ステージ11 森也vs.雪菜

 水泳部の活動が終わったあとの室内プール。『世界を支える逸材の育成』を掲げるLEOレオにはそれぞれの分野ですでに名の知られた生徒も少なくない。盗撮対策としてプールは室内プールしかない。

 その室内プールで水着に着替えたさくらとなつみ、それに、右手にタッチペン、左手にタブレットをもって取材体勢バッチリの風噂ふうさの三人が集まっている。

 「それじゃ、今日は……」

 なつみが今日のトレーニングの目的と内容を説明しようとした、そのとき――。

 「なつみ!」

 鋭い声と共に室内プールのドアが開き、『絶世の』と言ってもいいレベルの美少女が現れた。美しさと凛々りりしさを兼ね備えた顔に怒りの表情が浮いている。

 いきなりのことに、さくらと風噂ふうさが呆気にとられるなか、その女子生徒を見たなつみは目を丸くした。

 「雪菜せつな。あなた、ここの学校だったの?」

 「『だったの』じゃないでしょ!」

 その女子生徒――北條ほうじょう雪菜せつなは怒りの叫びをあげながらなつみに近づいた。整いすぎるぐらい整った顔立ちだけにこうして怒りの色を浮かべていると本当に怖い。

 雪菜せつなは他のふたり、さくらと風噂ふうさは無視して――と言うより、目に入っていないらしい――なつみにつめより、問い質した。

 「いったい、こんなところでなにをやっているの⁉ ウィーンでのコンクールにも出なかったし、他のコンクールにも全然、参加していない。学校にもずっときていなかったし、挙げ句の果てに水泳なんて……どういうこと⁉」

 あまりにも一方的に責め立てるその態度に、なつみよりもさくらの方が腹を立てた。

 ――なによ、この子。事情も知らないで!

 なつみをかばうようにふたりの間に割って入った。

 その横では『未来の大ジャーナリスト』を自認する広渡ひろわたり風噂ふうさが『おおっ⁉ これはいったい、いかなる修羅場が⁉』とばかりにワクワクした表情で成り行きを見守っている。もちろん、いつでも記事を書けるようタブレットとタッチペンの用意は完璧である。

 さくらは見ず知らずの女子生徒に言い返した。

 「誰か知らないけど、いきなりやってきて失礼でしょ。なんのつもり?」

 ジロリ、と、雪菜せつなははじめてさくらの存在に気が付いたように睨み付けた。凜々しい美形なだけに相手を見下すような仕種が実に様になる。さくらはその視線に気圧されないよう自分を奮い立たせなくてはならなかった。

 「あなた、誰? 関係ない人は引っ込んでいて」

 「関係なくないわよ! あたしは……」

 「まって」

 互いに激昂げっこうするふたりの言い合いがエスカレートの兆しを見せはじめたそのとき、なつみが静かに言った。

 全員の視線がなつみに集中した。なつみは決意を込めた表情で前に進み出た。なつみの方がさくらと雪菜せつなの間に立つ格好になった。

 「雪菜せつな。事情は説明するわ。でも、これから大切なトレーニングなの」

 「大切なトレーニング? なんで、あなたにとって水泳が大切なトレーニングになるの?」

 「だから、それをこれから説明するって言っているんでしょ」

 雪菜せつなの態度に腹を立てたままのさくらが声を荒げた。

 そんなさくらを、なつみは手をあげて制した。

 「説明しなくちゃわからないけど、これはあたしがダンスをつづけていくために必要なことなの。トレーニングの邪魔をすることがどういうことか。それがわからないあなたじゃないでしょう。トレーニングが終わったあとにすべて話すからそれまでまっていて」

