第34話 ギフテッド
「好きだよ、藤原のことが」
それを聞くと彼女は目を大きく見開き、両手の先でぱたぱたとテーブルの縁を叩きあちらこちらに目を泳がせる。それから俺の目をじっと見つめたが、俺は目を逸さなかった。
「橋下、脈を測らせて」
「ええ? 今言ったのに」
「言ったから良いでしょ。手をこっちに」
俺が渋々手を出すと、彼女は片方の手で自分の首の動脈を、そしてもう片方の手で俺の手首の脈を測った。それから手元のジュースを一口飲む。
「本当にそうなんだ......。まさか私に、告白される日が来るなんて」
「俺は追い込まれただけだけどな」
「バレるよりは自分で言いたかったんだね」
「理解が早くて助かる」
何をしているのか分からなかった。俺は彼女を助けたくて、虐待について追及していたのにとんでもない方向へ話が吹っ飛んだ。
「でもごめん、まだ好きっていうのは分からない」
「知ってた」
知っていたとも。だからではないが、告白するつもりなんかなかった。こんな話をする予定はなかったんだ。
「藤原、別に俺は付き合ってほしいとかそんなことは思ってない。ただ助けたいだけなんだ」
「私のどこが好きなの?」
逃げられない。どうやら彼女の興味は完全に俺の感情についてに移ったらしかった。
「どこが、っていうのは明確には無いよ。趣味とか合うし喋ってて楽しくて、一度好きになってからはもうなんでも好きになっていくから」
「私の顔がかわいいから好きになったのかと」
「まぁ......顔が可愛いのも喋ってて楽しい理由のひとつかもな」
「それで好きになって、私のこと助けたいと思ったんだ。謎が解けたよ」
「謎っていうのは?」
「なんで私なんかの味方でいてくれるんだろうって。今まで一人もいなかったから」
俺の感情に興味を示していた時とはうってかわって、彼女の表情が曇った。母親がそうでなさそうのは予想がついたが、お父さんもお兄さんもそうなのだろうか? お父さんはかなり前から家にいないのだろうか。
「お兄さんは味方じゃなかったの」
「お兄ちゃんが、味方? お兄ちゃんはずっと私をゴミみたいに扱った」
「えっなんでだよ。理解されなかったのか」
「何を?」
「その......発達障害とか」
何かが琴線に触れたのか、彼女の顔はよりいっそう暗くなった。それからゆっくりと話し始める。
「逆だよ。お兄ちゃんは、私と同じでアスペルガー症候群とADHDを両方持ってる。私と同じで小学校もずっと不登校だった」
「じゃあなんで。同じなら妹のことを大事にしろよ」
「同じじゃない。お兄ちゃんは何もかもで私を上回ってる。絵画でも作文でも書道でも、全部で何十枚もの賞状を貰ったし、ピアノのコンクールでも金賞を取って、中学では空手の府大会で三位になったし、高校ではテニスで全国大会に行った。高校も偏差値70越えの名門で、今は慶應の医学部だよ? IQは140を超えてるんだってさ」
「......妹を大事に出来ないんなら、そんなの意味ねぇよ」
俺のいちばん嫌いなタイプだった。自分が出来るからと、出来ない人を見下して馬鹿にする。彼女からそういう一面を全く感じたことが無かったと言ったら噓になる。良くも悪くも性格は少し似ているのだろう。だが、彼女はそれで人にそこまで酷い態度を取ったりするような人間じゃない。
「お兄ちゃんは発達障害があって日常生活が大変で、学校の成績も良くなくて人間関係も苦手だったけど。そんな短所なんか全部吹っ飛ばしちゃうくらいの強みがあった。欠陥と言うより、むしろお兄ちゃんはそれを神さまからのギフトかなにかだと考えてた。その特性のおかげで、いろんなことが出来るようになったって。歴史に名を残すような偉大な、科学者や哲学者、芸術家、文豪はみんなアスペやADHDの恩恵を受けていたって、お兄ちゃんが言ってた。......じゃあ私は? ただの欠陥品」
「そんな事ない」
「少なくとも、優秀なお兄ちゃんは私にそう言った」
「気にしなくていい。そんなクソ野郎会ったらぶん殴ってやる」
「お兄ちゃん、橋下よりすごく背が高いし筋肉もすごく付いてるよ。格闘技術も当然高いし」
「そいつに暴力を振るわれてたんじゃないよな!?」
「もしそうだとしたらとっくに死んでるよ。お兄ちゃんは私に近づこうとさえしなかった」
おそらく、彼女は兄のことを嫌ってはいない。嫌うどころか憧れて尊敬すらしている。なぜそれを突き放した? 怒りがふつふつと湧いてくる。
......だが、そんな奴も今は家にいない。一旦は置いておいて良いだろう。俺は心を落ち着けてから彼女に聞いた。
「じゃあ、母親なんだな。暴力を振るってるのは」
「うん、そう。最近は減ったけど」
そう言質を取れた途端、俺はどうすれば良いか分からなくなった。
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