ステージ4 その名は南沢なつみ

 「誰⁉」

 なつみの鋭い声が響いた。

 明らかに誰何すいかの声。

 明らかに不審者を見るその目。

 完全に警戒されている。

 ――うわわっ、まずい! これじゃ、第一印象、最悪じゃない!

 さくらはさすがにあわてた。この状況ならこっそり盗み聞きしていたことなどすぐにわかる。友人同士で、当たりさわりのない内容……とでも言うならまだしも、会ったこともない赤の他人で、しかも、なかなかに深刻そうな会話の内容。これでは、

 ――あたし、ただのヤバいやつじゃない!

 風噂ふうさに引っ張られてのこととはいえ、途中からは完全に自分から聞き耳を立てていた。責められれば反論のしようもない。

 ――そりゃあ、アスリートって聞いて、もしかしたら兄さんの計画に参加してもらえるかもって思ったからだけど……。

 『実は、あたしの兄が世界の問題を解決するための計画を立てているの。あなたにも参加してほしくて……』

 なんて言って、誰が納得する?

 するわけない!

 どこかの新興宗教の勧誘かなにかと思われるのがオチだ。

 ――このままじゃ本当にヤバい。なんとかつくろわないと。でも、どうやって?

 さくらはパニックになりかけの頭で、なんとか表面だけでもごまかせないか考えてみた。しかし――。

 この場にいるもうひとり、首謀者しゅぼうしゃであるほうはそんなことを気にするようなタマではなかった。

 「突撃タ~イム! 謎の転校生に突撃取材!」

 どうやら『とっておきの決め台詞!』と思っているらしい台詞と共にツッコんでいく。いきなりのテンションに、なつみも『な、なに……?』と、完全に引いている。そのおかげで不審者を見るような警戒感はなくなっていたけれど……もっと、アブないやつを見るような目になっている。

 ――ああもう、風噂ふうさったら!

 本当に、どうして自分はこんな常識無視の校内スピーカーと行動を共にしているのだろう。前世でなにか悪いことでもしたのだろうか?

 ――なんか、本気でそんな気がしてきたわ。

 そう思い、頭を抱えるさくらであった。

 もちろん、風噂ふうさの方はそんなことは気にしない。絶好の取材目標を目の前にして飢えた肉食獣のごとく襲いかかっている。

 「やっほー。あたし、広渡ひろわたり風噂ふうさ。新聞部の期待のホープ。よろしくねえ~」

 「は、はあ……」

 一応、自己紹介だけはする分、まだしも礼儀と常識を心得ていると言うべきかも知れないが……。

 ――なに、この珍獣?

 なつみはそう言いたげな目で見ているのだった。

 「さて、それでは、謎の転校生にさっそく質問!」

 どんな目で見られようと、それどころか、面と向かって指摘されようと、一向に気にしない風噂ふうさはいつもの調子を遺憾いかんなく発揮している。

 ――本人相手に『謎の転校生』なんて堂々と言っちゃう鋼メンタルはすごいかも知れないけど……ますます怪しまれるでしょ!

 「転校生?」

 と、なつみ。目をパチクリさせている。

 「そうそ。一学期のこんな時期に転校してくるんだもん。よっぽどの事情があるはずでしょ。ぜひとも、それを取材したく……」

 「あたし、転校生じゃないよ?」

 「まずは、あなたの正体から……へ? 転校生じゃない?」

 「うん」

 「だ、だって、いままで見たことないし……」

 「事情があって来られなかっただけで、最初から入学してたよ」

 「ええ~、そうなの⁉」

 取材対象を失った風噂ふうさの嘆きの叫びが学校中に響き渡った。

 なにしろ、いちいちオーバーアクションの風噂ふうさである。ガッカリしたときの落ち込み振りも半端ではない。その様子たるや、傍迷惑な突撃取材を受けた側が『なんか、ごめんなさい』と謝りたくなってしまうほどのもの。なつみも例外ではなく、表情が曇った。

