第35話 信頼

 彼女は母親から虐待を受けている。以前に見たアザや彼女の先ほどの反応からして、それもかなり酷いものだ。その言質をたった今彼女から得た。これをうけて、俺はどう動けばいい? 高校が役に立たないのは分かっている。


「具体的に......何をされたの」


「ねぇ、今日は遊びたい」


 その言葉はびっくりするくらいストンと俺の中に入ってきた。一切の抵抗なく、俺の思考は彼女のその言葉を尊重することを選んだ。


「そうだな! まだジェットコースターひとつしか乗ってないしな」


「うん。早く次乗りに行こ」


「よし」


 俺たち2人は残りのジュースを全部ストローで吸い上げて食器を返却し店を出た。カバンの中で充電していたスマホを取り出すと、ロック画面のデジタル文字は12時半を示していた。その文字の背景では既に、彼女がマントを着て猫耳をつけている。


「何行きたい?」


「サメ!」


「よし」


 かくして俺たちはまた遊園地の中を歩き始めた。彼女は売店めぐりには飽きたようで、比較的真っすぐアトラクションに進んでいく。特に何の会話もなくて、彼女もただ歩いているだけで。なんとなく手持ちぶさたになった。そこで、俺はひとつとんでもない事に気づいてしまった。俺はおびただしい量の彼女の写真を撮ってiPhoneのストレージを圧迫していたが、今までに一度も彼女とのツーショットを撮ったことが無かった。彼女と接するようになる前、陽キャだった頃はよくスマホを内カメにして複数人を写真に収めてはインスタのストーリーに投下していたというのに。


「藤原、ふたりで写真撮ろ!」


「あ、いいよ!」


 ファンタジックな外装の売店の壁を背にふたりで並び、カメラアプリを開いたスマホ画面を自分たちの方に向ける。


「映るように、ちょっと顔こっちに寄せて」


「こう?」


「おっけい」


 膝を曲げて身長を合わせ、彼女の肩に手を回してシャッターボタンを何度か押した。おれは「よし」と言ってまた歩き出す。その時に藤原が言った。


「別に嫌じゃないよ? 嫌じゃないんだけどさ、橋下って結構スキンシップ多いじゃん。今もその......肩に手回したりとかさ」


「あぁ、うん」


「下心というか、私の体に興味あったりする? だとしたらちょっと怖いかも」


「ごめん、スキンシップが多いのは男女関係なく前からなんだ」


「あー、ウェーイ系だったもんね橋下」


「うんまぁ。あと、好きって言った相手にこんな事言うのも失礼だと思うんだけど、藤原の体型は全く俺の好みじゃないよ」


「良かった」


「まぁ、好きな人じゃなくても女性相手にこんなこと言うのは失礼だよな、ごめん」


 彼女には失礼という概念が無さそうだったから別に気にしていなかったが、一応謝罪の言葉を述べておいた。


「いや、安心したからいいよ。私みたいな子供っぽい女子が好きな男なのかもって思ってたから」


「俺のもともとの好みはむしろお姉さん系だよ」


「そんな真反対の私を好きになったの?」


「タイプじゃないとか、そんなのをすっ飛ばせるくらい好きってことだよ」


「す、涼しい顔してすごい事言うね......」


「俺、ウェーイ系だったから」


 なんでそうでなくなったのかは置いておいて、今の彼女の反応は。もしかして少しドキッとしたのだろうか? 毎日一緒に登下校しようと、周りからそういう噂を立てられようと、2人でカフェデートに行こうとも今まで全く気にする素振りがなかったのに。


「冗談でもなんでもなくて、本当に藤原のこと好きだよ」


「うん、覚えとく」


 また好きと言えば何か反応を示すかと思ったがそう上手くもいかなかった。これ以上似たようなことを言っても混乱させるだけだろう。


 それからの3時間は、彼女の受けている虐待のことにも俺が彼女を好きだということにも一切触れず、ただ2人で遊園地を満喫した。夏の長い日がやや黄色みを帯びてきた頃、俺たちは遊園地のゲートを出た。


 思ったとおり、帰りの電車は空いていて俺たち2人は座席につくことができた。この時間ならそんなに人は多くないのだ。俺は疲れていたがやはり彼女もそうだったようで、電車が動き出してまもなく船を漕ぎ始め、やがて一瞬目を覚まして俺の方にもたれかかってきた。


「髪食っちゃってるぞ」


 俺は指で彼女の頬をなぞり、口の端に挟まっている髪をひっかけて外側に流した。それから腕をまわして彼女の体を引き寄せる。彼女は目を見開いて少し体を硬直させたが、やがて脱力し、体重を俺に預けて寝息を立て始めた。


 不本意な形だったけれど、好きだということは伝えた。味方でいたいということも何度も伝えた。一緒にいる時間もずいぶん増えたけれど、俺は本当に君の信頼を得られているだろうか?

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