第13話 エンゲージリング
「ご婚約おめでとうございます」
宝飾店の美人店員が、サトとレンに向かってにこにこと笑いかけた。
黒のタイトなワンピースに白いジャケット、きっちりとした印象のヘアスタイルに、派手すぎないメイク。
その様は、高級感・清潔感・信頼を抱かせるような印象を見る者に抱かせる。店員は店の顔でもあるので、それはそのまま宝飾店の印象でもあった。
「は、はあ、ありがとうございます」
サトは緊張と気まずさとで、店員と視線を合わせられず目の前のショーケースをじっと見つめていた。
自身を飾る気が全くないサトには、宝飾店など未知の世界だ。ただこの場に立っているだけで、全身がむず痒くなってくる。
「実は急に必要になって、サイズ調整の必要がないものが欲しいんです」
そんなサトと違い、レンは微笑を浮かべながら店員に要望を伝える。
そんなスマートなレンが、サトには宝飾店に慣れているように見えた。
女は苦手だと言っていたつい先ほどのレンの台詞が、一気に疑わしく思えてくる。
「かしこまりました。サイズのお直しには四週間ほどかかりますからね……どちらかお好みのものはございますか?」
店員は笑顔で、ショーケースの中に陳列されている指輪を見つめ続けているサトに訊ねた。
「えっ……そ、そのっ、ど、どれもキラキラで頭がくらくらします」
サトは視線を泳がせながら正直に答えた。
サトの頭は、婚約指輪の放つ清廉な輝きと値札の数字とに、すっかり混乱している。
「……シンプルなものがいいです、あまり凹凸がないような」
レンがそんなサトに代わってすらすらと答えた。
「彼女とは職場が一緒なので、仕事内容もよく知っているんです。凹凸のないものの方が、業務に支障が出ないので」
「そうなんですね……それでは、こちらなどいかがでしょうか?」
店員は頷き、ゆったりとした仕草でショーケースから三つほど商品を取り出す。
そしてそれらを硬い表情のサトの前に並べた。
「うわ……」
実物を目の前にして、サトは言葉を失った。
「お客様、お手を」
指輪を前にさらに動かなくなったサトに、店員は少し困惑したような笑みを浮かべる。
「サト! 手を出せ!」
レンが小声でサトに命令する。
「えっ! あっ、はい!」
サトはハッと我に返り、慌ててショーケースの上に手を出した。
「……お客様、婚約指輪は左手になさる方が多いので、逆の手の方が……」
「えっ? あっ、す、すみません」
サトはすぐさま手を引っ込め、逆の手を店員に差し出した。
「ふっ、震えてる……手が……」
サトは真っ青になって震える己の左手を見つめた。
「緊張しますよね? でも、大丈夫ですよ」
小刻みに震えるサトの手を、店員の温かい手がそっと包み薬指に指輪を嵌める。
「サイズは大丈夫そうですね。後はデザインですが」
「い、一番安いの……」
「これをください」
言いかけたサトの言葉を遮ったレンが示したのは、シルバーカラーの地に小さめの透明な石が三つ並んだものだった。
「えっ……これいくら……」
「俺が買うんだから俺に選択権がある。お前は黙ってろ」
「……では、こちらを嵌めてみましょうか?」
二人のやり取りに微妙な笑みを浮かべつつ、店員はレンが選んだ指輪をサトの薬指に嵌めた。
「……シンプルでよくお似合いです」
サトの薬指でさり気なく光り輝く指輪に、店員はにこりと微笑む。
やはり商品は、ショーケースに並んでいるより、誰かの指で輝くのが一番だ。
「こちらでよろしければ、箱に入れてお包みします」
「あ、このまましていきます。箱だけ別にください」
「かしこまりました」
店員はレンの申し出に頷くと、すぐに準備にとりかかる。
「どうしよう、これ……こんなの……えぇ?」
サトは左手の角度を変えながら、薬指の指輪をあたふたと眺め回した。
「は、外してもいい?」
サトは少し泣きそうになりながら隣のレンに訊ねる。
「……それを外したら、その時点で契約を破棄する」
小さくため息を吐きながら、レンはピシャリと言った。
「な、なんかそれでもいい気がしてきた」
サトは指輪に手をかける。
「外すな!」
それに気がついたレンが険しい表情で叫んだ。
「だ、だって!」
その声にピタリとサトの動きが止まる。
「ただの指輪だろうが、それは! 気にするな!」
「い、いや、婚約指輪はただの指輪じゃないだろうが!」
「……いいか、サト……よく聞け」
レンは真顔でサトの瞳をジッと見つめた。
「お前は、俺が選んだ婚約者なんだ……たとえ擬装だったとしても、俺が選んだ事には違いない。そして、お前はそれを承諾した」
サトはきゅっと口を真一文字に結んだ。
「頼むから、俺の婚約者でいてくれ……あと一ヶ月ほどでいいから」
小さな声で、レンは囁く。
「……わかったよ……あんたのお父さんの為だ……」
サトは思い出していた。自分が、なぜレンの擬装結婚の依頼を断らなかったのかを。
「お待たせしました」
店員が笑顔でレンに小さな紙袋を手渡す。
「……箱はお前に預けておく。それを返す時に必要だろう?」
レンはぼそりと言い、紙袋を隣のサトに手渡した。
「……そうだな、確かに必要だ……こんな高価なもの、そのままじゃ返せないもの……大事にとっておかないと」
サトもボソボソと呟きながら、肩から提げたショルダーバックに紙袋をしまい込む。
レンはそれを横目で見ながら、会計を済ませた。
どこか冷めた風が二人の間に吹き渡り、それぞれの黒髪を揺らして通り過ぎたのだった。
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