明日のためにその2 明日の教育

 「Oh! 友号、発・進!」

 時任ときとうかあらが自慢のAIに命令する。

 コンピュータ内の電脳世界に居場所をもつプログラムされた知性はその命令を正確に理解し、始動をはじめた。小さなネジ一本に至るまで存在を把握している配下の機械に次々と指令を下し、上昇体勢へと移行する。水素をいっぱいに詰めた巨大な翼が直立し、部屋の姿の未来の友が空へ、空へと浮かびあがる。所定の高度に達したところで上昇をやめ、水平飛行に移り変わる。

 「おお!」と、赤葉あかばが声をあげた。

 「この瞬間は何度、経験しても胸がおどるるわね。まさに、未来世界! ねえ、兄貴~」

 と、赤葉は森也しんやの肩に腕を預ける形でぴったりくっつく。甘えるようにしなだれかかる。

 藍条あいじょう森也しんや発案、時任かあら設計による史上初の『空飛ぶ部屋』部屋えもん。『未来世界の友』という意味で『Oh! 友号』と名付けられたこの部屋えもん第一号はいま、赤葉たち、ふぁいからりーふの送り迎えに大活躍していた。

 赤葉たちふぁいからりーふの五人は全員、関東出身だが、それぞれに出身県がちがう。赤葉あかばは千葉。白葉しろはは茨城。黒葉くろまは埼玉。そして、青葉あおばが神奈川で黄葉おうはは東京。

 千葉、埼玉、茨城……。

 わかる人ならこの出身地の並びを見ただけで『仲良くやっていくなんて絶対、無理!』と絶望感に浸る組み合わせだが、それはさておき。

 神奈川出身の青葉と東京出身の黄葉はそれぞれ実家住まいだが、他の三人は芸能活動のために東京・神奈川に越してきてひとり住まいをしている。住んでいる場所がちがうので学校も全員、バラバラ。しかし、ライブを開くときには全員、集まらなければならない。と言うわけで、Oh! 友号の出番である。

 朝早くから出発して全員の家を巡ってライブ会場であるカフェまで連れて行く。ライブが終わると今度は再び出発してそれぞれの学校まで送り届ける。そのついでに――と言っては失礼だろうが――さくらとかあらのふたりも送っていく。このふたりは白葉と同じ学校なので面倒はない。

 これが、自動車での送り迎えなら大変な手間がかかるだろう。いちいち曲がりくねった道をたどらなくてはならないし、渋滞じゅうたいに巻き込まれる怖れもある。なにしろ、列に並ぶのが大嫌いな森也のことだ。毎日の送り迎えのたびに渋滞に巻き込まれる……などと言うことになったら発狂しかねない。

 その点、空の移動に渋滞はないので安心・快適。常に最短距離で進んでいけるので時間もかからない。速度の面から言っても、ジェット機に比べればもちろん遅いが、車よりはずっと速い。と言うわけで、Oh! 友号のおかげで素早く、快適な移動が出来る。ふぁいからりーふが毎朝、クリエイターズカフェでライブを開けるのもOh! 友号がいればこそ、だった。

 『我ながら良い物を作った』と、森也ならずとも自身の先見の明を誇りたくなるところだろう。ただし、短所もある。空間の狭さだ。

 Oh! 友号の室内にはいま、森也、さくら、かあら、それに、ふぁいからりーふの五人で合計八人がいる。Oh! 友号の部屋はせいぜい六畳間程度の広さしかないので、これだけの人数がいるとさすがに狭く感じる。

 少しでも広くするためと、軽量化のために、よけいなもの一切、積んでいない。椅子さえない。全員、立ちっぱなしである。さほどの時間ではないし、全員、若くて体力もあるので――かあら以外は――それは、大した問題ではない。それよりも問題なのは――。

