第8話 職場の反応
「おはようございます」
サトはいつも通りの無表情で朝の挨拶をし、事務所の前を通り過ぎた。
「おはようございます」
受付に立つ女性事務員が目をパチクリさせた。
「え……アマガイさん?」
早々にタイムカードを打刻し、ロッカールームに向かうサトの背を、数名の事務員が目で追っていた。
「なにあれ……急にオシャレしちゃって」
「でも五寸釘がいくら眼鏡外して縮毛矯正かけたところで、大したことないわよ……ほんの少し男が上がる程度じゃない?」
サトを五寸釘、と呼んだ事務員は意地の悪い笑みを浮かべた。
「サト……どうしたんだろ、急に……まさか隊長に命令されたとか……」
その輪から外れたところで、サトの唯一の理解者であるチカが神妙な面持ちで呟いた。
「男でもできたんじゃない?」
「あの五寸釘に? ないない、絶対ないわよ! あんな無愛想でごつごつした女を選ぶヤツなんか、絶対いるわけないって。チカだってそう思うでしょ?」
チカの耳に女性事務員の嫌な言葉ばかりが届く。
「サトの格好良さは、私だけが知っていればいいんだから」
チカは愛想笑いを浮かべながら、誰に言うともなくこっそりと呟いていた。
「はあーあ、今頃好き放題言われてるんだろうなあ……」
サトはぼんやりと呟き、会議室の椅子に座った。
休み明けの日は、朝一番に隊長のみの会議が行われその後隊ごとに朝礼が行われる。
「アマガイどうした、その格好は!」
「いや、別に……」
同じ第三騎馬隊の隊員から、サトは口々に外見の変化について問われたが、その全てに同じ言葉を返していた。
「……つーかさ、外見変わったって中身は変わんないじゃん。騒ぎすぎなんだよ」
サトは憮然として隣の三十歳過ぎの隊員に言う。
「いや、そういう問題じゃないんだよ。なんで急にアマガイがイメチェンなんかしたのか、皆その理由が知りたいのさ」
「そう?」
「そりゃそうさ! 入隊以来ずーっと眼鏡にひっつめ髪だったんだぜ、気になるに決まってんじゃねぇか……で? 男でもできたか?」
サトはウキウキと訊ねて来る男にため息を吐いて見せた。
だが本当の理由は話せない。
「なんだよ、秘密ってか? 俺たちゃ仲間だろうが」
黙り込むサトに男は眉根を寄せた。
そこへ、第三騎馬隊の隊長であるレンと第二騎馬隊の隊長が入ってくる。この二隊はいつも合同で朝礼を行うのだ。
「おっと、隊長さんのお出ましだぜ」
男はコソコソと下を向いた。
第二騎馬隊の隊員は二十名、第三騎馬隊は三十名、合計五十名が会議室にいる。男性は四十九名、すなわち女性はサト一人だった。
第二騎馬隊の隊長は五十歳の壮年男性だ。現在二十五歳のレンとはかなり歳が離れている。
二人は交互に隊員達の前で挨拶と連絡事項を述べた。
「最後に、皆に報告したいことがある」
レンは真面目な面持ちのまま、隊員達の前で言った。
「アマガイ!」
五十人の前で突然名を呼ばれたサトは、嫌な予感にその場を逃げ出したくなったが、当然それはできない。
「おい、アマガイ呼ばれてるぜ、返事しねぇと怒られるぞ」
サトの隣の席の男がコソコソと言う。
「……はい」
仕方なしにサトは小さな声で返事をし、その場に立った。
しん、と静まり返る中をレンはスタスタとサトのところまで歩いてくる。そしてサトの真横で立ち止まり、満面に笑みを浮かべて宣言した。
「実は、アマガイと婚約したんだ」
一瞬にしてその場が凍りつき、すぐにどよめきが広がった。
「おい……ふざけんなよ……ここで言うか……」
サトは引きつった笑みを浮かべながら、レンにだけ聞こえるように呟く。
「……もっと自然に笑えるように、練習しておけ」
同じようにサトにだけ聞こえるように、レンは言った。
第二騎馬隊隊長は二人の様を見て複雑な表情を浮かべたが、すぐに気を取り直したように笑みを浮かべた。
「そうか……ヒラド君、アマガイ君おめでとう」
