第10話 余計なこと

「橋下、サッカー部のマネージャーをフったんだね。どおりで最近、サッカー部の人らで連んでないんだ」


 藤原の耳にまでその噂が届いたのは、あの日の一週間後だった。俺は大袈裟にため息をついてみせた。


「どーせ俺がクズだって噂なんだろ」


「橋下、『誰がお前なんかと。馴れ馴れしくすんじゃねえ!』って言ったらしいよ」


「実際のところはどうだと思う?」


「似たような事は、言ったんじゃないかなーと」


「どうだかなぁ」


 文化祭の片付けも終わった頃、席替えで俺は教室の右後ろ、藤原の隣になっていた。野田は前の真ん中あたりだ。


「あっ、ひとつの仮説。 橋下、告白される時にアクアって呼ばれてキレたんじゃない?」


「エスパーかよ」


「あとは〜、私の話題出されたとか」


「それはもう噂になってるだろ」


「バレた」


 やはり、藤原にはそれも伝わっていた。...どう思っているんだろうか。この一週間、俺は前よりも藤原といる時間が長くなった。LINEでもよく話すし、ほぼ毎日肩を並べて登校して、そういう噂も立てられて。君は...俺のことをどう思っているんだろうか。


「そうだ、私コンサータ飲むことになったよ」


「ああ、なんか言ってたような......。 どういう薬なんだ?」


「私の、ADHDのHDの方を抑制する」


「全く分からん」


 藤原は少し考えるような素振りをしてから言った。


「私って授業中何してる?」


「寝てる」


「他には?」


「ノートに落書きしてる」


「他にももっと」


「突然前後に揺れる 30分くらい天井眺めてる 俺たちには見えない謎の飛行物体を目で追ってる コンパスと定規とボールペンで謎のオブジェ作り出す 」


「それ、全部しなくなるんだよ」


「藤原じゃねぇだろそんなの」


「私のアイデンティティってそれだけ...?」


「いいや全く」


「あと私は消しゴムも使うよ」


「えっと......オブジェに?」


「うん」


 決して『それだけ』というような事では無いと思ったが。それよりも、それらをしなくなるというのはどういう事だろう...。俺の知ってる薬は、病気の症状を軽くしたり、寝つきを良くするものだ。だがそのコンサータというやつは、人の行動を変えるのか?


「つまり、真面目に勉強するようになるの。余計なこと考えなくなるから、やることを与えられたらそれに集中できる」


 なんだか、嫌な感じがした。余計なことを考えなくなる? 薬なんかに、藤原の行動を《余計なこと》だと決めつけられるのか。


「藤原、遊んでない時は寝るだろ」


「その薬はね、眠れなくなるの。それが一回飲んだら12時間持続するから、朝に飲んで午後は飲まない」


「そんな上手くいくもんか」


 ほんの少し、語気が強くなった。教室には他のクラスメイトが5、6人来ている。俺は少し焦り、また落ち着いて藤原の方を見た。眠れなくなるって、どういう事なんだ。


「......最初は上手くいかないみたい。量とか、副作用を止める薬の調整とかに、長かったら半年はかかるんだって」


「副作用?」


「大学受験の時には安定させられるように、今からやるんだって」


「副作用ってなんだよ」


 俺はまた語気を強くして言ったが、彼女は聞いていないようだった。


「大学受験なんて興味無いんだけどね...。中学でもそれなりの試験突破して、高校受験もうまく行ったけど」


「おい」


「訳わかんないくらい勉強して、入学直後から落ちこぼれて。またこれを繰り返さなきゃダメなのかなって思っ」


「質問に、答えろよ!」


 机をゲンコツでドンと鳴らし、俺は声を荒げた。教室が静まりかえり、藤原が怯えて首をすくめる。いつの間にか教室に来て他の男子と連んでいた野田と目があい、俺はハッと我にかえった。


「ご、ごめん。 私また、喋るのに夢中になっちゃって......。でも、これはコンサータでは治らないみたいなんだ.....」


 藤原の目がほんの少し潤んでいるのを見て、俺はやおら立ち上がり教室を出た。独りになりたかった。俺は多目的トイレに入って鍵をかけてその場に座り込む。彼女の怖がった顔が頭から離れない。彼女に辛い表情をさせたくない、守りたいと思っていたのに。


 しばらくして教室に戻ると藤原は何事も無かったかのように無邪気に話しかけてきたが、俺はその日はずっと気分が暗いままだった。俺の気分が、暗いのが普通になり始めたのはこの頃からだった。

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