 「……ねえ、赤葉。いつも思うんだけど必要以上に兄さんにくっついてない?」

 さくらがそう言うとおりの赤葉の距離感。

 Oh! 友号に乗り込むなり、森也にぴったりくっついて離れようとしない。抱きつくわ、腕組みするわで、胸が当たろうとも気にしない。と言うより、さくらから見たらわざと押しつけているようにしか思えない。

 赤葉はさくらの言葉に悪びれずに答えた。

 「だって、仕方ないじゃない。ここって狭いんだからさ。どうしたって距離は縮まるわよ」

 「それはちがう」と、反論したのはかあらである。

 「たしかにOh! 友号の居住スペースに余裕はない。しかし、ひとりあたりの専有面積を計算すればぴったりよりそう必要はない。距離を保つことは可能だ」

 シン、と、その場が静まり返る。

 かあらは自分が何をしたのかも知らず、真顔のままである。

 「……とにかくだ」

 森也が口を開いた。腕を振るって赤葉を遠ざけようとした。とは言え、密着状態なので下手にふりほどこうとすると胸に腕を押しつける形になってしまう。そのせいで気を使うのだが。

 「さくらの言うとおりだ。いちいちくっつくな。おれは他人にさわられるのは嫌いなんだ」

 「またまたあ~。そんな格好付けなくっていいって。JKだらけの室内に男ひとりまぎれ込んでるんだから下心ぐらいわかるって。あ、心配しないで。あたしは男の欲望には理解がある方だから」

 「誰が下心なんぞもつか。なにかあったときに責任をもつ人間が必要だから乗り込んでいるだけだ」

 「兄上はわたしの作った機械が問題を起こすと思うのか⁉」

 かあらが憤慨ふんがいした様子で叫んだ。

 自分の才能と技術に絶対の自信をもつかのである。手塩にかけて作った機械をけなされたような気がして頭にきたのだろう。

 「世の中に絶対はない。プルートウだって不死身の魔神ではなかっただろうが」

 「うっ、たしかに……」

 愛してやまないスーパーロボットを引き合いに出されたとあっては、かあらと言えども納得せざるを得ない。

 「で、でも、赤葉ちゃん。やっぱりいつもくっつきすぎだと思う。兄貴さんに失礼だよ」

 「そうね。ベタベタしすぎ」

 白葉しろは黒葉くろはも口をそろえた。

 しかし、赤葉は気にしない。 

かない、かない。気に入らないならみんなも兄貴とくっつけばいいじゃない。まあ、この赤葉さまと張り合う度胸があるならの話だけどね」

 そう言い放ち、『ふふ~ん』と、笑ってみせる赤葉である。

 「あ、あのねえ……」

 さくらが怒りを溜め込んだ様子で言った。

 「いくら何でも調子よすぎでしょ。ついこの間まで兄さんのこと雑魚ざこあつかいしてたくせに。なんで急になついてるのよ」

 「雑魚は雑魚じゃない。いい歳して彼女のひとりもいたことないんだから。だからまあ、仕方ないからこの赤葉さまが相手してあげようってわけ。いままでの分、、取り戻させてあげようってね。親切でしょ?」

