ステージ3 謎の転校生?

 「謎の転校生?」

 なんともクラシックな言い回しにさくらは目をパチクリさせた。

 「謎の転校生って……いまどき、そんなのいないでしょう」

 「それがいるのよ!」

 と、風噂ふうさ。やたらと興奮している。目をキラキラさせたその姿はたしかに純真で美しい。やっていることが校内ゴシップの収集と拡散、などという傍迷惑な行為でさえなければ。

 しかし、自分の行為を『偉大なジャーナリズムのはじまり』と信じて疑わない風噂ふうさはそんなことは気にしない。両の瞳をキラキラと輝かせたままさくらに伝える。

 「いま、生徒指導室で先生と話してるのよ。けっこうかわいい女の子らしいわよ」

 ――生徒指導室? 転校生が? 職員室ならわかるけど生徒指導室ってどういうこと?

 「……って言うか、しょっちゅう、生徒指導室をのぞくような真似してるわけ?」

 さくらはさすがに気になって苦言を呈した。しかし、自分の正義を信じて邁進する風噂ふうさは聞いていない。ひたすら、自分の興味を語りつづける。

 「ねえねえ、どう思う? 一学期途中のこんな時期に転校してくるなんて絶対、普通の人間じゃないと思うのよ。その正体は果たしてなにもの? 宇宙人か、未来人か、はたまた陰ながら世界を守るために戦う魔法少女か……。そして、学校側はそのことを知っているのか。いま、学校を舞台にした魔法少女の戦いがはじまる!」

 「……それ、いつの時代の学園ものよ」

 さくらは、さすがに呆れて眉をひそめた。ラノベに縁のないさくらとしてはそう言うしかない。

 「とにかく! ここでこんなことしていられないわ。さっそく、確かめに行きましょう!」

 「行くって……どこに? なにしに?」

 「決まってるでしょ。生徒指導室よ、生徒指導室。先生とふたりでなんの話をしているのか確かめなくちゃ」

 「それってただの盗み聞きでしょ! そんなこと、できないわよ」

 「真実を探り、世界に伝えるためには、ときには危ない橋を渡ることも必要!」

 「あなたはあちこちで盗み聞きするのが普通でしょう」

 「さあ、行こう! 真実を求めて東へ、西へ!」

 「ちょ、ちょっと……!」

 風噂ふうさはその名の通り風のような勢いで走り出す。さくらは放ってもおけず、と言うか、ついついつられて後を追ってしまう。ふたりはまとめて教室を飛び出した。


 「抜き足、差し足、忍び足、と」

 風噂ふうさが勢いよく走っていたのは最初のうちだけで生徒指導室に近づくにつれて静かに歩くようになった。なったのはいいのだが……。

 「……ねえ。なんでそんな変な歩き方してるわけ?」

 風噂ふうさの歩き方ときたらまるで、コメディ映画でよく見られる大仰な忍び足のよう。おかげでとにかく目立つ、目立つ。廊下ですれ違う人間、人間、全員、珍獣でも見るかのような目でジロジロ見ていく。一緒にいるさくらとしては恥ずかしくてたまらない。

 ――って言うか、あたし、なんでこの子と一緒にいるわけ?

 考えてみれば風噂ふうさと一緒にいる理由などないはずだった。『謎の転校生』とやらに興味はないし、盗み聞きするような真似もしたくはない。風噂ふうさと一緒にいるべき理由がないどころか、一緒にいるべきでない理由の方がある。

 ――なのに、なんか勢いにつられて一緒に来ちゃったし、いまさら、ひとりで帰るのもなあ……。

 ついついつられて追いかけてしまったことを、本気で後悔するさくらであった。

 「なに言ってるの。物事には様式美ってものがあるでしょ」

 さくらは様式美、などという言葉が風噂ふうさの口から出たことに驚いた。どちらかと言うと頭の軽い、小難しい表現とは縁のないタイプだと思っていたのだが。

 ――でも考えてみればジャーナリズム志望だものね。言葉は知っていて当たり前か。

 勢いがよすぎていつも悪ふざけしているようにしか見えない風噂ふうさだが、『未来の大ジャーナリストになる!』という思いは本物。そのための勉強も欠かさずしているらしい。『らしい』というのは風噂ふうさが決して努力しているところを見せようとしないからだ。それこそ、図書室で真剣な表情で分厚い本を読み込んでいるところは何度か見たことがあるのだが、声をかけるとすぐに悪ふざけでごまかしてしまう。

 ――そう言えば、あきらさんは『プロは努力しているところを人に見せるものじゃない』って言っていたっけ。風噂ふうさも同じタイプなのかも。

 ちなみに、森也しんやは『見られていようが、いまいが、努力するのがプロだ』という意見だった。

 ――だとすると風噂ふうさも実は結構なプロ意識の持ち主なのかも。

 だとすればこの珍妙ちんみょうすぎる歩き方もプロ意識の発露はつろに思え、むくむくと尊敬の念が沸き起こ――。

 ――るわけないでしょ! 恥ずかしいだけだわ。

 さくらは安っぽい良識論を一刀両断にした。

 「それって、どんな様式美なのよ?」

 「映画では探りを入れるときは、こういう歩き方をするのが定番なの」

 「……それって、B級コメディでしょ」

 ともかく、ふたりは生徒指導室の前までやってきた。人目にも負けず、ここに来るまでずっとコメディ映画風の歩き方を押し通したのはいっそあっぱれと言えるかも知れない。同行しているさくらには迷惑なだけだったが。

