第41話 まっすぐ

 レンの父が入院している病院に近づくにつれ、サトの気持ちは再び重苦しくなっていた。

『嘘をつくことより、どうしてつきたくない嘘をつくのか、その理由をきちんとお話すればわかってくださるわよ、きっと』

 サトの脳裏には、今朝方の祖母の笑顔が浮かんでいる。

 結局、レンの母には本当の事は言えなかった。

『ごめん……なんか、言いにくくて……あまりにも嬉しそうな顔されたから』

 水族館でそう言ったレン同様、サトも終始嬉しそうな笑顔を浮かべるレンの母になにも言えなかった。

「……まあ、後で隊長から言ってもらえばいいか……」

 先を歩くレンとその母の背を見つめながら、サトは一人呟く。

「……ここが父の病室だ、サト」

 レンが院内の個室の前で立ち止まり、後ろのサトを振り返った。

「う、うん……」

 サトは少しでも緊張を解こうと、深呼吸を繰り返した。

 レンはサトが落ち着くのを待ってから、病室のドアをノックした。

「さぁ、サトさんどうぞ」

 レンの母がサトを促す。

「はい」

 サトは表情を引き締め、レンに続いて病室に入った。

「父さん……連れてきたよ……」

 レンはベッドに近づき、じっと目を閉じている父に話しかけた。

 サトは静かにレンの横に立つ。

 その顔色、やつれ具合からサトはレンの父の病状がレンの説明通りなのだと悟った。

 サトは微かに目を細め、そっと奥歯を噛み締める。

「……レンか……」

 ふと閉じられていた瞼が開き、その口から細いがしっかりとした言葉が漏れる。

「……少し、枕を高くしてくれるか……レン」

 レンは頷き、ベッドの角度を操作した。

「……はじめまして……アマガイサトです」

 サトはレンの父の瞳を真っ直ぐに見つめて言った。

「……私は、レンさんの部下です」

「そうなのか……どうりで凛々しい……」

 父は微かに目を細めて言った。

「レンさんは……優しい人です」

 サトは言った。

「お父さんを安心させる為に、部下である私に頭を下げたんです」

「サト……」

 レンは微かに眉根を寄せて隣のサトを見る。

「レンさんは、名前すら知らなかった私に頭を下げたんです……私は、嘘をつくのが嫌いです」

 隣のレンの母が表情を変えた。

「それでも、レンさんの頼みを聞き婚約者のふりをしようと決めたんです」

「……私を安心させるため、か……」

 父はサトを見る目を細めた。

「子供には幸せであって欲しいと願う親心は、私にもわかります。レンさんを支える存在を見ないと安心できないというのも、よくわかります」

 サトは小さく息を吐いた。

「私は今まで、レンさんを隊の責任者としか見ていませんでした。ですが、一緒に時間を過ごす中で少しずつ変わってきているところです」

「そうか……それは……なんと言っていいのか」

 父は少し困ったように言った。

「安心してください……私がちゃんと、レンさんが幸せになるのを見守ります!」

「え?」

「私がレンさんを支える存在になるとはお約束できませんが、私は部下として隊長が幸せになる為の手助けをします! ですから」

「……もういい、サト……」

 レンは静かな声音でサトを制した。

「……ごめん……父さん、母さん……俺は嘘をついた」

 レンは、じっと自分の組んだ手のひらを見つめながら呟いた。

「……いや、レン……」

 穏やかな父の声に、レンは視線を父に向ける。

「部下からこんなにも慕われるのは、長として誇るべきことだ……もちろん、私もお前を誇らしく思うよ」

「……父さん……」

「レン……良い部下に恵まれて良かったな」

 父はにこりと笑ってレンを見、次いでサトを見た。

「アマガイさん……ありがとう、これからもレンの事をよろしく頼みます」

「はい! 任せてください!」

 サトは引き締まった表情で堂々と胸を張った。

「サトさん……」

 その隣の母は、複雑な表情でサトを見つめていたのだった。


「すみません……」

 病院のすぐ近くにある喫茶店で、サトは身を縮めた。

 テーブルの向いに座る、レンの母に対してだ。

「……いや、謝らなきゃいけないのは俺だ……ごめん、母さん」

 サトの隣のレンも頭を下げた。

「……もう……二人共よして」

 母は慌てて二人に言った。

「……ごめんね、二人共……」

「お、お母さんが謝ることはありません」

 サトは顔を上げて母の瞳をじっと見つめる。

「……まっすぐな人なのね、サトさんは」

 母は少し残念そうにサトの瞳を見つめ返した。

「あなたが、本当にレンのお嫁さんになってくれたらいいのに」

「そっ、それは……」

 サトは言葉に詰まって俯いた。

「母さん……」

 レンは困ったような表情で母を見る。

「あ、ごめんなさい……そうなったらいいなって……単なる私の願望だから、気にしないで」

「うん……それは俺もそう思ってる」

「お、おい!」

 レンの言葉にサトは顔色を変えた。

「あら、そうなの? じゃあ、あとはサトさんの気持ち次第なのね!」

 微かに曇っていた母の表情が、パッと輝く。

「えっ……」

 サトは顔を強張らせた。

「……待ってるところなんだ、返事を」

「ばっ、ばか、ここで言うなんて何考えてんだ!」

 サトはそっとレンを睨む。

「別にいいじゃないか……お前は見守ってくれるんだろ? 俺が幸せになるのを」

 レンはサトににこりと笑いかけた。

「て、手伝うってば!」

「……同じだろ? 手伝うのも見守るのも……俺はお前と一緒にいられたら、幸せだ」

「おまっ……お母さんの前でっ!」

 サトは真っ赤になって俯いた。

「ふふっ……サトさんったら可愛い」

「おっ、お母さん?」

 サトは赤い顔のまま、くすくすと笑う母を見た。

「じゃあ、私もレンと一緒に待ってるわ……あなたの返事を」

「ええっ……」

 にこにこと笑うレンの母を前に、サトは俯き黙り込むしかなかったのだった。

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