「はい、ありがとうございます」
レンは笑顔のまま、第二騎馬隊隊長を振り返った。
浮足立つその場で、唯一サトだけが疲れたように肩を落としていたのだった。
噂は瞬く間に広がり、一日が終わる頃には社内の全員が知るところとなった。
その日は雨が降っており、サトはいつものように公園でチカと一緒に昼食をとらず、食堂で軽食を買い人の目から逃げるかのように図書室に駆けこんだ。
図書室には数名の社員がいたが、食堂よりかはかなりマシだ。
本来図書室内では飲食は禁止されているが、サトは目立たない場所でこっそりとパンを齧った。
「……なんでこんなにコソコソせにゃならんのか……」
パンを無理やり水筒の水で流し込み、サトは重いため息を吐いた。
「アマガイ……」
後ろから名を呼ばれ、サトは飛び上がった。
「あっ……イサカ隊長」
振り返ったサトの視線の先にいたのは、第二騎馬隊隊長の井坂だった。
「すまんな、驚かせて」
井坂は微笑を浮かべてサトに言った。
「は、はあ……」
サトはモソモソとパンを齧り続ける。
「あの……なにか用事ですか?」
井坂はサトの食事が終わるのを待ってから、口を開いた。
「うん、実は一つだけ君に聞きたいことがあってね……君たちは、いったいいつから付き合っていたんだね?」
単刀直入な問にサトは表情を強張らせた。
「えっと……いつからだったかな……で、でもなぜそのような事をお聞きになるのですか?」
なんとかこの場をごまかそうと、サトは愛想笑いを浮かべて井坂に問い返す。
「あぁ、実はね……」
井坂は小さめにしていた声をさらに小さくした。
「私の娘と一度会ってくれないかと打診していたんだよ、ヒラド君に」
サトはサッと顔色を変えた。
「そっ、それは知りませんでした……その話、いつ頃のものですか?」
「一ヶ月くらい前のことだよ。まあ、見事に断られたんだけどね……まさかヒラド君と君が付き合っていたとは知らなかったから、断られた理由がわかってすっきりしたよ。てっきり私の娘が気に入らなかったのかと思っていたからね」
井坂はにこりと笑った。その笑顔に、サトの罪悪感はますます重みを増す。
「すみません……」
サトは心の底から謝った。
「あの、お嬢さんは他にいい方が見つかりましたか?」
おずおずとした口調でサトは問う。
「うーん、なかなかねぇ……うちの娘は面食いだから、ハードルが高くてねぇ」
「そっ、そうですか……」
「ヒラド君は同じ職場だから、勤務態度も真面目なのは知っているし、見ての通り彼は顔もスタイルも良いから、うってつけだと思ったんだがねぇ」
「……はぁ、まったく申し訳ないです……」
つくづく、レンは自分とは釣り合いがとれないとサトは俯いた。
「まあなんにせよ、君はどちらかというと凛々しいタイプだから、君のような女性を好むヒラド君にはうちの娘は合わないなあ、アハハ」
「ははは……というと、娘さんは可愛らしいタイプということで?」
「そうなんだよ! 親ばかなんだが、こうふんわりとした可愛らしいタイプでねぇ……女学校で嫁入り修行も積んでるし、いい嫁になれると思ったんだが」
「……きっとなれますよ、いいお嫁さんに……あんなヒラドなんかよりもっとずっと頼れるイイ男と幸せになってください!」
「おいおい、なんかよりって……」
熱弁するサトに、井坂はつい苦笑した。
「うん、ありがとう……君とこうして話をするとは思わなかったが、君はいい子だね」
井坂は黒い瞳を細めてサトを見た。
「ヒラド君は人を見る目があるってことだ……じゃあ、私はそろそろ行くよ。昼食の邪魔をして悪かったね」
「あっ、いえ……」
手を上げてサトの元から立ち去る井坂の背を、サトは複雑な表情で見つめていたのだった。
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