 「だから、おれは恋愛れんあい市場しじょうでは勝負しとらん」

 「だあかあらあ。格好付けなくっていいって。男の本能はわかってるって。正直になっていいんだよ?」

 「だから、それ以上くっつくな!」

 「赤葉ちゃん、やり過ぎ」

 「ふざけるのも大概たいがいにして」

 さくらが、白葉が、黒葉が、口々に言う。

 それに対して赤葉はおすまし顔で言い返す。

 Oh! 友号の室内はたちまち現役JKたちの黄色い声に満たされた。

 そんな様子を『みんなのお母さん』黄葉おうはは『あらあら』と言った様子で見守っている。

 ふいに――。

 Oh! 友号のなかに流麗りゅうれいな歌声が流れはじめた。

 みんな言い争いを忘れて歌声の主を見た。

 青葉あおばがひとり静かに唄っていた。

 目を閉じて、ひとり静かに唄うその姿に視線が集中する。その視線に気付いた青葉があわてて言った。

 「あ、ごめんなさい。急にフレーズが浮かんだものだからつい唄っちゃって」

 「いや、よくやってくれた。ありがとう」

 「はあ……?」

 森也に礼を言われて――。

 まるでわかっていない青葉は目を丸くしたのだった。


 青葉の透明な歌声はみんなの毒気どくけ煩悩ぼんのうさえ――一時的にであれ――取り除いたらしい。それからは騒ぎが起こることもなく順調に目的地を巡った。一人ひとり学校に降ろし、ついに残るは赤葉ひとりだけとなった。

 「ふっふ~ん」

 と、赤葉は森也に視線を向けながら意味ありげに笑う。

 「……なんだ、その笑いは」

 「ふたりっきりだねえ、兄貴ぃ」

 と、赤葉はあやしげな仕種しぐさで森也に近づく。

 「わざわざ、あたしとふたりっきりになるとか。そんなに、あたしを攻略したいかあ」

 「ルート上、お前の高校が最初か最後のどちらかになると言うだけのことだ」

 「わざわざ最後にしてるんだから、あたしとふたりっきりになりたいってことでしょ」

 「お前なら他のメンバーとちがって気を使わなくていいということだ」

 ルート上、どうしても最後はふぁいからりーふのメンバーの誰かとふたりきりになってしまう。何と言っても一〇代女子。誰もいない空の上で、身内でもない男とふたりきり、などと言うことになれば当然、不安にもなるだろう。へたに警戒されるとかえって場の雰囲気が妖しくなってしまう。

 もちろん、森也は手を出すつもりなどない。しかし、森也も男。魔が差す、と言うことがないとは言えない。森也自身、そのことを知っていた。

 だから、赤葉なのだ。

 あからさまにあおってくる赤葉であれば、逆に妖しい雰囲気にならずにすむ。なにより、高層ビルの屋上から突き落としてトラックでくような真似をしても、平気で立ちあがって帰って行きそうなタフな精神の持ち主なので、森也の方も気を使わずに済むのである。

 「結局、わざわざ、あたしとふたりきりになってるんじゃない」

 と、赤葉。いわゆる『メスガキ』の表情でニマニマ笑う。

 「ま、兄貴も男。アイドルを目の前にしたらそりゃあ平静ではいられないよねえ。でも、残念だねえ。あたしは女子高生。社会人が手ぇ出すわけにはいかないもんねえ。うん。つらいところだ」

 「誰が出すか」

 と、森也。部屋に置いてあるアルコール除菌スプレーを顔面にぶっかける。

 「ぷわっ! なに、それ、ひどい! それが恋人に対する仕打ち⁉」

 「お前はおれの恋人じゃないだろうが」

 「アイドル・赤葉はみんなの恋人。すなわち! 兄貴にとっても恋人! 以上、証明終わり!」

 「そう言う態度を『証明』とは言わん」


 観客もいないのにさんざんふたり漫才を繰り返したあげく、ようやく赤葉の高校に到着した。登校途中の生徒たちが見上げるなか、Oh! 友号はゆっくりと下降し、校庭のど真ん中に着陸する。

