ステージ9 (森也にとっては)試練のひととき

 そして、その日、森也しんやたちは南沢みなみさわなつみの家へとやってきた。

 森也しんやをはじめ、さくら、赤岩あかいわあきら、黒瀬くろせヒロ、四柴ししばまもる。総勢五人の顔ぶれである。さくらは制服、森也しんやたちはスーツを着ているがただひとり、赤岩あかいわあきらだけはいつもの羽織はおりはかまにちょんまげという『バカ殿』ファッションである。

 「わたしは富士ふじ幕府ばくふの将軍だ。将軍であるからにはこれが正装。我が富士ふじ幕府ばくふの一員を迎えに行くというからには、誰がなんと言ってもこの服装はゆずらんぞ」

 小さな胸を大きく張って、誰もなにも言っていないのにそう主張したあきらであった。

 もちろん、森也しんやは、あきらがそう主張して譲らないことはわかっていたのでなにも言わなかったのである。常識人からは珍獣と見られることは承知の上だが、そのために呼んだ大手出版社勤務の常識人、黒瀬くろせヒロである。

 なつみの家は閑静かんせいな住宅街にあった。

 豪邸と言うほどではないが、『こじんまり』といった感じでもない。生活水準としては上の下と言ったところか。家を見ただけでなかなかの経済的水準にあることがわかる。もちろん、その程度の経済力がなければ世界を狙えるダンサーに育てることが出来るほど、娘に金をかけられるわけもない。

 広々とした庭には手入れの行き届いたコニファー――観賞用の針葉樹――が植えられ、庭造りにもかなりの金をかけていることが知れる。

 森也しんやはコニファーに視線を送ったまましきりに胸元のネクタイをいじっている。なんとも落ち着かない様子だし、顔色も少々、悪いようだ。

 ――慣れないネクタイで苦しいのかな?

 さくらは最初、そう思ったが、ふと思い当たった。

 以前にもこんな様子の森也しんやを見たことがある。ふたりで一緒にLEOレオの見学に行ったときだ、そのときの森也しんやがちょうどこんな感じだった。

 落ち着きがなかったし、顔色も悪かった。まあ、いまはあのときほどではないが。

 「……兄さん。もしかして、緊張してる?」

 人前で無意味に見栄を張ったりするような森也しんやではない。妹の問いに素直にうなずいた。

 「知らない人間に会うのは苦手だからな」

 「いまもそうなんだ」

 「前にも言ったろ。『やれば出来る』ようになったとは言え、本質的にはかわってないんだ。出来れば、知らない人間とは会わずにすませたい」

 その言葉に――。

 ――兄さん。あの頃とかわっていないところもあるんだ。

 さくらはそう思い、不謹慎ふきんしんながらちょっと安心してしまった。

 「なんだ、なんだ、水臭いぞ、藍条あいじょう。そのときのための赤岩あかいわあきらさまだろうが。お前の苦手な分野はこのわたしが見事、担当してやる。鉄鋼船に乗っていくさに出向く気でいるがいい」

 と、あきらは森也しんやの背中をバンバン叩いた。見た目ばかりは小柄で華奢きゃしゃ、お人形のように可愛らしいというのに態度の方はとにかくデカい。

 「……ああ。頼む」

 ――うわっ、兄さん、本当に弱気になってる。

 森也しんやの返事にさくらはそう思った。

 いままで、あきらに対してこんな風に頼るような姿を見せたことはなかった森也しんやである。

 ――兄さん、本当にいまも人付き合いは苦手なままなんだ。ここは、あたしが兄さんと世間の架け橋としてしっかりしないと。

 そう思い、気合いを入れるさくらであった。

 森也しんやは妹の気を知ってか知らずか、大きく息を吸い込んだ。深く、ゆっくり吐き出してから言った。

 「では、行くぞ」

 その言い方がほとんど戦場におもむく徴用ちょうようへいのよう。とても、一般人の家に挨拶に向かうだけとは思えない。よく見れば脚全体が小刻みに震えているのがわかっただろう。

