ステージ8 パ○リロとバ○コ○ン

 ――年頃の娘をもつ親なら絶対、娘に会わせたくないと思う。

 森也しんやがそう言った理由が一目でわかる男だった。

 四柴ししばまもる

 男。

 三二歳。

 職業・医師。

 肩書きだけですでに上級国民。一八〇センチ以上の長身で身を包み、クールで理知的な視線をたゆたわせるその顔立ちは『イケメン』だの『ハンサム』だのといった言葉ではなく、『美貌』という表現こそがふさわしい。

 だからと言って、『女っぽい』というわけではまったくない。

 完全無欠の美貌の男。

 それが、四柴ししば

 四柴ししばまもる

 藍条あいじょう森也しんやが集団のなかにいればまったく目立たないタイプなのに対し、この男は集団が大きければ大きいほどかえって目立つ、そういうタイプ。どこか、退廃たいはいてきな雰囲気をただよわせ、完璧な美貌は平気で女を捨てるヤクザ的な野蛮さと冷淡さを感じさせる。

 総じて『まっとうな人間』という感じはなく、見るからに『ヤバい』やつ。そのヤバ系フェロモンが女を引きつけるのだろうがなるほど、これは年頃の娘をもつ親なら絶対、娘には近づけたくないと思う種類の男にちがいない。

 『医師』と言うより『おれさま系ホスト』。

 そう言われた方がよっぽど納得できる。そういう男だ。

 ――女の人、すっごい泣かしていそうだもんね。

 さくらは一目見て、そう思った。と言うより、確信した。そして、思わず距離を取った。

 ――一〇代の娘は近づいただけで妊娠させられるから近づいてはいけない。

 そんな、神の声が聞こえてくるような男であったのだ。

 「その直感は正しい」

 森也しんやが妹を毒男からかばうように立ちながら、乙女の直感を保証した。

 「こいつは、見た目と立場を利用してやりたい放題。泣かした女は星の数、だからな。絶対、ふたりきりになるなよ。近づきもするな」

 「言われなくても近づいたりしないわよ」

 いつも礼儀正しいさくらにしてはっきりとそう口にするぐらい、四柴ししばまもるという男には危険な雰囲気があった。そして、また、『どんなにひどいことを言ってもかまわない』と、相手に思わせるだけの悪党振りをも感じさせるのだった。

 「ねえ。こんな人、本当になつみに近づけさせていいの?」

 声も潜めずにそういうあたり、さくらの気持ちが良く出ている。

 「残念ながら、『技術だけ』はこいつが随一なんでな。悪さをしないよう管理はする」

 「よけいな心配だ」

 四柴ししばが言った。

 その声がまた、一流の映画俳優のように質が良い。

 「一〇代の子供など、頼まれても相手にするものか」

 「そう言って、女のプライドを刺激してものにするのが手口だろうが」と、森也しんや

 「高校生どころか、中学生にまで平気で手を出しやがって。しかも、それがバレて問題になると医師会の権力を使ってもみ消す始末だからな」

 「この人、そんなことするの⁉」

 さくらが叫んだ。四柴ししばを見る目はもはや完全に犯罪者を見るそれである。と言うか、その所業しょぎょうの数々を思えば文句なしの『犯罪者』なのだが。

 「せっかく、手に入れた、医師という金と権力の成る木だ。使わなくてどうする」

 気に入らないなら、自分も同じ立場になるんだな。

 四柴ししばは犯罪者を見る目で見られながら、悪びれもせずにそう言ってのけた。

 自分の所業が『悪』であることを自覚しながら、言い訳もせず、正当化もしない。堂々と悪として振る舞う。女性向け恋愛マンガに出てくるおれさま系主人公を思わせる男だった。

 「医師は人の身命を救うのが役目だろうが。その使命と倫理はどうした」

 「そんなことをとやかく言われる筋合いはないな。おれはブラックジャックを目指し、医師となった。それだけだ」

 ――ブラックジャックを目指した? それじゃ、実は良いお医者さんなの?