 言うまでもなく、こんなことを望むのは赤葉ひとりだけである。

 他のみんなはOh! 友号で校庭に降りて目立つようなことを嫌い、もっと目立たない場所に着陸してそこから歩いて学校に向かう。

 赤葉はちがう。

 『アイドルは目立ってなんぼでしょ!』と、ある意味、きわめて正しいことを言って校庭への着陸を要求する。

 Oh! 友号のドアが開き、赤葉が外に飛び出す。全校生徒の注目を浴びて、なんとも気持ちよさそうに挨拶する。

 「やっほー、みんな、おはよう! みんなの恋人、アイドル・赤葉参上! 今日も元気にスクールライフ送ろうねえ」

 このあたり、ステージ上とまるでかわらない態度とテンション。赤葉に限っては仕事中とプライベートのちがいはないらしい。

 「つまりは四六時中、注目浴びていたいわけだ。たしかに群を抜いてアイドル向きの性格だな」

 森也もそう認める赤葉の天職だった。

 「じゃあね、兄貴。帰りもよろしくぅ~。ちゃんと迎えにきたらキスぐらいしてあげるからね」

 と、赤葉はアイドルにあるまじきことを口にして教室目がけて走って行く。

 森也はその後ろ姿を見送り、溜め息をついた。すると――。

 「藍条さん!」

 鋭い、と言うより、甲高い女性の声がした。

 いかにもなメガネをかけた女性教師が腕を組んで、肩をいからせ、怒りの形相で立っていた。

 「何度も言っているでしょう! こんなもので校庭に降りてこないでください」

 「校長の許可は取ってありますよ」

 「常識を言っているんです! 登校途中の生徒でごった返している場所にこんなもので降りてこられては安全に関わります。それでなくても、登校のたびに騒ぎを起こされては困るんです。いくら、芸能活動をしているからって特別扱いは……」

 「特別扱い?」

 ピクリ、と、森也の眉が動いた。

 「それは聞き捨てならないな。これは部屋えもんの実証試験も兼ねている。部屋えもんが普通になればどこに住んでいようが学校に通える。山奥に住んでいようが、離れ小島に住んでいようが、ハンデなく教育を受けられるようになる。校長の許可が得られたのもそれゆえだ。あなたは誰もが教育を受けられる未来を邪魔するのか?」

 「そ、それは……」

 「想像してみるといい。部屋えもんが普及した世界を。そこではもはや、住んでいる場所によるハンデはない。誰もが手軽に空を飛んで望む学校に通うことが出来る。歴史上はじめて、住んでいる場所に関係なく望みの教育を受けられる世界が実現するんだ。しかし、もし、いま、不理解によって部屋えもんの実証試験が行えなかったらどうなる? いつまでたっても部屋えもんは普及せず、人里離れた僻地へきちに住んでいる子供は教育を受けられず、その可能性を開花できずに埋もれていくことになる。そんな世界をつづけたいのか。それでも、教師か。教師として目指すべき未来はどっちだ!」

 「あ、ああ……!」

 森也にそう一喝いっかつされて――。

 厳格げんかくそうな女教師は途端に泣き崩れた。

 「わ、わたしは……わたしは何と言うことを。危うく、世界中の子供たちの未来を閉ざしてしまうところだった。こんなことでは教師失格だわ」

 「先生……」

 と、森也は打って変わって優しげな態度で女教師に近づき、泣き崩れたその肩にそっと手を置いた。

 「教師失格だなどと、とんでもない。あなたはご自分の職務を全うしようとしただけではありませんか。ただそこに、ちょっとした誤解があった。それだけのことです」

 「藍条さん……」

 「すべては子供たちの未来のため。世界中の子供たちによりよい未来を贈るため、手を携えて進んでいきましょう」

 「はい……!」

 女教師はメガネの奥の目に涙をいっぱい溜めながら、キラキラした表情でうなずいた。


 教師などと言う人種は多かれ少なかれ理想をもってその職に就く。その理想を刺激し、望み通りの反応を引き出すなど森也にとってはたやすいことだった。

 口うるさい教師を丸め込み、帰途につく。眼下に町並みを見下ろしながら呟いた。

 「部屋えもんが普及すれば住んでいる場所に関係なく、誰もが望み通りの教育を受けられるようになる、か。理屈としてはたしかにその通り。しかし、実際に普及させるとなると簡単なはずもない。どう仕掛けていくか。藍条森也の知恵の見せ所だな」

 森也は愛用のタブレットを取り出し、自分の仕事を開始した。

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