第12話 届かない言葉

 レンが電話で提案したのは、路面電車の終着地“にこにこファミリー動物園”だった。

 無表情のイメージしかないレンの口から出た“にこにこ”の文言に、サトは思わず電話口で吹き出しそうになった。

「なあ、なんで今日の行き先に動物園を選んだんだ?」

 サトは路面電車のつり革を掴みながら、隣に立つレンに問いかけた。

「……一人じゃ行きにくいから」

 レンはいつもの無表情でぼそりと答えた。

「……お前さ、私のじいちゃんにはにこにこだったのに、なんで私にはそんな面するんだよ」

 サトはため息混じりに言う。

「その台詞、そっくりそのまま返す」

「なに?」

「俺と一緒にいて、楽しいか? アマガイ?」

 サトの胸が、思わずドキリとした。

 ガタン、と路面電車が停留所に停まる。

「た、楽しいわけないだろ……擬装なんだから……後ろめたさが半端ないっつぅの」

 答えるサトの脳裏に井坂の娘の事が浮かんだ。

「そうだろう? 俺だって、嬉しくもないのに笑えない。それとも俺から愛想笑いを向けられて、お前は嬉しいのか?」

 ガタンと揺れて路面電車が再び動き出す。

「……いいや」

 サトは車窓から見える外の景色を眺めながら言った。

「俺は今日、久しぶりに剣の恩師に会えて嬉しかったんだ。だから笑った。それだけだ」

「……うん、わかった」

 サトはうっすらと自分が祖父に嫉妬していたのだと気づき、一刻も早くこの話題を終わらせなければと思った。

「……イサカ隊長の娘さんと、会わなかったんだな」

 サトはさり気なく、気になっていた話題に変える。

「……誰から聞いた? その話」

 レンは微かに眉根を寄せた。

「イサカ隊長本人から」

 車内のアナウンスが、次の停留所の名を告げる。

「……まだ店が開くまで時間がある……次の停留所で降りて少し歩こう」

「店? 行き先は動物園だろ?」

「いや、動物園の前に指輪を買いに行く」

 レンの言葉にサトは目を見開いた。

「ゆっ、指輪?」

 サトは混乱して素っ頓狂な声をあげる。

「変だろ、婚約したのに婚約指輪をしていないのは」

 レンは淡々とした口調で言った。

「え? そういうもんなのか? それにしたって、指輪って高いだろ? それでなくても先週沢山金使ったのに、金がもったいない!」

 慌てるサトが早口でまくしたてる。

「心配するな、契約が終わったら返してもらって売れば済む話だ……ほら、降りるぞ、アマガイ」

 停車した路面電車の降車口に向かうレンの背を、サトは仕方無しに追ったのだった。


「……後で売るのがわかってるなら、わざわざ指輪なんて買わなくてもいいのに……」

 街道を歩くレンの三歩後ろを歩きながら、サトはぶつぶつとこぼした。

「あのな、指輪の代金を払うのは俺なんだ。俺がそうしたいって言うんだから、いつまでも文句を言うな」

 前を見据えたまま、レンはピシャリと言った。

「はいはい、わかりましたよ」

 サトは大きなため息を吐いた。

「それより、イサカ隊長からなにか言われたのか?」

 少し歩調を落とし、レンは話題を戻した。

「……うん……自慢の娘さんが、隊長のこと気に入ってるって聞いた」

 少し近くなったレンの背に、サトはぽつりと言った。

「……俺の外面だけ見て、なにがわかるんだかな」

 レンは視線を前に向けたまま、呟くように言う。

「……色々わからないことがあるから、それを知るために会いたかったんだろ」

「そうか? アマガイ、俺はな」

 足を止めくるりとサトを振り返り、レンは言う。

「デートだけなら、もう二十回以上している。どれも向こうから申し込まれたものだ」

「あ、そう……さすが隊長」

 同じようにサトも足を止め、レンを見る。

「数などどうでもいい、問題は質だ」

 曖昧なサトの言葉に、レンは微かに眉根を寄せた。

「どの女も俺を好気の眼差しで見てくる……もううんざりだ……それにしてくることといえば、自分の好みのフレームを押しつけるか、俺の好みを聞いてそれに近づこうとする」

 吐き捨てるように言うレンに、サトは眉根を寄せた。

「……自分の好みを押しつけられるのが不快なのはわかるけどさ、お前の好みに近づこうとするのは健気で可愛らしいじゃねぇか」

 サトは首を傾げる。

「……俺は嫌だ。曲げない信念を持った人間として向き合うならともかく……だから、イサカ隊長には悪いが娘さんに会うのは断ったんだ」

「ふぅん……なるほどねぇ……でも、イサカ隊長の娘さんも、会ってみたらそういう人かもよ? そうだ、擬装結婚が終わったら考えてみれば? イサカ隊長に聞いたら、娘さんにはまだ新しいお相手が見つかってないって言ってたし」

 良い案だ、とサトはまんざらでもない表情を浮かべた。

「……アマガイ、お前……」

 レンは切れ長の瞳を細め、じっとサトを見つめた。

「鈍すぎる」

 レンの口から深いため息が漏れた。

「はあ? なにがだよ! お前のこと心配してやってるんだぞ、こっちは!」

 サトはそんなレンの態度に目くじらを立てる。

「……わかった、もういい。店が開く十時までそこらでお茶でもしよう」

「ちぇっ、なんだよ……」

 くるりと踵を返すレンの後ろを、サトは不服そうな表情で歩き始めたのだった。

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