第7話 アマガイ家
天貝、の表札より古びた“天貝剣術道場”の木製看板の方が目立つ。
サトはその家の門を開け敷地内に入った。
「ただいまぁ……あぁ、疲れた……とりあえずコンタクトレンズを外そう」
大量の洋服が入った大きな紙袋をどすんと乱暴に置き、サトは家にあがった。
「おかえり、サト……って、どうしたのあなた、その髪! 服! それに眼鏡がない!」
孫娘の姿を見るなり、祖母は素っ頓狂な声をあげた。
「あ、ばあちゃんただいま……眼鏡はもうすぐ復活するから安心して」
サトは祖母に向かって笑いかけ、早足に洗面台に向かう。
「しっかし、ほんとに歩きにくいなこのスカート……見た目はオシャレでいいけどよ……」
サトはぶつぶつと言いながらコンタクトレンズのケースを取り出し、慣れない手つきでコンタクトレンズを外しにかかった。
「うわ! ホントじゃ! どうしたんじゃサト、その格好は!」
「……じいちゃん、後で詳しく話すから……」
必死の形相で鏡を覗き込みながら、サトは目を丸くしている祖父に言う。
「……どこぞのお嬢さんかと思ったわい……サト、晩飯は食うか?」
「うん、食べるよ! その前に着替えてくる! よし、なんとかなったぞ」
サトは購入時に店員から受けた説明通りの手入れをし、コンタクトレンズをケースにしまった。
「これは毎日練習しないと慣れないなぁ……職場にもしてこいって言うしさ、あの野郎……」
サトはショルダーバックから愛用の眼鏡を取り出して掛けながら、ぶつぶつとこぼした。
「あの野郎とは誰のことじゃな?」
祖父の問にサトはぎくりとした表情を浮かべる。
「えっと……今日一緒に行動してたヒト……」
「ほぉ、その服を選んだのもその相手か」
祖父は真面目な表情でサトを見上げた。サトの方が祖父より十センチほど背が高いのだ。
「そ、そう……」
「さては男だな」
祖父はニヤリとした笑みを浮かべた。
「あぁ、まあ、確かにそうなんだけど……ちょっと訳ありなんだよ……親父にはちゃんと話さなきゃと思ってる」
「なんでコジロウには話してワシには話さんのじゃ?」
祖父は不服そうに顔を歪めた。
「なにも話さないとは言ってないよ、順番だよ順番……じゃあ着替えてくるから」
サトはジロジロと見てくる祖父を後にして自室に向かった。
バタン、と音を立てて部屋の扉を閉め、サトは床に座りこんだ。
「……親父、なんて言うかな……擬装なんだよ、悪いけど」
サトはため息を吐きながら、見慣れた天井を見上げた。
そしてベッドに乱雑に置かれた部屋着に着替える。
「……確かに髪型一つ変えるだけで、人の印象って変わるもんだよな……」
先ほどコンタクトレンズを外そうと賢明に鏡を見ていたサトは、鏡に映る自分を見てあらためてそう思っていた。
「まあ、外面が変わろうと私は私なんだけどな……しかしこの感じからすると、出社した後の社内の奴らの反応が怖いな……まあ、気にしないけど」
サトは小さくため息を吐きながら階段を降り、リビングに向かった。テーブルには祖父と祖母がいて、祖母はサトの分の夕食を卓上に並べていた。
「ありがとう、ばあちゃん」
サトは椅子に座り、祖母から湯気をたてる白米が盛られた茶碗を受け取る。
「デートは楽しかった?」
にこにこと笑って問う祖母に、サトはむせそうになった。
「で、デートじゃないよ……単に一緒に出かけただけで……付き合ってるわけじゃないし」
「なんじゃ、照れてるんか?」
祖母に話をした祖父が、疑わし気な視線をサトに向けてくる。
「あのさあ、ほんとに違うから。上司だよ、同じ隊の」
サトは甘辛く煮込まれた根菜を口に運ぶ。幼い頃から食べ慣れた祖母の味つけだ。
「あら……でも上司の方は男性なんでしょ?」
祖母は小首を傾げながら言った。
「あのね、ばあちゃん……男性と二人で出かけたからって、それをデートとは言わないんだよ。お互いに好意を持ってる者同士で出かけるのがデートってやつだろ? 私も向こうも、相手に好意なんて持ってないんだよ」
「あらそうなの……なんだ、つまらないわねぇ」
祖母は笑顔を浮かべたまま、ことりと湯のみ茶碗をサトの横に置いた。
「いや、ワシは脈ありとみた」
「……じぃちゃん……それは単なる願望ってやつだろ……現実はそう甘くないんだよ。私が女としての魅力に乏しいのはじぃちゃんだって知ってるだろ?」