 それでも、とにかく、森也しんやは家のチャイムを押した。すぐそばでまっていたのだろう。すぐにドアが開き、なつみが姿を現わした。

 「いらっしゃい。まってたわ」

 森也しんやに対してはすでに脳内友だち登録しているので、敬語はもう使わない。服装もTシャツにジーンズというシンプルな私服姿。しかし、その表情は微笑ひとつ浮かべていない真剣なもので、これから来たるときへの決意が込められていた。

 「またせたな。では、頼む」

 「ええ」


 森也しんやたちは居間に通され、なつみの両親と面会した。どちらも四〇を過ぎたばかりの若い親だ。ふたりとも、家の外見から感じられるとおりの『やり手』といった印象がある。

 大手企業のエリートビジネスマン。

 一目見てそう感じさせるふたりだった。

 なつみが両親に森也しんやたちを紹介した。

 「父さん、母さん。この間、話したクラスメートの緑山みどりやまさくらさんと、そのお兄さんの藍条あいじょう森也しんやさん。それと……」

 「お初にお目にかかる。富士ふじ幕府ばくふ将軍、赤岩あかいわあきらである!」

 なつみの両親は目を丸くした。

 見た目ばかりはお人形のように可愛らしい女性が羽織袴にちょんまげという出で立ちで、どこぞの塾長ばりの挨拶をしてのけたのだ。目を丸くするのが当然だった。

 「頭、だいじょうぶか?」と、反射的に言わなかっただけ礼儀と節度をわきまえている。

 「黒瀬くろせヒロです」

 「四柴ししばまもる

 と、残るふたりも自己紹介した。

 なつみの両親も頭をさげて丁寧ていねいに挨拶した。

 一応の挨拶が終わり、さっそく本題。

 『保護者の説得は君自身に行ってもらわなくてはならない』

 森也しんやがそう言ったとおり、最初に口を開いたのはなつみだった。

 「父さん。母さん。この間、話したとおり、あたしはもう一度、舞台に立って思いきり踊りたい。藍条あいじょうさんたちはそのために協力してくれる。あたしにもう一度、舞台に立つチャンスをくれる。お願い。そのことを承知して!」

 「しかし……」

 娘の懇願こんがんに――。

 まだ若い両親は困惑こんわくの表情を浮かべた。不安を隠しきれない表情で森也しんやたち一行を見回す。

 娘の願いは叶えてやりたい。

 しかし、見ず知らずの、それもこんな怪しげな連中に大切な娘を任せていいものか。

 そう疑っている目だ。

 あまりにももっともな疑いであり、警戒だったので、誰も不快に思ったりはしなかった。誤解されがちだが、あきらにしても自分が世間からは『変わりもの』に見られることは承知している。承知した上で自分を貫いている。

 「お疑いはごもっともです」

 森也しんやが言った。

 「ですが、この赤岩あかいわあきらは、見た目はともかく名の通ったマンガ家。詐欺の類いを働くのは社会的な損失が大きすぎます。そのことは、こちらの黒瀬くろせヒロが証明してくれます」

 「わたしに関しては……」

 ヒロが改めて名刺を差し出しながら言った。

 「こちらの勤め先に連絡していただければ確認できます。いつでも、ご確認ください」

 「あ、いや、別に疑っているわけでは……」

 立てつづけに言われて気まずくなったのだろう。なつみの父親は口ごもった。

 「遠慮は無用です。大切なお嬢さんに近づく見ず知らずのやから。警戒しない方がおかしいのですから。とくに、この四柴ししばまもるに関しては年頃の娘をもつ親なら誰もが『近づかせたくない』と思うのが当然。ですが、医師としての技術だけは超一流。その点はなつみさんの主治医も認めております」