 そう言われて――。

 雪菜せつなは気まずさを覚えたらしい。腕組みして一歩、退しりぞいた。

 腕組みしてまっすぐに立つその姿が、スレンダーな肢体と美しくも凜々しい表情と相まって見事に堂に入っている。

 異世界の美少女女神。

 そう言われても納得できそうな姿だ。

 「……わかったわ」

 雪菜せつなが押し殺した声で言った。

 納得したわけではないけれど、他人のトレーニングの邪魔はできない。

 そう思っている口調だった。

 「終わるまでまっているわ。でも、ここで見させてもらうわよ。そのトレーニングとやらがあなたにとって本当に大切なものかどうかをね」

 「ありがとう」

 なつみはそう答えた。


 トレーニングが終わった。

 体を冷やさないようシャワーを浴びて、着替えをすませ、それから改めて雪菜せつなと対峙する。

 なつみと雪菜せつなはお互い、まっすぐに相手を見つめ合った。

 その姿には決闘に挑む武芸者のような緊張感が漂っていた。

 さくらはなつみを守るように隣に寄り添い、風噂ふうさはやっぱり、ワクワクした表情でこれから起こるであろう修羅場を密着取材するべく待ち構えている。

 先に口を開いたのは雪菜せつなだった。

 「さあ。もういいでしょう。すべて説明して」

 「ええ」と、なつみはうなずいた。

 「その前に紹介しておくわ。さくら。かの北條ほうじょう雪菜せつな。中学の三年間、あたしと互角に張り合えた唯一のバレエダンサー」

 「あ、前に言っていた、あなたとコンクールの優勝を分け合っていたって言う人?」

 「そう」

 さくらはそう言われて改めて雪菜せつなを見た。

 見れば見るほど完璧な美少女。つやのある長い黒髪。染みひとつないなめらかな肌。歳の割におとなびた顔立ちは美しさと凛々しさを併せ持ち、それでいて幼さを残した愛らしさを感じさせる。

 この顔を前にしては世の男どもはたちまち『……挨拶できるだけで幸せ』と、自らモブの地位に引きさがることだろう。そうでないのは自信過剰のおれさまキャラだけにちがいない。

 スレンダーな体付きに長い手足といういかにもなダンサー体型。それでいて、胸元のメロンはしっかり発達している。まさに、非の打ち所のない美少女振り。神さまがいかにえこひいきするかと言うことをこれほどはっきり示す人物もそうはいない。

 これ以上の美少女と言えば、さくらはただひとり、紫条しじょうひかるしか知らない。

 ――ひかるに引き合わせて、自分以上の美少女がちゃんといるってこと、思い知らせてやろうか。

 本来、女度を張り合う気などないさくらでさえそう思うほど、嫉妬と敗北感を感じずにはいられない相手だった。

 「雪菜せつな。こちらは緑山みどりやまさくら。いまはあたしの練習相手として協力してもらっているわ」

 「練習相手? 素人が?」

 「失礼ね! あたしだって陸上ぐらいやっていたわ。スポーツに関しては素人ってわけじゃないわよ」

 「世界を目指していたわけではないでしょう」

 「うっ……」

 それを言われると一言もない。

 中学の三年間、陸上をやっていたとは言え、あくまで優等生を演じるための仮面。身を入れてやっていたわけではないし、そもそも、部自体が初恋相手を探すためにあるような場所だったので『世界』どころか『全国』だって雲に覆われて見えないレベルだった。本気で『世界一』を目指すなつみに比べれば、ほんの素人にはちがいない。

 「あたしは広渡ひろわたり風噂ふうさ! 未来の大ジャーナリスト。よろしくね」

 風噂ふうさがいつもの空気を読まない脳天気さで自己紹介した。あわてて割って入ったのは『取材する側』として、他人に紹介されるのはプライドが許さなかったからだろう。

 ともかく、それぞれの紹介が終わったので本題に入った。

 なつみは事情を説明した。淡々と、声を荒げることなく。感情がないのではないかと思えるほどの静かな話し方。それが逆に感情を必死に押し隠しているのだと感じさせ、胸の内で吹き荒れる感情の渦を知らせている。

 感情を表に出し、声を荒げたのは雪菜せつなの方である。

 「ひざの故障? 再起不能⁉ 本当なの、それ⁉」

 「本当だよ。最初に痛めときにはすぐに治ると思ったけど……結局、あたしの膝はもうバレエには耐えられない。趣味でつづけることぐらいは出来るだろうけど、世界を目指すなんてとうてい無理」

 「ちゃんと医者には診せたの⁉ セカンドオピニオンは⁉ ひとりかふたりの医者に診せただけなら誤診もあるかも知れないじゃない!」

 雪菜せつなのその言葉に――。

 「見せたよ!」

 なつみの必死に押し隠していた感情が爆発した。

 「あたしだってあきらめられなくて何人もの医者にかかった! アメリカの病院にだって行かせてもらった! でも、ダメ。誰にかかっても、あたしの膝はもう治らないって言われた。あたしはもうバレエダンサーにはなれないのよ!」

