ステージ10 運命の人物
「はああ~。なんとか、すんだな」
なつみの両親への挨拶をすませ、店に戻った。休憩室に入ってお茶を煎れ、一口飲んだその途端、
表情からは一気に力が抜けてだらけきっているし、全身から出る緊張感など欠片もない。なつみの両親の前で見せていた堂々たる態度などどこへやら。まるで映画のなかのヒーローが撮影を終えた途端、平凡以下の民間人に戻ったときのような姿だった。
いや、実際、その通りなのだ。
「そんなに、うちの両親と会うのがいやだったの?」
その落差のあまりの大きさにさすがに気になったのだろう。なつみが心配半分、不満半分といった様子で尋ねた。
「お前の両親がどうと言うんじゃない。見ず知らずの人間と会うこと自体がプレッシャーなんだ」
「気にしないであげて。兄さん、生まれつき、人付き合いが苦手な
さくらもそう付け加えた。その言葉に――。
なつみは大きく目を見開いてマジマジと
「そんな風には見えないけど」
「成長したってことだ。幼稚園の頃は人から意地悪されてもなにも言えず、黙って泣いていることしか出来ない子供だったんだからな」
「そんなこと、自分で言って情けなくない?」
「問題ない。そこから這いあがったからこそ、おれは偉大なんだからな」
「偉大って……それこそ、自分で言うことじゃないと思うけど」
「事実だからな。事実を言うのに遠慮する必要などない」
なつみはさくらを見た。
さくらは肩をすくめて答えた。
「こういう人だから」
なつみがそう言われてなにも言わずにうなずいたのは、かの
――こういうやつだ。
そう思うしかない
「ともかくだ」
「保護者への挨拶はすませたし、許可も取った。これでお前は正式に
そう語る
もちろん、実際にダンスで稼いだことがあるわけではない。それでも、心構えにかけてはすでにプロ。参加してきたコンクールも数知れず。体験してきた修羅場の数は
「わかってる。
「それは任せる。ダンスの専門家はお前であっておれではないからな。お前自身が『これがベスト!』と思える形に仕上げてくれ」
「うん。任せて」
「それ以外のことはこちらで進めておく。まずは、舞台の手配だが……」
「舞台? 水舞って水田でやるんじゃないの?」
さくらが尋ねた。
古来から日本の農村で行われてきた
それが水舞の目的。
ならば、水舞の舞台は水田であるはずだった。
「もちろん、水田でも行う。文字通りの五穀豊穣の祭りとしてな。しかし、それだけでは世界に広めることは出来ない。世界には水田なんてない場所の方が多いんだからな」
「それもそうか」
日本に住んでいると考えにくいが、地球上は水田を作れるほど水の豊富な場所ばかりではない。
「と言うわけで、舞台でも行えるようにしなくてはならない。舞台にプールを作ってそこで舞うことになる。舞台の構成と足用の補助器具、水中運動用の服なども用意しなきゃならない。それらはこっちで用意する。出来上がったら渡すから試してくれ」
「わかった」
なつみは引き締まった表情のままうなずいた。
「それと、トレーニング後は必ず
「言われなくても」
と、さくら。ほとんど喧嘩を売るような表情と口調で答えた。もちろん、さくらが喧嘩を売っている相手は
「あんなうさん臭い男と友だちをふたりにするわけにはいかないもの」
「その通り」
と、
「まあ、他のスタッフだっているんだからどのみち、ふたりきりになることはないがな。と言うか、させないが。なつみ、お前自身も気をつけろよ。
「はあ……」
と、なつみは曖昧に答えた。
――別にそこまで言わなくてもいいんじゃ。
と思っている表情だ。それがまだまだ人生経験が足りないゆえの甘さであることは、
それからもういくつか打ち合わせをして、行動開始と相成った。なつみは拳をグッと握りしめて言った。
「まずはなまっている体を鍛え直さないと。さくら、協力して」
「もちろん。あたしはそのためにいるんだから」
頼りにされて――。
力強くうなずくさくらであった。
翌日から学校のプールを借りてのなつみのリハビリがはじまった。
陸上運動では膝に負担がかかるし、なにより、水舞は水中での動きなのだから水に慣れていなくては話にならない。そのため、リハビリと水中での動きに慣れるための訓練を兼ねて、水泳部の活動が終わったあとのプールを借りることにした。
いっそ、水泳部に入部する、と言う手もあるにはあったのだが、水泳部とは活動の目的がちがう。目的がちがうもの同士が一種に行動していてはお互いに邪魔にしかならない。かと言って、特別扱いがいてはよけい、雰囲気が悪くなる。
と言うわけで、プールを借りて自分だけで訓練することにした。
もちろん、水泳部の活動後に部員でもない生徒がプールを使用することには問題があるわけだが、そこは、『かつて天才と呼ばれた生徒が再起を懸けている』と言うことで学校側も大目に見てくれた。一方では
ともあれ、水泳部の活動が終わったあとにスクール水着に着替えてプールに入る。水中歩行にはじまり、水泳、潜水、水中バレエなどみっちりこなす。競泳のための練習ではないからスピードは求めない。それよりも、どうすれば水中で人を魅了する動きができるかを考えながらゆっくり体を動かしていく。
「泳ぐのも上手なのね」
練習相手兼サポーターとして常に一緒にいるさくらが言った。
「体に負担をかけないための練習として、水泳は色々な競技に取り入れられているから」
「なるほどね」
「うんうん、すごいよ、なつみちゃん。毎日着実にタイムが伸びてるもんね」
やけにはしゃいだ様子で言ったのは
――そんな目的で一緒にいられたら邪魔にしかならないんじゃない?
そう疑って最初は断ろうかと思った。しかし――。
「別にタイムを計っているわけじゃないよ」
なつみは
「ダンスで大切なのはなにをどう表現するかだから。速さは関係ないよ」
「でも、やっぱりすごいよ。陸の上でも水の中でもこんなに動けるなんて。やっぱり、すごい練習したんだろうねえ」
「それはね。世界一のダンサーになるためにはとにかく体力がなきゃいけないんだから」
その言葉に――。
さくらはある種の不思議さを感じた。
「ねえ……」
「なに?」
「どうして、そんなに世界一になりたいの?」
さくらの言葉に――。
今度はなつみの方が不思議なものを見る表情になった。
「なんでって……好きなことで一番になりたいと思うのは当たり前だと思うけど」
――好きなこと。
その『好きなこと』をもったことのないさくらには、そここそがわからないことなのだった。逆にやたら理解を示したのは
「わかる! わかるよ、なつみちゃん! あたしもジャーナリストとして世界一になりたいもん! そして、今回はその絶好のチャンス! なつみちゃんの再起の物語に付き添ってピューリッツァー賞を取ってみせる!」
「ピューリッツァー賞ってそういう賞だっけ?」
さくらは思わずそう言ったが――。
ひとりで盛りあがりまくっている
ともかく、なつみは連日プールに向かい、『そのとき』に備えて訓練していた。
そんななつみの姿を偶然、ひとりの女子生徒が見かけた。
「……なつみ」
美しく、愛らしいなかに
運命の人物。
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