっきりとそう言われ――。

 雪菜せつなは目を見開いた。その態度は雪菜せつな自身、そのことを感じていたことを示していた。

 あきらが告げた。

 「技術の高さは認める。その点は申し分ない。しかし、それだけだ。言ってみれば絵はうまいがキャラクターの感情を描けないマンガ家のマンガのようなもの。いくら、見た目が良くてもそれでは見るものを感動させることは出来ない」

 「機械がプログラムにそって動いているようなものだな。動きそのものは完璧だが、個性がない。演技者としての表現がない。教えられたことを教えられたとおりにやっているだけ。技術の高さはわかっても、ダンサー自身に対する魅力は感じない」

 容赦のない批評だが、それもこれも雪菜せつな『プロ』として認めていればこそ。『プロがプロに対して』行う批評であれば厳しくなるのが当たり前。『容赦』など入り込む余地はない。

 そう言われて――。

 雪菜せつなは溜め息をついた。

 「……さすが、プロね。わたしが感じていたことをズバリ指摘してくるんだから。そう。言われたとおりここ最近、踊ることはできても表現が出来ていなくて。どうにも、もどかしい気がしているの」

 「ふむ。これはやはり、アレだろうな。藍条あいじょう

 「アレだな」

 あきらと森也しんやが同じことを口にした。雪菜せつなは目をしぱたたかせた。

 「アレ?」

 「なんのためにバレエをしているのか、と言うことだ」

 「なんのために?」

 「そうだ。なんのためにバレエを学び、踊っているのか。その点がわからなければ個性も自己表現もあり得ない。いまの君は『バレエをする理由』を見失っているんだろう。その点を思い出してみることだ」

 「バレエをする理由……」

 森也しんやの言葉に――。

 雪菜せつなは深刻な表情で考え込んだ。


 雪菜せつなは家に帰ってからもずっと森也しんやの言葉を考えつづけていた。

 ――わたしがバレエをする理由。

 たしかに、今まで考えたことはなかった。考えなくても自然とやってこれた。なのに、なぜ、それができなくなったのか。

 ――わたしがバレエをはじめたのは四歳の頃。わたしは別に興味はなかったけど、母さんが習い事をさせたがったから。

 最初は嫌でいやで仕方なかった。練習時間になってもふてくされて踊ろうとしないこともめずらしくなかった。教室でも嫌われ、幾つものバレエ教室を転々とした。けれど――。

 あるとき、見たのだ。自分と同じ歳の女の子が舞台の上で楽しそうに踊っているのを。

 その姿に引き込まれた。

 ――どうして、あんな風に楽しそうに踊れるの?

 そう思った。

 ――あたしも真面目に練習すれば、あんな風に踊れるようになるのかな?

 そのときから真剣にバレエに打ち込むようになった。そして、気が付いてみれば『期待の新星』、『バレエ界の未来を担う逸材』と呼ばれるようになっていた。

 そのきっかけとなった同い年の女の子。それが――。

 南沢みなみさわなつみだった。

 ――ああ、そうか。

 そのときのことを思い出したとき、やっと、気付いた。

 ――あのとき……わたしはなつみに恋をしたんだ。

 自分がバレエをしてきたのはすべて、なつみを追うためだった。なつみと同じ場所に立ち、なつみと一緒にいるため。いままでできていた自己表現が出来なくなったのは、なつみが自分の前から姿を消したからだった。

 「そうか。そういうことね」

 ――だったら。

 やるべきことはひとつだった。


 翌日。

 雪菜せつなはクリエイターズカフェを訪れた。

 そして、森也しんやに向かって頭をさげた。

 「わたしも水舞みずまいに参加させてください。お願いします」

       第四話(中)完結

       第四話(下)につづく

 

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