 これはいかん、と、さくらはふたりの間に割って入った。

 「いい加減にして、風噂ふうさ。失礼すぎるでしょ」

 言いながら風噂ふうさの体を押しのける。

 考えてみれば、この場はさっさと逃げてしまうべきだったかも知れない。風噂ふうさのインパクトが強すぎてさくらのことなど忘れているだろうからこの場は風噂ふうさの陰に隠れて逃げ出して、後日、何食わぬ顔で初対面を装えば最悪の第一印象を引きずらずに関わることが出来ただろう。しかし、こうして正面に出てきたせいで顔を覚えられてしまった。損と言えば損な態度だが、真面目な優等生であるさくらにはそんな意味での要領の良さはなかった。

 「ごめんなさい、この子、ちょっと熱心すぎて……」

 と、さくらは少々控えめすぎる表現を使った。これが森也しんやであれば『すまないな。こいつは節度と礼儀と常識を忘れて生まれてきたスカポンタンなもので』とかはっきり言うところだが、さくらはそこまで正直になれない。

 「は、はあ……」

 なつみはまじまじとさくらの顔を見つめている。

 ――うっ、まずい。これじゃ、風噂ふうさよりむしろ、あたしの方が主犯と思われてしまう。

 さくらがそう思っていると、そこに諸悪しょあく根源こんげんがめげることなく出しゃばってきた。

 「ちょっと、さくらちゃん! 取材の邪魔、しないで」

 「そっちこそ引っ込んでて!」

 「あたしにはジャーナリストとして真実を世界に広めるという使命があるの!」

 「それが傍迷惑だって言ってるのよ! 第一、転校生じゃないなら取材する必要もなくなったでしょ」

 「それならそれで、いままで学校に来れなかった事情ってやつが気になるじゃない。新聞部の期待のホープ、そして、未来の大ジャーナリストとして放っておけないわ」

 「失礼でしょ、初対面の相手にそんなこと聞くなんて。節度と礼儀と常識をわきまえて!」

 「ぷ……」

 突然――。

 なつみの口から声がもれた。

 「あはは、あはははははっ!」

 なつみがいきなり腹を抱えて笑い転げた。これにはさすがにさくらも、そして、風噂ふうささえも唖然あぜんとして眺めているしかなかった。

 「あは、あはははははっ! ご、ごめんなさい……あはは。あ、あたし、一度、笑い出すと止まらなくって……」

 本当に一度、笑い出すと止まらないタイプらしい。苦しげに笑いながら、目にたまった涙をぬぐっている。

 「こら、なにをしている」

 担任教師が部屋のなかから顔を覗かせた。

 「広渡ひろわたり緑山みどりやま。また、お前たちか」

 ――『またお前たち』って……あたし、もう風噂ふうさとコンビ認定されてる⁉

 物心付いた頃からの優等生としては少なからずショックな現実であった。

 「お前たちのことだ。なにをしていたか見当は付いているが、もう授業のはじまる時間だぞ。さっさと教室に向かえ。同じクラスなんだから友情を深める時間はたっぷりあるんだからな」