 なつみの感情をむき出しにしたその姿に、雪菜せつなは呆気にとられた様子だった。さくらと風噂ふうさもマジマジとなつみを見つめている。なつみがいかにバレエに情熱を傾けていたか、真剣に取り組んでいたか、そのことを改めて思い知らされたのだ。

 「……ごめん」

 感情を一気に吹き出して落ち着いたのだろう。なつみはややうつむき加減に視線をそらすと、短くそう言った。

 「……いえ、こちらこそ」

 雪菜せつなも気まずそうな表情でそう言った。それ以外、なにも言えない。そういう表情だった。

 「とにかく、あたしはもうバレエダンサーとして世界を目指すことは出来なくなった。ショックだったよ。もうなにも手につかなかった。そのせいで、学校にも来られなかった。やっとこられるようになったのはごく最近。でも、このさくらのお兄さんと出会って新しい道が開けた」

 「お兄さん?」

 雪菜せつながうさん臭いものを見るような目でさくらを見た。

 さくらが説明した。

 「藍条あいじょう森也しんや百姓ひゃくしょうよ」

 「百姓?」

 「『一〇〇の仕事をもつ』って言う意味よ。具体的に言うと、マンガ家兼農家兼カフェ経営者兼アイドルプロデューサー兼地域興し相談役……とにかく、いろいろやっているの。あ、ちなみにあたしと名字がちがうのは『藍条あいじょう森也しんや』がペンネームだから。兄さん、ペンネームを本名にしちゃってるから」

 「その藍条あいじょう森也しんやに誘われたの」と、なつみ。

 「水舞みずまいの踊り手にならないかってね」

 「水舞?」

 なつみは水舞について説明した。

 雪菜せつなはますますうさん臭いものを見るような表情になった。

 「新しい伝統芸能って……バレエをやめて、そんなうさん臭い話に乗るつもりなの?」

 「うさん臭いってことはないでしょう。人の兄を。……まあ、否定は出来ないけど」

 そう口を挟むさくらであった。

 なつみは雪菜せつなに答えた。

 「やめる、やめないの問題じゃないんだよ。あたしはもうバレエはできないんだから。でも、水舞なら。水の浮力を利用できる水舞ならたしかに膝への負担は少なくてすむ。それなら、舞台に立って踊ることが出来る。地上で踊ることが出来なくなったあたしが踊りつづけるためにはもうこの道しかないの」

 きっぱりと――。

 なつみはそう言い切った。雪菜せつなを見つめる視線は真剣そのものだった。

 「……わかった」

 はあ、と、息をつきながら雪菜せつなは答えた。

 「あなたがいかに真剣かはさっきのトレーニングを見てわかったわ。あなたがそう決意しているならわたしが言うことはなにもない。でも、条件がひとつ」

 「条件?」

 「その藍条あいじょう森也しんやって言う男に会わせて」


 さくらはなつみと雪菜せつなを連れてカフェへとやってきた。ふたりを森也しんやに引き合わせた。

 森也しんやに対する雪菜せつなの態度は最初から喧嘩腰だった。腕を組み、キッ! とした視線で睨みつける。その視線ときたら気の弱い男なら即座に逃げ出すような、しかし、ある種の男にとってはご褒美ほうびとなるような、それぐらい強くて厳しいものだった。

 「あなたが藍条あいじょう森也しんや?」

 そう確認する口調も警戒心、丸出しである。

 森也しんやはうなずいた。

 「そうだ。君のことはさくらから聞いた。君の立場ならおれを怪しむのは当然だ。確認したいことがあれば気のすむまでやってくれ」

 「それじゃ、単刀直入に聞くけど」

 雪菜せつなは文字通り、相手を一刀両断する勢いで尋ねた。

 「なつみに恩を売っておいてどうこうしようなんて、そんなことは考えてないでしょうね?」

 「雪菜せつな、失礼だよ!」

 なつみがさすがに叫んだ。

 さくらがなにも言わなかったのは一瞬、頭が沸騰ふっとうしすぎたせいで言葉が出てこなかったからである。いたって平静だったのは当の藍条あいじょう森也しんやただひとりであった。