「なに言っとるんじゃサト! 結婚はな、インスピレーションじゃぞ! それにサトは十分人間的魅力がある! このワシが天塩にかけて育てたんじゃからな!」
祖父はサトに力説した。
「じぃちゃんからは、主に剣術と体術しか教わってないよ……まあ、お陰で今の職に就けているから、感謝はしてるけど」
少し不貞腐れたように言うサトを見て、祖母はふふっと笑った。
「私よりばあちゃんの方が、よっぽどかわいいよ」
そんな祖母の笑顔に思わず頬を緩め、サトは言う。
「世の中にはね、かっこいい女の人が好きっていう人だっていると思うわよ」
祖母は頼りがいのある孫娘に向かって言った。
「そうかねぇ……やっぱり男ってのはさ、思わず守ってあげたくなるような女が好きなんじゃないのかな?」
サトはしみじみとした口調で祖母に言う。
「まあ、蓼食う虫も好き好きって言うしのぅ……やはり出会いは運じゃな」
祖父が祖母の淹れたお茶を口にしながら言った。
「運命ね……」
夕食を食べ終わり、祖父と同じようにお茶をすすりながらサトは呟く。
「あの鉄面皮が運命の人なんて冗談じゃねぇや……早く契約終了させて報酬もらわなきゃ」
「契約?」
サトの言葉に祖父が不審そうな表情を浮かべた。
「あぁ、いやなんでもないよ、親父工房にいるんだろ? ちょっと話をしてくるよ。ばあちゃん、ごちそうさま」
サトは誤魔化すように笑いながら食器をシンクに下げると、リビングを出る。
「親父、いる?」
サトは工房の扉を開き、中に声をかけた。そこには様々な大きさの刃物が置いてあった。
「ん? なんだサト……珍しいな」
「……ごめん、仕事中に」
背が高くごつごつとした印象の父の背に向かってサトは謝った。
「ちょっと、話があるんだ」
「……爺さんにじゃなくて、俺にか……」
父は手にしていた刃物を研ぐ手を止め、刃物を台の上に置くとサトに向き直った。
「お前、なんか印象変わったな……なんだ?」
「あぁ、髪の毛をちょっとね……あのさ、私擬装結婚することになったんだ」
声のトーンを落し、サトは真顔で父に告げた。
「擬装結婚? なんだそれは?」
父は微かに眉根を寄せる。
「私の上司の父親が余命三ヶ月らしいんだけど、どうしても生きているうちに嫁を見せたいんだってさ」
「……なるほどな……父親を安心させる為に嘘をつこうっていうのか……あまり感心しないな、それは」
「……だよな……正直、私もあまり気が進まない……でも引き受けちゃったんだけど」
サトは父親の大きな手を見つめながら言った。
「……そうか……それなら、責任もってきちんと騙してこい。立派な嫁になりきれ、サト」
言い、父コジロウは笑った。
「……反対しないんだ……」
サトは拍子抜けしたように父を見た。
「詳しくは知らんが、お前は事情を知ってその男の力になりたいと思ったんだろう? それなら、俺が口出しすることじゃない。まあそりゃ本音を言えば、擬装じゃなくて本当に結婚してくれたら、俺も安心できるってもんだが」
サトは父の言葉に口をつぐんだ。
「……別に、プレッシャーをかけてるわけじゃない。俺はお前が元気で楽しく、俺や爺さん達より長く生きてくれりゃあ、それで満足だ」
父は笑みを浮かべたまま、黙り込むサトに言った。
「……そしたら、私は一人になっちまうじゃないか……」
サトは真顔でぼそりと言う。
「……そうだな……でもよ、人は死ぬ時は一人だ。だがそれまでの時間を誰かと共に過ごしたいって言うなら、お前もそれなりに行動しなきゃな」
「……うん……あ、念の為に言っておくけど、擬装結婚の話は誰にも言わないで……お客さんとかさ」
「わかった」
心配そうな表情を浮かべるサトに、父は大きく頷いて見せた。
「ありがとう……なんか、親父に話したら気持ちが落ち着いた」
「……だろうな、そんな後ろめたいことやろうとしてるんじゃあ……まあ、とにかく頑張れや」
父はにこりと笑ってサトの背を押した。
「……うん……じゃあ部屋に戻る。仕事の邪魔して悪かった、ごめん」
「いや、もうすぐ終わるから気にするな」
父は言うと再び先ほど研いでいた刃物を手にとった。
やはり父には正直に話をして良かったと、サトはほっと安堵のため息を吐いたのだった。
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