 さくらはかなり意外な気持ちでそう思ったが、

 「お前が目指したのは大金をせしめる点だけだろうが」

 ――あ、納得。

 と、森也しんやの言葉に心から納得したのだった。

 「まったく、相変わらずね。このふたりは。顔さえ会わせればやり合うんだから」

 と、四柴ししばと共に森也しんやに呼ばれた女性が呆れたように溜め息をついた。

 「あ、えっと……黒瀬くろせさん、でしたよね?」

 「ヒロでいいわ。会社でもそれで通ってるから」

 その女性は男性的な、サバサバした口調でそう言った。

 黒瀬くろせヒロ。

 『ソーシャルメディア・ファクトリー』の社員であり、赤岩あきらの担当編集。つまりは、赤岩あきらのデビュー作にして代表作『海賊ヴァン!』の担当編集というわけだ。

 森也しんややあきらとは同い年。見た目はなかなかの美女だが小学生の頃から剣道をやっており、大学時代には全国大会常連になっていたという猛者もさでもある。あきらの担当編集に選ばれたのはまさに、その度胸と腕っ節の強さを買われてのことだった。

 「このふたり、いつもこんな感じなんですか?」

 さくらがなおも言い合いをつづけている森也しんや四柴ししばを横目に見ながら、ヒロに尋ねた。

 「まあね。身内の間では有名だから。『がめつくないパ○リロと女好きのバ○コ○ン』ってね」

 「はあ……」

 マンガにくわしくないさくらはそう言われてもピンとこないのだが、じっとふたりの姿を注視している。

 ヒロは、そんなさくらを見てクスリと笑った。

 「気になる?」

 「気になるって言うか……兄さんのまわりってなんか女の人ばっかりだから、男の人と話してるのがなにか不思議と言うか……」

 「ああ」と、ヒロは納得顔でうなずいた。

 「たしかに、こいつ、付き合い嫌いを公言してるくせに危険人物だものね。女子相手となるととたんにタチの悪さを発揮するから」

 「わかります」

 と、さくらは心の底からうなずいた。

 「人を女好きみたいに言うな」

 森也しんやが、ヒロの言葉を聞きとがめて口を挟んだ。『女好きのバ○コ○ン』の相手はいったん、棚上げにしたらしい。

 「上品で文化的な人間として、男特有の醜さとがさつさには耐えられないと言うだけだ。別に女が好きなわけじゃない」

 「どうだか。言っとくけどあんた、行動は完全に女好きのそれよ」

 森也しんやはその言葉は無視してさくらに言った。

 「さくら。改めて紹介しておく。こいつは黒瀬くろせヒロ。おれと赤岩の担当編集だ。まあ、おれはもう『ソーシャルコミック』での連載は終わっているから『元編集』だけどな。いまでは、なにかと身内のゴタゴタを持ち込んでくるだけの傍迷惑な存在でしかない」

 「ずいぶんな言い方じゃない。これでも『元引きこもりマンガ家』の担当って言うことで気を使っていたのよ?」

 「気を使った結果が、おれの家での大ゲンカか?」

 「ちょっ……⁉」

 ヒロが顔中を真っ赤に染めた。なにか言いたそうだったが言葉が出てこない。

 「大ゲンカ?」

 キョトンとした表情になったさくらに対し、森也しんやは説明した。

 「おれと赤岩とこいつの三人で仕事の打ち上げをしていたときのことだ。いつも通り、〆切をぶっちぎって気持ちよさそうにしている赤岩にぶちギレてな。そのまま殴り合いに突入した。なにしろ、どっちも剣道全国大会常連だから、やり合うとなるととことんやる。おかげで、おれの家はボロボロだ」

