ステージ10 運命の人物

 「はああ~。なんとか、すんだな」

 なつみの両親への挨拶をすませ、店に戻った。休憩室に入ってお茶を煎れ、一口飲んだその途端、藍条あいじょう森也しんやの言ったのがその一言であった。

 表情からは一気に力が抜けてだらけきっているし、全身から出る緊張感など欠片もない。なつみの両親の前で見せていた堂々たる態度などどこへやら。まるで映画のなかのヒーローが撮影を終えた途端、平凡以下の民間人に戻ったときのような姿だった。

 いや、実際、その通りなのだ。森也しんやにしてみればなつみの両親の前で見せていた姿こそが営業用の演技だったのだから。

 「そんなに、うちの両親と会うのがいやだったの?」

 その落差のあまりの大きさにさすがに気になったのだろう。なつみが心配半分、不満半分といった様子で尋ねた。

 「お前の両親がどうと言うんじゃない。見ず知らずの人間と会うこと自体がプレッシャーなんだ」

 「気にしないであげて。兄さん、生まれつき、人付き合いが苦手なたちだから。実家にいた頃はずっと引きこもりやってたぐらいだし」

 さくらもそう付け加えた。その言葉に――。

 なつみは大きく目を見開いてマジマジと森也しんやを見つめた。

 「そんな風には見えないけど」

 「成長したってことだ。幼稚園の頃は人から意地悪されてもなにも言えず、黙って泣いていることしか出来ない子供だったんだからな」

 「そんなこと、自分で言って情けなくない?」

 「問題ない。そこから這いあがったからこそ、おれは偉大なんだからな」

 「偉大って……それこそ、自分で言うことじゃないと思うけど」

 「事実だからな。事実を言うのに遠慮する必要などない」

 なつみはさくらを見た。

 さくらは肩をすくめて答えた。

 「こういう人だから」

 なつみがそう言われてなにも言わずにうなずいたのは、かのなりになんとなく納得したからだろう。

 ――こういうやつだ。

 そう思うしかない藍条あいじょう森也しんやなのだった。

 「ともかくだ」

 森也しんやが言った。

 「保護者への挨拶はすませたし、許可も取った。これでお前は正式に富士ふじ幕府ばくふのメンバーだ。富士ふじ幕府ばくふとして最大限のサポートはする。その代償として、お前には相応の成果を求める」

 そう語る森也しんやには日頃見せている『プロとして厳しさ』が戻っていた。その厳しさを受けてなつみも表情を引き締めてうなずいた。その姿には森也しんやに勝るとも劣らない厳しさが満ちている。

 森也しんやがプロならなつみもプロ。

 もちろん、実際にダンスで稼いだことがあるわけではない。それでも、心構えにかけてはすでにプロ。参加してきたコンクールも数知れず。体験してきた修羅場の数は森也しんやなど足元にも及ばない。森也しんや以上の厳しさをもっているのも当然だった。

 「わかってる。水舞みずまいは必ず完成させてみせる」

 「それは任せる。ダンスの専門家はお前であっておれではないからな。お前自身が『これがベスト!』と思える形に仕上げてくれ」

 「うん。任せて」

 「それ以外のことはこちらで進めておく。まずは、舞台の手配だが……」

 「舞台? 水舞って水田でやるんじゃないの?」

 さくらが尋ねた。

 古来から日本の農村で行われてきた田歌たのうた田楽でんがくまつり。それらの五穀ごこく豊穣ほうじょうを願う祭りを現代風にアレンジし、世界に通用する新しい伝統芸能として確立させる。

 それが水舞の目的。

 ならば、水舞の舞台は水田であるはずだった。

 「もちろん、水田でも行う。文字通りの五穀豊穣の祭りとしてな。しかし、それだけでは世界に広めることは出来ない。世界には水田なんてない場所の方が多いんだからな」

 「それもそうか」

 日本に住んでいると考えにくいが、地球上は水田を作れるほど水の豊富な場所ばかりではない。

 「と言うわけで、舞台でも行えるようにしなくてはならない。舞台にプールを作ってそこで舞うことになる。舞台の構成と足用の補助器具、水中運動用の服なども用意しなきゃならない。それらはこっちで用意する。出来上がったら渡すから試してくれ」

 「わかった」

 なつみは引き締まった表情のままうなずいた。

 「それと、トレーニング後は必ずひざの検査。それには、さくら。お前が必ず付き添え」

 「言われなくても」

 と、さくら。ほとんど喧嘩を売るような表情と口調で答えた。もちろん、さくらが喧嘩を売っている相手は森也しんやではないが。

 「あんなうさん臭い男と友だちをふたりにするわけにはいかないもの」

 「その通り」

 と、森也しんやも思いきりうなずいた。

 「まあ、他のスタッフだっているんだからどのみち、ふたりきりになることはないがな。と言うか、させないが。なつみ、お前自身も気をつけろよ。四柴ししばは下半身は人格がないが、上半身の人格はクズだからな」

