第6話 映画鑑賞
「おい、いったいいつまでそうしてるつもりだ」
前を歩くレンが足を止め、後ろを振り返った。そこには浮かない表情をしたサトがいる。
「だってさ、もしかして噂になるかも……くらいな覚悟でいたのにさ……そんなに本格的な詐欺やるつもりだったなんてよ……なんかこう、心にズシンてくるわ」
サトは無表情で、地面に向かって言った。
「あのな、アマガイ。こういったことは、コソコソやるより堂々とやった方がいいんだ。その方が周りから怪しまれないからな」
レンは無表情で言い、再び前を向いて歩き出した。その三歩後ろをサトはついていく。
レンは通り沿いにある数店の高級衣料店の前を通り過ぎた。
「……あぁ、そういえば次は服を買うんだっけ……」
それらのショーウィンドウをなんとなく眺めながら、サトは思考を現実に切り替えた。
「ここなら色んなタイプの服がある上に安上がりだ」
無言で歩き続けたレンが足を止めたのは、広い面積を誇る中古衣料店の前だった。老若男女に向けた豊富な品揃えを売りにしている店である。
「へぇ、意外だな……服にも気を使えというから、てっきり高級な店に行くんだと思ってた」
サトは店内に陳列されている様々な服をキョロキョロと見回した。
「お前は服のセンスがあると思えんから、俺が選ぶ」
迷うことなくレディース服のコーナーに足を運びながら、レンはすっぱりと言った。
「うっ……そんなにはっきり言わなくたって……服なんかなんだっていいじゃんか……」
少し傷ついた体のサトがぶつぶつとこぼした。
「よくない、俺の隣を歩いても不自然じゃない格好をしてもらわなければ困るんだ」
レンはそう言いながら、ロングスカートが沢山並べられているコーナーを見、次々と手にとって見比べた。
「まあ、センスがないのは自覚してるよ……体の線さえ隠れれば後はどうでもいいって思ってるし」
サトはどうにも居心地の悪さを感じながら言った。
一七〇センチを少しオーバーする身長を持つ女性は、店内にサト一人だった。
「あぁ、早くここから出たい……」
レンから少し距離を置いたところで、サトは服を見ているフリをしつつうなだれていた。
女性物の衣料を見ている客の多くは女性だ。サトは、見ず知らずの彼女らと自分とをつい比較してしまう。
「選び終わった」
しかしそんなサトには目もくれず、レンは手にしたカゴいっぱいの服をサトに手渡した。
「試着してこい、全部」
「えっ……これ全部?」
サトは山盛りになっている服を見て、眉根を寄せた。
「つべこべ言わずにさっさと行ってこい。映画に間に合わなくなる」
「わかったよ!」
サトはヤケ気味に叫ぶと、試着室に大量の服を持ち込んだ。
「正直、似合ってるのかどうかさっぱりわからん」
サトは試着室の鏡と無駄なにらめっこをしながら、全ての服の試着を終えた。
「どうだった?」
「え……うん、まあ、着られたけど」
「よし、じゃあこれ全部買ってくる」
「えっ、これ全部?」
レンは呆然とするサトからカゴを奪い取ると、さっさと支払いを済ませる。
「とりあえず、今日はこれとこれを着ろ」
近くの公園のベンチに座り、レンは手にした大きな紙袋の中から黒のトップスと深緑色のマーメイドスカートを取り出した。
「これ?」
「早く着替えてこい、待ってるから」
「ちぇっ、わかったよ」
サトはレンから手渡された服を手にトイレに向かった。
「な、なんか転びそう」
元々着ていた服を手にトイレから出てきたサトにはクールな上品さが漂っていた。
縮毛矯正をかけたばかりの艶のあるさらさらとした髪が、ふっと風に揺れた。
その様をまじまじと見つめ、レンは目を細めた。
「うん、やはり俺の見立て通りよく似合う。次と次と次のデートの時はこの組み合わせで着てこい」
レンはサトが着替えている間に、先ほど店で購入した服の組み合わせを考えて揃えていた。
それを見やり、サトはため息をつく。
「隊長、あんたそれ昔の女の服装でも参考にしてるのか?」