 「南沢みなみさわなつみです。よろしくお願いします」

 授業前のホームルーム。なつみは教壇の横に立つとクラスのみんなに向かって頭をさげ、挨拶した。担任の教師が言葉を添える。

 「南沢君はある事情からいままで学校に来られなったが、れっきとした我が校の生徒であり、最初からのこのクラスの一員だ。そのことを忘れずに接するように」

 それから、なつみに向かって言った。

 「では、席に着きなさい」

 「はい」

 なつみは迷うことなく席に向かった。

 そこは、始業式当日からずっと空いていた席だった。


 さくらはその日は一日中、授業が頭に入らなかった。なつみのことがずっと気になっていた。なつみにどう思われているかが気になっていた、と言うべきか。

 ――さすがに、あの初対面はないわよね。

 そう思い、とにかく恥ずかしい。

 ――顔から火の出る思いってこのことか。

 物心付いたときからの優等生人生。こんな恥ずかしい思いをしたことはない。

 何度も話しかけようとは思ったのだが、なかなか機会がつかめない。これが普通の転校生であったなら興味をもったクラスメートがあれこれ話しかけるだろうから、その流れで話に加わることも出来ただろう。しかし、やはり、担任の言った『ある事情』とやらに遠慮したのだろう。みんな、なつみの存在を気にしながらもチラチラと視線を送るだけで誰ひとりとして近づこうとしなかった。なつみの方も黙々と授業をこなすだけでクラスメートに話しかけようとはしなかった。その態度がまた話しかけるためのハードルを高くしている。

 結局、話しかけるどころか近づくこともできずに放課後を迎えてしまった。帰宅部のさくらには授業が終わればそれ以上、学校にとどまる理由がない。なつみにしても今日が初登校とあっと手は部活などには入っていないだろう。すぐに帰ってしまうはずだ。

 ――はああ~。結局、近づくこともできなかったなあ。あの初対面だけはなんとかフォローして起きたかったんだけど。

 悔やみはしたが致し方ない。明日こそは思いきって……。

 さくらはそう思って、明日のために気合いを入れた。ところが――。

 「ねえ」

 ふいに声をかけられた。反射的に見るとそこに南沢みなみさわなつみが立っていた。

 ――えっ? えっ ?向こうから声をかけてきた? なんで? どうして?

 さくらはほとんどパニックに陥った。あの初対面からして好意的に思われているはずがない。それなのに、向こうから声をかけてきた。となれば……。

 とても、楽観的な展開は予想出来ないさくらであった。

 「ねえ」

 「な、なに……⁉」

 「名前。まだ聞いてなかった」

 「あ、ご、ごめんなさい! 名乗るどころじゃなくなっちゃったから……。あたしは緑山みどりやまさくら。よろしく……」

 「緑山みどりやまさんね。こちらこそよろしく」

 と、なつみは礼儀正しく頭をさげる。

 さくらはいましかない! とばかりにあわてて言った。

 「あ、あの、さっきはごめんなさい! 悪気があったわけじゃないんだけど……」

 悪気もなしに盗み聞き出来るなら、その方が怖い。

 そのことに気がついたのは言ってしまったあとだったので、もうどうしようもなかった。

 けれど、なつみは意外なことにニッコリ微笑んだ。

 ――かわいい。

 さくらが思わずそう感じる笑顔だった。

 アスリートらしく短く整えられた髪。小さな顔とネコのように大きな目。肌もきれいだし、スリム体型のスタイルも抜群。ギャルのように目立ちはしないが、男子の間で密かに人気になりそうな、そんなタイプだ。

 「いいのよ。おかげで思いきり笑えたし。本心から笑えたのは久しぶりだったから」

 「は、はあ……」

 ――本心から笑ったのは久しぶり? それってやっぱり『ある事情』ってやつと関係してるの?

 「話してあげようか?」

 「えっ?」

 「あたしの事情。聞きたいんでしょう?」

 「なんで、わかるの⁉」

 「そりゃあ、わかるよ。あんなにチラチラ見られてたらね」

 「うっ……。一言もない」

 「かまわないよ。別に隠すようなことでもないし。それに……」

 「それに?」

 「あんな目でずっと見られているのも気になるし」

 と、なつみが視線を向けた先。そこには椅子の背に隠れるようにしてジト~と、なつみを見つめている風噂ふうさがいた。

 ――うっ、たしかに……。

 あんな目で一日中、見張られるぐらいなら、さっさと事情をあかして解放されたい。

 誰だってそう思う。

 「……ほんと、ごめんなさい」

 そう言いながら、

 ――なんで、あたしが謝ってるの? これじゃまるで、あたしが風噂ふうさの責任者みたいじゃない。

 そうは思ったが、成り行き上、致し方ない。

 「三人で話せる場所ある?」

 なつみに問われてさくらは答えた。

 「それじゃ、屋上で」

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