〈火薬庫の女〉2

 コワフュールと女性は、赤い絨毯が敷かれた廊下に出た。

「……」

 女性は口を開かず、コワフュールに導かれるまま、廊下を歩いている。

 左肩に回された腕の力は優しく、触れている程度だが、この女からは逃れられる気がしない、と女性は思っている。

 慣れないドレスを着用し、ヒールを履いていることも彼女が心の中に抱く恐怖を膨れ上がらせていた。

 コワフュールは慣れた足取りで廊下を進んでいく。

 途中、数人かとすれ違ったが、何も疑われることはなかった。

 他人からは中性的な顔立ちをした男性が赤いドレスの女性の肩に腕を回し、歩いてだけように見える。


 突き当たりの前で足を止め、右手側の扉を示した。

「この部屋」

 ホールへ入る両開きの扉とは違い、鍵の付いた片開きの小さな扉だった。

「……」

 女性が一歩引きそうになるが、ぐっと、コワフュールの腕に力が入る。

 そして、どこからか一本の鍵を取り出し、くるりと回転させ、右開きの扉を開けた。

「そ。物置。おいで」

 コワフュールが左手を暗い部屋の中へ押していくと、水に流されるように女性が部屋の中に入っていく。

 音を立てることなく、扉が閉まった。

 闇の空間の中に、閉じ込められる。

 と、

「んっ!」

 コワフュールが女性の口を右手で押さえつけ、声を封じた。

 左手を女性の右の腹部辺りまで回して、後ろから抱き締めているような体勢になっている。

 女性はコワフュールの身体の中でもがこうとするが、

「フィリアちゃん、だね」

 と、耳元で名を囁かれると、目を見開いて、静止した。

 とくん、と心臓が鳴る音がコワフュールまで届いてくる。

「うちも〈探知〉だと、思う?」

 このコワフュールという女は、一人称や口調が定まっていない。

 俺の時もあれば、僕の時もある。

 うちの時もあれば、私の時もある。

 場面で使い分けるというわけではない。

「私は本物。〈火薬庫の女〉」

 そう言って、右手を女性——フィリアの口から離し、一本の煙草を取り出した。

 フィルターの方ではない、火を点ける方の先端を、右の人差し指と親指で摘んでいる。

「ほら、口、開けて」

 そして、フィルターの方を彼女に近づけていく。

 フィリアは口を閉じたまま、首を横に振って拒否しようとする。

 と——

「っ!」

 熱い。

 反射的に身体が跳ねた。

 熱を感じた部位を見ると、コワフュールの左手が触れている右の腹部辺りからだった。

「……」

「ほら」

「……、……」

 フィリアは、差し出された煙草を、ゆっくりと唇で挟むように咥えた。

 コワフュールが人差し指と親指を離すと、煙草の先端には——

 火が、灯っていた。

 ジジ……。

 弱い煙草の火が、ふたりを照らしている。

「……」

「吸わなくていいよ」

 それだけすると、すぐにフィリアの口から煙草を取り上げて床に落とし、足で擦りながら火を消した。

「これが見せたかっただけ。わかった? うちは本物だよ」

 コワフュールは、もう一度彼女の口に右手を近づけ、耳元で囁いた。

「〈探知〉なら相手に気づかれないようにしないと。あれだけ私を見られたら、フィリアちゃんが〈探知〉できることわかっちゃうよ」

 そして、身体を震わせるフィリアの口の中へ、人差し指を挿入した。

 口の中で逃れようとする舌を指で追い回し、捕らえると、わざと音を立てて舌を弄んだ。

「今回フィリアちゃんのお父様から依頼が出てるの。娘を救出してほしい、だって」

「ぇ……」

 フィリアも気がつかないうちに、口の中には中指も入っている。

 人差し指と中指で挟まれるように舌を弄られている。

「ほんと、自分勝手な親父だよね」

「……」

 くち、と粘着した音が小さな暗い部屋の中に響く。

「だから、選ばせてあげるよ。依頼だけど、あんな親父のもとに戻りたくないのなら……」

「んっ……」

「お、抵抗した。なに? ふふっ。こんなところで大人ぶってるクセにお父様の悪口は言われたくないんだ。あははっ。どうしようね。大好きなお父様のところへ帰る?」

「……」

「……子ども扱いはイヤか。じゃあ、このままここに残ってもいいよ。——その代わり」

 コワフュールの声音が落ちた。

 舌を挟んだまま、人差し指と中指の動きが止まる。

「口の中、火傷じゃ済まないかもね」

 フィリアの目からは、涙が落ちた。

 舌を弄ばれ、みっともなく口を開けたままの姿で、ゆっくりと首を縦に動かす。

 いきます、とそう言った。

「ふふん」

 コワフュールは左手で、フィリアの頭を優しく撫でた。

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