第32話 ジェットコースター
彼女の装備品を外してカバンと共に備え付けの棚のカゴに入れてから、最前列の4人席に置くからつめて座った。特殊な形をした安全バーにがっちりと全身をホールドされる。
「すごい、機械の一部になったみたい」
「これからもっと凄いぞ」
それからまもなくしてジェットコースターが発進し、俺たちを空で引っ張り回した。
「ひゃああーー!!」
「藤原! 目開けろよ、すごいぞ!!」
「いやああーー無理いい!!」
ぎゅっと瞑った目の上で、彼女の前髪が風を受けて暴れる。顔の横でも髪の触角部分がはためいていた。目はずっと閉じたままだが、口は「ひゃ~」とか「くぅ~」とか言っていて、眉の動きも相まって実に多種多様な表情を見せている。見ているうちにアトラクションが終わったが、ついぞ彼女が目を開ける事は無かった。
「藤原終わったぞ、降りるよ」
「え、もう!?」
安全バーが上がると彼女は目をぱちくりさせて辺りを見回す。俺は彼女の両脇を持って座席から下ろし、荷物を置いた棚まで手を引いた。後ろからおそらく俺たちへ向けられた笑い声が聞こえる。
「もう一回乗る!」
「ちょーいちょいちょいちょい、ここからは乗れない。また並ばないと」
「あ、ふーん」
俺はジェットコースターの方に弾んでいこうとした彼女の両肩を持って引き戻し、猫耳だけ着けさせてマントやカバンは自分の手に持った。その時、さっき隣の座席に座っていた一組のカップルに話しかけられた。
「妹さん? めっちゃカワイっすね」
「ホンマに~! 猫耳も超似合ってるし!」
あの長い列に並んでいる時から見ていたなら、確かにその言動から俺たちを兄妹と思うのも無理ないかもしれない。少し間を開けてから俺はさわやかな笑顔で言った。
「でしょ? 自慢の妹です」
「うんうん! いくつなんですか?」
「えっと、それは......」
俺が回答につまった時、ずっと訝しげに俺の顔を見ていた彼女が話し出した。
「私は妹ではないですよ。彼とは高校で同じクラスで、今二年生です」
はきはきと聞き取りやすい声で、にこやかにそう言った。今までの言動や立ち居振る舞いとのギャップに2人は目を見開いた。口調と猫耳が合っていない。
「え? あ、ああ、じゃ彼氏くん? な、なんで嘘ついてんの~」
「あはは、なんとなく」
「彼氏でもないですよ? 彼とは良い友達です」
「ああ、そうなんだね」
「ええまぁ。それじゃまた、楽しんで」
アトラクションの出口で俺たちはそのカップルと別れた。
「うーん、流石にこどもっぽすぎたか」
「別に妹で良かったのに」
「良くない!」
さっきの他人行儀の時とはうってかわって、彼女はまた普段俺と話す時の口調になった。急に大人びた話し方を始めた時は一種の気味悪ささえ覚えたが、その時の彼女と今の彼女のギャップの大きさへの戸惑いが今になってとてつもなく大きな満足感へと変わりつつあった。
最近、よく訪れるそれがやってきた。今日は何回目だろうか? 彼女への想いが炉に燃える真っ赤な石炭のように昂るのだ。俺は急に、少し前をどこへともなく歩く彼女の頭を撫でたくなった。それくらいなら許されるだろうと思って彼女の猫耳付きの頭に手を伸ばした。その時、ふと彼女がこちらを振り返る。
次の瞬間、俺は茫然とした。彼女は頭上に俺の手を視認するなり、電気の走ったような勢いで首をすくめ肩をすくめ、その場にしゃがみ込んだ。周囲の何人かの視線がこちらに向く。それからすぐ彼女は立ち上がって言った。
「あ、ち、ちがうごめんなさい......」
「いや、俺は何も」
「期待したとかじゃないから、そんなつもり無いから、ごめんなさい、違うの」
話すうちに彼女は涙目になった。全く状況が理解出来ない。「期待」ってどういう事? さっきの彼女の反応は、一見すればよく頭を殴られているような人が見せる物だし、実際周りの人間はそういう目で俺を見ているようだった。だが、なぜここで「期待したわけじゃない」というフレーズが出るのか。
「藤原、大丈夫。何も怒ってないから」
「わ、分かってる、橋下はそんな事しない」
彼女は自分に言い聞かせるようにそう言って、落ち着きを取り戻していくようだった。怯えた表情も次第に無表情になっていく。何かしてやりたかったが体が動かない。俺はその代わりに、声を震わせて彼女に聞いた。
「誰に、そんな事されてるんだ?」
「いや、誰にもされてない」
彼女はそう言うと、おそらくこれといった意味もなく髪のゴムをほどいてからポニーに結びなおす。それから、その様子をどんな表情とも言えない顔で見ていた俺に対して何事も無かったかのように明るく言った。
「私、お腹空いた。なんか食べよ!」
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