 「いや。正しい態度だ。男なんてものは下心のためならいくらでも親切を装うものだからな。警戒するのに越したことはない。むしろ、なつみ。お前の方が警戒心がなさ過ぎだ。いくら、切羽詰まっていたからと言ってもな。相手を疑う癖はつけておいた方がいい」

 「……はあ」

 「『なつみ』だの『お前』だの、ずいぶんと馴れ馴れしいじゃない。まだ、会ったばかりなんでしょう?」

 「それは認める。ただ、富士ふじ幕府ばくふという組織そのものが基本、そういう場所なんでな。それとだ。警戒するのはいいが、いくらなんでも単純すぎる。『悪巧わるだくみしてるだろう』なんて言われて、それを認める悪人はいないんだ。本人に問い質すよりもまわりの人間を観察した方がいい」

 「それってつまり、わたしの質問に答える気はないということ?」

 「質問には答える。しかし、さっきの質問は曖昧あいまいに過ぎるな。ここははっきりと確認させてもらう。君の質問の意図は『なつみに恩を売ることで、セックスを強要するつもりではないのか』ということだと推測するが、それでいいか?」

 あまりにはっきりした言い方にさすがになつみもさくらも真っ赤になる。対して、雪菜せつなは美しさと凛々しさを兼ね備えた表情をまったくかえることなく言ってのけた。

 「ええ。その通りよ」

 「その点に関してははっきり言う。その気はない。おれの目的はあくまでも新しい文明の創造だ。おれの行動はすべてそのためにある。相手が誰であれ、性欲処理のために手間暇をかける気はない」

 そこまで言ってから付け加えた。

 「と、おれが言ったところで信用できるわけもないな。おれのことに関してはまわりの人間に聞くなりして確認するといい。おれがいたら意味がないから離れるが、好きなだけ確かめるといい」

 森也しんやはそう言ってその場をはなれた。

 雪菜せつなは溜め息をついた。

 「……たしかに、真面目そうな男ではあるわね」

 「失礼だよ、雪菜せつな。いい人なんだから」

 「そうよ。いくらなんでも人の兄に対してあの態度はないでしょ」

 さくらが言うと、雪菜せつなはさくらを見て答えた。さくらを見る視線はいままでになく穏やかそうで、しかも、すまなそうなものだった。

 「そうね。妹さんの前でたしかに失礼だったわね。ごめんなさい」

 ――あれ? 意外と素直なところもある?

 まさか、謝られるとは思っていなかったので、さくらはかなり意外だった。

 「まあ、一応、安心はしたわ。あれなら人を騙すとか、そういうことはなさそう。でも、当面はわたしも一緒にいさせてもらうわ」

 雪菜せつなはそう言ってなつみとふたりで帰っていった。わざわざ周囲の人間に確認する必要は感じなかったらしい。その程度には信用した、と言うわけだ。

 ふたりが帰ったあと、さくらは森也しんやに言った。

 「ごめん、兄さん。失礼な子を連れてきて」

 森也しんやは礼儀をわきまえない人間を極度に嫌う。

 そのことを知っているだけにさくらは謝った。しかし、森也しんやは気にした風もなかった。

 「お前が謝ることじゃない。それに、失礼と言うほどのことでもない。なつみを大切に思うあまりだろう。気にすることじゃない」

 「……なんか、ずいぶんと甘くない?」

 「はっはっはっ。それは当然、甘くもなるな」

 神出鬼没の赤岩あかいわあきらが森也しんやの背中をバンバン叩いた。

 「なにしろこいつは、ああいう凜々しいクールビューティーが大好物だからな」

 「兄さん、雪菜せつなみたいなのが好みなの⁉」

 「……いちいち、おれの趣味にふれなくていい」

 あきらには以前にもボクっ娘好きであることを暴露ばくろされているので、よけいに苦虫を噛み潰す森也しんやであった。

 「それより、北條ほうじょう雪菜せつなと関わりをもてたのは幸運だった。なつみの経歴を調べているうちに知ったが、本当になつみと双璧とされていた逸材だ。技術的にはなつみ以上という評価だった。仲間に引き込むことが出来れば大きい。さくら。今後は雪菜せつなのこともマークしておけよ」

 「うん」

 森也しんやに言われ――。

 そううなずくさくらであった。

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