第28話 ナイーブ

「……周りに人がいない方がいいんだろ?」

 そう言ったサトが足を踏み入れたのは、すっかり暗くなった夜闇に浮かぶ人気のない公園だった。

「外灯があるから、思ってたより明るいな」

 サトはレンを振り返って笑った。

「ここの公園にくるのも久しぶりだなぁ……あ、ブランコだ」

 サトの少しウキウキした声が静まり返る空気を明るくする。

「……こんなに小さかったんだな、このブランコ……ていうか、私がデカくなりすぎたのか」

 サトは自分で言った言葉に、かすかに眉根を寄せた。

「……お前は、自分の身長の高さを気にしすぎだ」

 レンは笑ってサトの隣のブランコに腰掛ける。

「……だってさ……可愛くないじゃん」

 サトは不服そうに遠くを眺めながら言った。

「それはお前の価値観だろう?」

「……そんなことないよ……あのさ……私が社の事務方連中になんて呼ばれてるか……隊長、知ってる?」

 サトは隣のレンにジトッとした視線を送った。

「……いや、知らないが……」

「んー、じゃあヒントを与えよう! 硬くて、長くて、刺さりそうなものなぁんだ?」

「……なぞなぞか?」

 レンはサトの口調に思わず苦笑する。

「いいから! ほら、早く考えてよ!」

「……硬くて長くて刺さりそうなものか……」

 サトの言葉に、レンはうーんと考え込んだ。

「杭とか箸とか……釘とか?」

「惜しい!」

 サトはレンが口にした回答に叫んだ。

「で、答えは?」

 レンは思わず笑ってサトに問う。

「答えはな、五寸釘だ!」

 にこっと笑ってサトは答えた。

「五寸釘?」

 サトの答えを聞いた瞬間、レンの表情から笑みが消える。

「うん、そう。知ってるか? 五寸釘」

「……呪いをこめて、藁人形に打ち込むやつだろう?」

「そうだよ! よく考えるよな……五寸釘ってさ、十五センチもあるんだぜ……私はさ」

 ふとサトは視線をレンから目の前の滑り台に移した。

「あの会社では愛想のあの字もないから……不気味だって思われてるんだろうな……だから、呪いの藁人形なんてものにイメージが結びつくんだと思う」

「……気にしてるのか……」

「……少しだけな! でも、それは自分がそうさせてるってのもあるから仕方ない。私はどうしても、事務方連中に愛想笑いを振りまくなんて真似、できなかったから」

 サトはレンに視線を戻して笑った。

「……五寸釘だろうがなんだろうが……お前は、俺には必要な存在だよ」

 レンはサトの目をじっと見つめながら言った。

「……なんで、今日は家に来たんだ?」

 サトは真顔でレンに問う。

「……今更だが、父に嘘をつくのが辛くなってな……あとは……」

 レンは一瞬黙り込み、組んだ自分の手を見た。

「……今まで俺が母に対してとってきた態度が、どれだけ母を傷つけて来たかと思ったら……」

「……そっか……」

 サトはレンをじっと見つめた後、上空の月を見上げた。

「……お前には、色々なものが見え始めてるんだな……あのウサギのぬいぐるみ……お母さん、喜んでたか?」

「……あぁ……」

 レンは小さな声で答える。

 耳が痛くなるような静けさが、二人を包んだ。

 ふと、サトはブランコから立ち上がってレンの前に立つ。

「良かったじゃねぇか! 確かに今は辛いかもしれないけど、気がつかなきゃ、この先もずっと変わらなかったんだからさ!」

「……それはそうだが……」

 レンはサトを見上げながら呟いた。

「まあ、自分を責めたいなら責めてもいいけど、それはここで終わりにしろ……それでもまだ責め足りないって言うなら、私がお前にビンタの一発でもくれてやる」

 言い、サトはニヤリと笑った。

「……お前、もしかして俺に恨みでもある?」

 レンは探るような視線をサトに向けた。

「ないよ、むしろ人助けって言うんだ、こういうのは」

 サトは嬉しそうににこにこと笑った。

「……ビンタはイヤだ……痛いから」

 レンはボソボソと言う。

「じゃあ、自分を責めるのはやめるこった。前向きに行こう、前向きに!」

「……前向きにか……本当、お前のそういうところが羨ましいよ、俺は」

 レンはため息を吐きながら、しみじみと言った。

「……ねぇ、それって私をバカにしてない?」

「バカにしてない。羨ましいと言っただろ、俺は」

 レンは不服そうに言い、ブランコから立ち上がった。

「隊長はナイーブだからな」

 サトはいつかのレンの台詞を思い出し、笑いながら言った。

「お前こそ、俺をバカにしてるだろう?」

 レンはムッとする。

「……うん。少しね」

「……ひどいな」

 曇っているレンの表情に、サトは吹き出した。

「……冗談だよ……元気出たか、少しは? 明日からまた仕事だぞ」

「そうだな……今は仕事をしてる方が気が楽だ」

 レンはため息を吐きながらサトを見た。

「……擬装、やめないか?」

「は? なに言ってんだよ、お父さんに嘘つくのが辛いからってさ!」

 サトは眉根を寄せて叫んだ。

 その体をレンはおもむろに抱きしめる。

「……俺は、お前に傍にいて欲しいと思っている……偽装結婚の相手としてじゃなくて、本当の結婚相手として」

 レンの腕の中で身じろぎもできずに、サトはその言葉を聞いていた。

「……そんなこと……冗談はよせよ」

「俺が嫌か……こんな風に悩んでばかりの男は……嫌か」

 レンは分厚いレンズ越しのサトの瞳を覗きこみながら問う。

「……嫌とか……そういうことじゃない」

 サトはレンから体を離そうとするが、それはうまくいかなかった。

「……私は……隊長を男として見られない……一人の人間としてしか……きっと、この先も見られない……だから」

「だから?」

「……だから……さっきの言葉は、他の女に言ってくれ……頼むから」

 サトはレンの胸に向かって懇願する。

「断る……」

 呟いて、レンは再びサトを抱く腕に力を込めた。

「初恋相手が目の前にいて……昔みたいに、今も眩しいくらいに輝いていたら……俺にはどうしようもないじゃないか」

「そんなもん……忘れろよ……忘れてくれ」

「できない」

 レンはサトの唇に自身の唇を押しつける。

 冷たい。

 レンは頬に感じた冷たさにハッとした。

「……泣くくらい……嫌なのか……」

 レンは腕の力を抜き、とつとつと言った。

 サトはぐいっと濡れた頬を拭う。

「私にだってな、お前と同じくらいナイーブなところがあるんだ! そのくらいわかれよ、バカヤロウ!」

 叫び、サトは踵を返して走り出した。

 レンはその背を追う事もできずに、ただ一人その場に立ち尽くしていたのだった。

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