 「その件はちゃんとあやまったでしょ ……会社と交渉してちゃんと賠償金だって出してもらったし。言っておくけど、そのためにあたしの給料、削られたんだからね」

 「謝ってすむ問題か。PCから外付けハードディスク、保存用のDVDまで、まとめて踏みつぶしやがって。そのせいでデータの大半がなくなったんだぞ」

 「それは……⁉」

 ヒロはさすがに絶句した。『一言もない』とはまさにこのこと。顔を真っ赤に染めて押し黙ってしまった。

 とは言え、森也しんやは本気で怒っているわけではない。さくらはそのことがわかっていた。森也しんやはめったなことでは怒らないがその分、一度、怒ると一生もの。一気にすべての関係を断ち切り、決して許すことはない。相手が目の前にいようと目もくれず、口も効かない。そう言う人間だ。それがこうして言葉で責めているということは、実は『怒っていない』ということなのだった。

 ――でも、怒ってもいないのにわざわざ言葉責めするあたりがSっぽいのよね、兄さん。

 そう思うさくらであった。

 「漫才はそのへんにしておけ」

 四柴ししばが言った。

 つい先ほどまで、自分こそ森也しんやと漫才をしていたのにすっかり棚にあげている。

 「仕事だと言うからきたんだ。さっさとその説明をしろ」

 森也しんやは言われてなつみのことを説明し、診断書を手渡した。その診断書に記されている医師の名前を目にして、四柴ししばは言った。

 「この医師なら知っている。二流どころのあいつにしてはまともな診断書だ」

 そう言ってからつづけた。

 「たしかに、このひざは治らんな。切除して他人の足をつなげるのか? 金と、かわりのパーツさえもってくればいつでもやってやるぞ」

 ――うわ。この人、かあらと同類だ。

 さくらはそう思って、おののいた。

 「手術はなしだ。お前には、かのひざのサポートケアをしてもらう」と、森也しんや

 「あたしは、なにをすればいいわけ?」と、ヒロ。

 「あたしは治療の役になんて立てないわよ?」

 「親への挨拶に同行してもらいたい」

 「挨拶?」

 「まだ未成年だからな。保護者の許可を得る必要がある。そのための挨拶だ。許可を得るにはひとりぐらい、社会的な信用のある企業に勤める常識人が必要だろう。こいつと赤岩だけでは塩をまいて追っ払われるのがオチだ」

 「納得した」

 と、深々とうなずくヒロであった。

 「それで? 報酬はいくらだ?」と、四柴ししば

 ――報酬が折り合わなければ協力しない。

 その表情がそう言い切っている。

 「これだけだ」

 と、森也しんやは数字を表示させた電卓を手渡した。

 四柴ししばは鼻でわらった。

 「足りんな。最低、これだけはもらおう」

 「おれはマネーゲームはしない。駆け引きには応じない。こちらが適切と思える料金はすでに提示している。お前に選べるのはこの金額で承知するか、それとも、承知せずに帰るか、それだけだ」

 「ずいぶんと強気だな。おれが引き受けなかったら誰が引き受けると言うんだ?」

 「自惚うぬぼれるな。医師など世界中にいくらでもいる」

 「おれに並ぶものはいない」

 「お前に並ぶ必要はない。必要なケアさえ出来ればな。それでも、いないと言えるのか?」

 再び、言い合いをはじめたふたりにヒロは深々と溜め息をついた。

 「帰りましょう。このふたりはもう放っておいていいわ」

 「えっ、でも……」

 「こうなったら関わるだけ無駄よ。どっちも理屈にこだわるから、言い合いをはじめると終わらないんだから。付き合っていたら何日かかるかわからないわよ」

 果たして、ヒロの言ったとおり、森也しんや四柴ししばは実に三日三晩にわたって交渉をつづけた。ふたりとも、やつれきった様子で最後のまとめをしている。

 「……では、いいな。この条件で最後だ」

 「……よかろう」

 そんなふたりの様子を見て、さくらは言った。

 「……まさか、三日三晩やり合うとは思わなかった」

 ヒロが溜め息をつきながら答えた。

 「そこが『パ○リロとバ○コ○ン』って言われるところなのよ」

 南沢なつみが親との約束を取り付けてやってきたのは、そんな頃のことだった。

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