 「はあ……」

 と、なつみは曖昧に答えた。

 ――別にそこまで言わなくてもいいんじゃ。

 と思っている表情だ。それがまだまだ人生経験が足りないゆえの甘さであることは、森也しんやにはよおくわかっている。

 それからもういくつか打ち合わせをして、行動開始と相成った。なつみは拳をグッと握りしめて言った。

 「まずはなまっている体を鍛え直さないと。さくら、協力して」

 「もちろん。あたしはそのためにいるんだから」

 頼りにされて――。

 力強くうなずくさくらであった。


 翌日から学校のプールを借りてのなつみのリハビリがはじまった。

 陸上運動では膝に負担がかかるし、なにより、水舞は水中での動きなのだから水に慣れていなくては話にならない。そのため、リハビリと水中での動きに慣れるための訓練を兼ねて、水泳部の活動が終わったあとのプールを借りることにした。

 いっそ、水泳部に入部する、と言う手もあるにはあったのだが、水泳部とは活動の目的がちがう。目的がちがうもの同士が一種に行動していてはお互いに邪魔にしかならない。かと言って、特別扱いがいてはよけい、雰囲気が悪くなる。

 と言うわけで、プールを借りて自分だけで訓練することにした。

 もちろん、水泳部の活動後に部員でもない生徒がプールを使用することには問題があるわけだが、そこは、『かつて天才と呼ばれた生徒が再起を懸けている』と言うことで学校側も大目に見てくれた。一方では森也しんやからの働きかけもあったのだが。

 ともあれ、水泳部の活動が終わったあとにスクール水着に着替えてプールに入る。水中歩行にはじまり、水泳、潜水、水中バレエなどみっちりこなす。競泳のための練習ではないからスピードは求めない。それよりも、どうすれば水中で人を魅了する動きができるかを考えながらゆっくり体を動かしていく。

 「泳ぐのも上手なのね」

 練習相手兼サポーターとして常に一緒にいるさくらが言った。

 「体に負担をかけないための練習として、水泳は色々な競技に取り入れられているから」

 「なるほどね」

 「うんうん、すごいよ、なつみちゃん。毎日着実にタイムが伸びてるもんね」

 やけにはしゃいだ様子で言ったのは広渡ひろわたり風噂ふうさ。『怪我で挫折した天才少女が再起を懸けて特訓? それはなにがなんでも密着取材しなきゃ!』という理由で強引に練習に加わった。さくらは、

 ――そんな目的で一緒にいられたら邪魔にしかならないんじゃない?

 そう疑って最初は断ろうかと思った。しかし――。

 風噂ふうさは実に役に立った。ジャーナリスト志望と言うだけあって細かい数字を記録し、整理するのに長けていたし、様々な情報にも通じている。なつみが水中運動に関する資料を求めるとささっと調べてすぐに提供してくれる。その手際の良さはさくらも思わず感心するほどのものだった。

 「別にタイムを計っているわけじゃないよ」

 なつみは風噂ふうさの言葉にそう答えた。

 「ダンスで大切なのはなにをどう表現するかだから。速さは関係ないよ」

 「でも、やっぱりすごいよ。陸の上でも水の中でもこんなに動けるなんて。やっぱり、すごい練習したんだろうねえ」

 「それはね。世界一のダンサーになるためにはとにかく体力がなきゃいけないんだから」

 その言葉に――。

 さくらはある種の不思議さを感じた。

 「ねえ……」

 「なに?」

 「どうして、そんなに世界一になりたいの?」

 さくらの言葉に――。

 今度はなつみの方が不思議なものを見る表情になった。

 「なんでって……好きなことで一番になりたいと思うのは当たり前だと思うけど」

 ――好きなこと。

 その『好きなこと』をもったことのないさくらには、そここそがわからないことなのだった。逆にやたら理解を示したのは風噂ふうさである。両拳を握りしめ、目をキラキラさせて力説した。

 「わかる! わかるよ、なつみちゃん! あたしもジャーナリストとして世界一になりたいもん! そして、今回はその絶好のチャンス! なつみちゃんの再起の物語に付き添ってピューリッツァー賞を取ってみせる!」

 「ピューリッツァー賞ってそういう賞だっけ?」

 さくらは思わずそう言ったが――。

 ひとりで盛りあがりまくっている風噂ふうさに通用するはずがないのだった。


 ともかく、なつみは連日プールに向かい、『そのとき』に備えて訓練していた。

 そんななつみの姿を偶然、ひとりの女子生徒が見かけた。

 「……なつみ」

 均整きんせいのとれたしなやかな長身。

 つやのある長い黒髪。

 美しく、愛らしいなかに凛々りりしさを秘めた顔立ち。

 運命の人物。

 北條ほうじょう雪菜せつな

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