第25話 真相
「わあ、ちっちゃい……」
それが、初めて見た弟の感想だった。
生まれたばかりの弟は、手も足も何もかもが小さくて、私が守ってやるんだ、と私に勝手な決意をさせた。
「……サトも小さかったのに、大きくなって……もうすっかりお姉さんだものね」
母は笑って、すやすやと眠る弟を眺める私の頭を撫でた。
「うん! この子が大きくなったら、いっぱい遊んであげるんだ! 楽しみだなあ!」
私は大好きな母の手を握りしめながら、そう高らかに宣言した。
……その願いは、叶わなかったけれど。
「母さんが出ていった理由、か……」
サトの父コジロウが風呂上がりの濡れた短髪をタオルで拭きながら呟いた。
「……うん、ごめん……急にこんなこと聞いて」
サトは気まずそうに床を見つめながらコジロウに謝った。
「……いや……いつか話そうと思ってたことだからな……」
コジロウはうっすらと笑みを浮かべ、冷蔵庫から冷えた麦茶を取り出した。
「……お前も飲むか?」
「……うん、ありがとう」
祖母とヤジロウは既に就寝していて、リビングにはしんとした空気が漂っている。
ことりとコジロウがサトの前にコップを置き、そこに麦茶を注いだ。
「……お前も、いつの間にか嫁にいくような歳になったんだな」
「……嫁にはいかないけどね……擬装だから」
コジロウと向かいあって座り、サトは麦茶のコップを手に取った。
「相手はいいヤツなのか? 何回か一緒に出かけたんだろう?」
コジロウも椅子に腰掛けながら、サトに訊ねる。
「まあね……悪い奴じゃないのは確かなんだけど、男として見れるかっていったら……やっぱりあいつは、私にとっては上司なんだよな」
はぁ、と小さくため息を吐きながらサトはコジロウの問に答えた。
「……そうか……それでも、お前は母さんの事を俺に聞くんだな?」
「……うん……ちょっと、今日は向こうのお母さんの話を聞いちゃったから……気になっちゃってさ……でも、無理にとは言わないよ……親父と母さんの事だからね」
「……そうだな……親としてというより、一人の大人としてお前に話そうと思う」
コジロウは言い、じっとサトの目を見つめた。
「あの頃……お前の弟が生まれる二年前位から、俺と母さんの間には情がなかった……恋愛結婚だったんだけどな、俺達は……」
「……それは……じゃあ、弟は……」
サトは言いかけて口をつぐんだ。
「あの子は俺との間にできた子じゃなかった……それでも、俺はあいつがいいなら俺の子として育てるつもりでいたんだ……だが……」
コジロウは微かにサトを見つめる目を細めた。
「やはりこの家にはいられないと言って、出ていったんだ。あいつは、お前の事も連れて行こうとしたんだが……すまない……俺が『それだけはやめてくれ』と頼んだんだ」
コジロウの言葉を聞いたサトは、すっと視線を手の中のコップに移した。
「……ごめんな……俺達の都合で、お前には寂しい思いをさせてしまって……今思えばあの時、お前に聞けば良かったよな……母さんについて行きたいかって……」
母と弟と共にこの家を出る。
まだ五歳だったあの頃、その選択を迫られたら自分は母についていったかもしれない。
サトはそう思った。
「……母さんと一緒に行っていたら、弟とも沢山遊べたんだろうけど……」
サトは手の中のコップを見つめながら、呟くように言った。
「……もしそうしてたら、ばあちゃんのご飯は食べられなかったし、じいちゃんから剣道を教わる事もできなかった……親父とも、こうして話せなかっただろうな……私はさ」
ふと笑ってサトはコジロウを見る。
「ばあちゃん達に育ててもらって、幸せだったよ。母さんや弟のことは、今でも気になるけどさ」
「……そうか? 別に、俺のことは恨んでもいいんだぞ?」
コジロウが自嘲するような笑みをうっすらと浮かべる。
「……いいや……私は、誰のことも恨んじゃいない。この先も、そんな生き方はしたくないしね」
言いながら、サトはふとレンの事を思い出した。
あいつは、母親のことを恨んでいるのだろうか?
「……結局、あいつのとこと同じような感じだよな……」
「……そうなのか?」
コジロウはサトの呟きに額を曇らせた。
「あ、いや、向こうのお母さんのことはそこまで深く聞いちゃいないし、仲の良し悪しはともかく一緒に暮らしてるみたいだから」
「……そうか……爺さんの元教え子だから、爺さんは相手の男を知っているんだよな?」
「……うん……まあ、そのせいでちょっと困ってるんだけどね……擬装デートだって言ってるのに、じいちゃんが毎回課題がどうとかって張り切っちゃってさ」
サトは不満げに唇を尖らせた。
「まあ爺さんにとっちゃ、大事に育てた可愛い孫娘と目をかけた元教え子だからな……そうなるのも無理はないと思うが……大変だな」
コジロウは思わず苦笑する。
「そりゃあ、育ててもらったのはありがたいけどね……度が過ぎてるんだよ、まったく……そういうところ、親父はじいちゃんに似てないよな」
「……良かっただろ? 似てなくて?」
コジロウはにこりと笑ってサトに訊ねた。
「うん。あんなのが二人もいたら、たまらないよ」
サトは笑って、手の中のコップに残った麦茶を一気に飲み干す。
「ありがとう、話してくれて」
「……あぁ……本当にすまん」
コジロウは真顔でサトを見つめながら、しみじみと言った。
「うん、大丈夫だよ。それよりさ、私に謝るのは、もうこれで最後にしてくれ……親父」
サトはコジロウに微笑んでみせる。
「母さんが、私を連れて行こうとしてたのがわかって良かったよ。私のこと、大事にしようとしてくれてたんだと思ったら……なんだか、ホッとした」
コジロウは目の前のサトを見つめる目を微かに細めた。
「……もう、寝るよ。おやすみ」
言い、サトは椅子から立ち上がる。
「あぁ、おやすみ」
コジロウはその背に幼い頃のサトの面影を重ね、しばらくの間一人思い出に浸っていたのだった。
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