 と、森也しんやは一枚の封筒を取り出した。

 「こちらが主治医からの紹介状となります。ご確認ください」

 父親は言われるままに封を開き、なかの文書を読んだ。一瞬、安心したようになった表情が次の瞬間、より一層、深い不安を抱えたものになった。

 「たしかに腕は保証するとありますが、その……」

 森也しんやはなにが書いてあるのか察してうなずいた。

 「ええ。その通り。この四柴ししばまもる、人体修理の腕にかけては右に出るものはいませんが、同時に女癖は徹底的に悪い。その点を隠しはしません。ですが、私としてもなつみさんをこの男の毒牙にかける気は毛頭ありません。監視は行いますし、ふたりきりにさせるようなことは決してしません。診療しんりょうのときには必ずこのさくらが付き添います」

 森也しんやはそう言って妹を指し示した。

 さくらも力強くうなずいた。

 「任せてください。大事な友だちをひどい目に遭わせはしません」

 それを聞いて――。

 ふん、と、鼻を鳴らす四柴ししばであった。

 「父さん。母さん」

 なつみが再び言った。

 「あたしのことを心配してくれるのは嬉しい。でも、あたしはどうしてももう一度、踊りたいの。たとえ、どんなことをしても。だから、認めて。お願い」

 「……うむ」

 娘の必死の願いに――。

 若い両親はなおさら渋い表情になった。

 「御尊父ごそんぷ御母堂ごぼどう

 あきらが見た目にふさわしく時代がかった表現でなつみの両親に語りかけた。

 「わたしのこの姿を見て不審に思うのは理解出来る。まことに、もっとも。しかし、わたしとて趣味や悪い冗談でこんな格好をしているのではない。富士ふじ幕府ばくふの将軍としてふさわしくあるために、この正装をまとっている」

 りんとした表情でそう語るあきらにはたしかに『将軍』と言っていいだけの貫禄かんろくがあった。

 「そして、富士ふじ幕府ばくふはこの世界を新しくするために、地球上のあらゆる問題を解決し『月でピザを食える』世界を手に入れるために活動している。どうか、そのむねを説明させていただきたい」

 そう前置きしてから、あきらは滔々とうとう富士ふじ幕府ばくふについて語った。

 その理念を、目的を、あますところなく語ったのだ。

 その膨大な、しかも、時代がかった口調での言葉をなつみの両親がどこまで理解出来たかは疑わしい。しかし、情熱だけは伝わった。話を聞くうち『相手の真意を疑う』という意味での不審感はふたりの表情からは消えていった。

 「ご両親」

 あきらの言葉を引き継ぎ、森也しんやが口にした。

 「富士ふじ幕府ばくふの理念と目的に関してはいま、将軍から話されたとおりです。そしていま、富士ふじ幕府ばくふ水舞みずまいを広げようとしています。生まれた場所に関係なく誰もが自分の未来に希望をもって生きることができるよう、そんな世界を作るために。そのために、水舞の踊り手を必要としています。なつみさんにはその役割をこなせるだけの熱意がある。どうか、認めていただきたい」

 森也しんやはそう言って頭をさげた。

 さくらたちもそろって頭をさげた。

 やがて、父親が言った。

 「……お任せしましょう」

 「やったあっ!」

 なつみが叫んだ。

 喜びのあまり、飛びあがった。

 「なつみ! ひざ、膝!」

 さくらが思わず心配して止めに入るほどのはしゃぎ振り。

 父親はその騒ぎをよそに森也しんやをじっと見つめた。森也しんやもその視線を真っ向から受けとめた。父親は森也しんやに言った。

 「お任せする。そうは言ったが、信用したわけではない。まして、娘になにをしても良いなどと思っているわけではない。もし、娘や私たちを裏切るようなことがあれば、そのときは……」

 「ご心配なく」

 森也しんやは父親に最後まで言わせなかった。

 「あなたがなにかをするまでもない。そのときはおれの手で始末を付ける」

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