 「静かに、静かに。気をつけて、気をつけて」

 風噂ふうさは声を落としてそっとささやく。さくらはそんな風噂ふうさに尋ねた。

 「なんで、そんなに気をつけないといけないの?」

 「先生に盗み聞きしてるのがばれたらヤバいでしょ」

 風噂ふうさはそう言いつつ、生徒指導室のドアに耳を押しつけ、なかの会話を聞き取ろうとする。

 「……ヤバいっていう自覚があるなら、やらなければいいじゃない」

 さくらはそう言ったものの、こちらとしてもいまさら回れ右するわけにもいかない。内心、しっかり後ろめたさを感じているが、

 『……風噂ふうさをひとりにしておいたら何をするかわからないものね』

 と言う理由でねじ伏せて、ドアにそっと耳を近づけ、そばだてる。

 断片的だけど中年男性と若い女子の声が聞こえてきた。男の声は担任教師。女子の声がいわゆる『謎の転校生』なのだろう。

 「……おれも学生時代は陸上をやっていた」

 そう語る教師の声はやけに沈痛ちんつうなものだった。

 「まあ、予選落ちが当たり前で、全国に出たことなんて一度もない。君のような『世界を目指そう』というアスリートとは比較にもならない」

 ――世界を目指す? アスリート?

 そのふたつの言葉がさくらの意識をつよく引いた。

 ――『謎の転校生』って世界レベルのアスリートなの? だとすれば、兄さんの求めている人材だけど……。

 さくらは森也しんやが語っていた『世界の問題を解決するための四つの手段』のひとつ、『良き敗者を作る』を思い出していた。

 『人の世は車輪のようなもの。下の部分は上をうらやみ、自分たちも上に行きたいと願う。そのために、車輪を動かそうとする。上の部分はその立場を守ろうと思い、車輪が決して動かないようにしようとする。車輪を動かそうとする力。車輪をとどめておこうとする力。そのふたつの力がぶつかり合えば車輪は砕け散る』

 『車輪が砕け散ることを防ぐためには止めないことだ。車輪を動かしつづけること、上と下がいつでも入れ替われるようにすることだ』

 『そのために『良き敗者』を作る。相手の力を認め、自分の敗北を受け入れることの出来る人間。自分の地位に拘泥こうでいすることなく、新たな覇者にその地位を譲ることの出来る人間。そして、勝者をねたまず、恨まず、賞賛し、自らもそうあろうと精進する人間。それが『良き敗者』だ』

 『『良き敗者』だけが『良き勝者』になれる。勝っておごらす、負かした相手を見下さず、敬意と礼儀をもって接することの出来る人間。人生のすべてが勝者のためにあるわけではなく、敗者には敗者の価値があるのだということを知る人間。だからこそ、自分が敗者になることを怖れず、その立場になることを受けいられる。そんな良き勝者が上にいればこそ、車輪を回すことが出来る。世界を壊すことなく秩序を動かしつづけることが出来る。人類を争いから卒業させようと思うなら、そんな人間を育てていかなきゃならない』

 『そのためにスポーツを利用する。スポーツは流動する秩序の典型だ。勝者と敗者が常に入れ替わり、立場が逆転する。それを、世界を壊すことなく、一定のルールのなかで成立させている。もし、チャンピオンが『自分は永遠にチャンピオンだ。自分の地位を脅かすことは許さない』などと言い出して一切の試合を禁じれば、自分が敗者になることを受け入れられず、勝つために反則をつづければ、もはやスポーツなど成立しない。自分が敗者になることを受け入れられる人間だけが、スポーツの世界を成立させることができる』

 『そう。スポーツを利用して『良き敗者』を育て、流動的な秩序を作りあげる。それが、人類を争いから卒業させるための四つ目の手順だ』

 森也しんやはそう語っていた。

 そして、その計画を実現させるために象徴しょうちょうとなるようなアスリートを求めている。そして、そんなアスリートを見つけ出し、森也しんやのもとへ連れて行くのがさくらの役割。森也しんやから与えられたかのだけの役割なのだ。

 ――もし、『謎の転校生』が世界レベルのアスリートだって言うなら、兄さんの望みに合うかも知れないけど。

 さくらはいまや風噂ふうさよりも熱心に聞き耳を立てていた。

 担任教師の言葉がつづいた。

 「それでも、引退を決めたときは悲しかった。さびしかった。まして君は世界を目指せるほどに打ち込んできた。しかも、自分の意思にらず、その道を絶たれた。それがどれほどのショックか想像するしかないが……」

 ――自分の意思に拠らずして? どういうこと? なにかつづけられなくなった事情があるの?

 「いえ、先生」

 『謎の転校生』とおぼしき女子の声が聞こえた。

 「もういいんです。もう何ヶ月もの間、家に閉じこもりっきりで学校どころか、何もできなかった。親にもまわりの人たちにもとても心配をかけてしまった。いい加減、そんな状態からは抜け出さないと。だからもう、気を使わないでください」

 「……そうか。君は強いな。なにかあったらすぐに言ってくれ。教師として、人生の先輩として、できる限り力になる」

 「はい」

 その声と共に――。

 誰かが室内で立ちあがり、動き出す気配がした。

 「大変! 出てきちゃう」

 さくらが小さく叫んだ。

 「風噂ふうさ! 逃げないと。盗み聞きしてたのがバレちゃう」

 「え~。でも、謎の転校生にインタビューする機会だし」

 「そんなのはあとで……!」

 さくらがそう叫びかけたそのときだ。

 ガラリと音がして生徒指導室のドアが開いた。そこにはLEOレオの制服をまとったショートカットの可愛らし少女が立っていた。

 これが――。

 南沢みなみさわなつみとの出会いだった。

 

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