火薬庫の女

氷川 晴名

〈火薬庫の女〉1

 コワフュールは、壁に背を預けている。

 シャンパンを右手に、左手を右肘に、両手を交差させるようにして、会場を眺めている。

 グラスを軽く回すと、弱く、小さく、パチパチと、泡が爆ぜた。


 コワフュールは女性である。

 しかし、右にボタンの付いた白シャツを着用し、スラッと伸びた足には男物の黒のパンツ姿がよく似合う。

 髪は女性にしては短く、前髪は目に掛かる程度、横は丁度ピアスが見え、後ろは首の付け根まで届いていない。

 黒のショートを整髪剤で無造作に整えている。

 そして、吊り目ぎみの端正な顔立ち。

 その容姿からよく男に間違えられる。

 この会場でも男性ではなく、女性から声が掛けられることの方が多い。

 その度、女性の手を取り、自分の胸を触らせ、

「ほら、女だろう?」

 と耳元で囁いては、相手を惚れさせた。


 パーティー会場のホールで、会話を、踊りを、ワインを、愉しむ人々を眺めている。

 コワフュールは、ゆっくりとグラスを口に運んだ。

 上品のフリをした量産されたシャンパン。

 薄い金色の発泡酒は、子どもが背伸びをするには丁度いい品の酒かもしれない。


 連れの男と喋る女性。

 自分の家系より上層で暮らしていそうな男だけを狙い、声を掛けに行く女性。

 高級だと思い込んでいる酒に、瀟酒な会場の雰囲気に、酔っている女性。

 コワフュールは女性だけを眺めている。

 そして——

 ひとりの女性と目が合った。

 鮮やかなワインレッドが目を引くアシンメトリーのドレスに、遠目からでも確認できる大きな首飾りを着用した女性。

 コワフュールは、自分のルックスから女性から視線を奪うことが多い。

 しかし、この女性から向けられていたのは、警戒による視線だった。

 目が合うと女性はすぐに目を背けた。


 コワフュールは彼女に近づいていく。

 女性はそれに気がついたが、はっ、と何かを思い出したようににその場でコワフュールを見つめ、動かなくなった。

 ドレスと装飾のせいで随分大人っぽく見えたが、近くで見るとまだ幼さが残っている。

 誰に施されたか、上品な化粧品でのメイクアップでも、目元や鼻、頬から見えるは隠せていない。

 ——写真と同じ顔。


「やあ、楽しんでる?」

 そう言って、コワフュールはワイングラスを軽く上げた。

「え、ええ」

 彼女も笑みを作って、コワフュールと同じようにした。

 彼女が右足を一歩引いたことをコワフュールは見逃していない。

 ゆっくりとした足取りで彼女の背後に回り、右耳の穴に舌でも入れ込むのかと思うほど、口を近づけ、囁いた。

「〈探知〉したね」

「……」

 小さくビクッと、女性の身体が跳ねた。

「外で一緒に話したい。いいかな?」

「……」

 女性はぎこちなく頷き、持っていたグラスを食器が散乱したテーブルに、カタンと音を立てて、置いた。

 コワフュールもそれに倣うが、女性とは違い、まるで数分前からそこにグラスが置いてあったかのように、ワイングラスをテーブルに戻した。

 女性の肩に左手を回して、ホールの扉の方へ足を向ける。

 すると、近くで別の女性と話していたひとりの男性がコワフュールに気づき、口を開こうとした。

 しかし、それより早く、

「僕は女だよ。かわいいお連れちゃん、借りてくね」

 と、左手を軽く振った。

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