サトの問に微かにレンの表情が揺らいだ。
「……そんなんじゃない……単に俺のセンスが良いだけだ」
「あっ、そうですか……それは羨ましいことで」
「よし、じゃあ映画館に行こう」
「はいはい、わかりましたよ」
サトは小さくため息を吐き、手にしていた服を畳んで紙袋に入れるとそれを脇に抱えた。
「……なんで、並んで歩くんだよ? さっきまでは前を歩いてたのにさ」
急に歩調を合わせて歩くようになった隣のレンを見やり、サトは問う。
「なんでって、ようやく俺の隣に立つのにふさわしくなった結婚相手の隣を歩くのは、普通のことだろう?」
レンは無表情のままサトの問に答えた。視線は前を向いたままだ。
「まあ……擬装だけどな」
サトもレンと同じように前を向く。
「擬装だが、それらしく振る舞わなければならない。どこに誰の目があるのかわからんのだからな」
レンはそう言うとさり気なくサトの肩に手を回した。サトはギョッとしてレンから離れる。
「おい、なにしてるんだ」
サトの態度にレンは不服そうに言った。
「な、なにって、それはこっちのセリフだ!」
明らかに焦りの色を浮かべるサトに、レンは首を傾げた。
「アマガイ……もしかしてお前、男と付き合ったことないのか?」
レンの問が、ぐさりとサトの胸に刺さる。
「ねぇよ……悪いかよ、二十七にもなる女が男と付き合った経験がないなんてよ」
サトは俯き地面に向かって言った。
「いや……悪くない。むしろ良かった。悪いのは俺の方だった……すまない、配慮が足りなかった」
「え?」
見上げたレンの無表情な顔が、なぜか少し優しく見えた。
「目の錯覚か……」
サトはぼそりと呟いた。
「後ろを歩きたかったら、後ろを歩いてもいい。行こう、上映時間が迫っている」
そう言って早足で歩き出すレンの三歩後ろを、サトは黙って歩き始めたのだった。
「なんていうか……どうなんだ、これは? 私は原作を読んでないからイマイチわからんのだが」
映画鑑賞を終え、外に出たサトが感想を口にした。隣のレンの表情はいつも通り無表情なものだ。
外は日が落ち、すっかり夜闇に包まれていた。
「まあ、実写は実写だからな……イメージと違うというのは仕方がない……ストーリーはまあまあ原作通りだったから良かったと思うが……なんにしても、実写映画は原作に敵うはずがない」
レンが言った映画の感想に、サトは腕を組んでうんうんと頷いた。
「やっぱりそうだよな……なあ例の報酬、前払いしてくれない?」
サトの言う報酬とは、擬装結婚がうまくいった時のもので二タイトル百冊分の漫画本のことだった。
その内の一タイトルが、今しがた二人が鑑賞した映画の原作である。
「断る」
あっさりと断られ、サトは肩を落とした。
「だよなあ……あんたのお父さんをうまく騙せるかどうかわからないしな……あー、今すぐ読みたい……なあ、隊長のお父さんにはいつ会えるんだ?」
サトはソワソワした様子でレンに問う。
「少なくともあと三回は訓練してからじゃないと」
「えっ、あと三回もこれ繰り返すのかよ!」
思わずサトは叫んだ。
レンが言う訓練とは、もちろん今日のようなデートのことだ。それはいわば擬装デートと言えるものだったが。
「もしかして毎週とか言わないよな……」
サトは青ざめた。
「何を言っている、毎週に決まっているだろうが……この間言ったように、俺の父には時間がないんだからな。来週も同じ時間同じ場所で待ち合わせだ。いいな?」
レンは明らかに不満顔のサトに対し、有無を言わさぬ口調で言った。
「それから明後日からの勤務、必ずコンタクトをしてこい。髪もできるだけ縛るな……邪魔になるようなら仕方がないが」
「……なあ、漫画のタイトル追加してもいい?」
サトはじとっとした視線をレンに向け、訊ねた。
「……それは、後から考えてやる」
はあ、と小さくため息を吐きレンはそう答えたのだった。
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