第2話 倉庫裏

 平戸レン。

「十八歳で入隊、二十五歳で隊長に就任。いったいどんなコネ使ったんだか」

 潮風が吹く公園で、サトは隣の事務服に身を包んだ女に話しかけた。

「うーん、噂じゃお偉いさんの娘に枕営業したとかなんとか……でもヒラド隊長独身だし、噂はガセかもねぇ」

「あぁ、あの男は高身長にスラリとした体格、それになんてったって面がいいからな、そんな噂があったってなんにも不思議じゃない」

 サトはぼんやりと鈍色の海原を眺めながら言った。

「サトだって、高身長のスラリとした体格じゃない。かっこいいよ」

「チカ、それは女には褒め言葉にならないよ」

 サトは苦笑いを浮かべる。

「だって、こんなに引き締まった筋肉しててさ……隊服だって、すんごく似合うじゃない?」

 チカと呼ばれた女は隊服姿のサトの腕のあたりをしげしげと見つめた。

「……私が男だったら、チカみたいに華奢で守りたくなるような女を選ぶよ」

「ふふっ、ありがとう」

 チカが笑うと、ふんわりカールした黒髪が風に揺れた。サトはそれを眩しそうに目を細めて見つめる。

「でも、ヒラド隊長に関しては噂ばかりで、本当のところがどうなのかわからないのよね」

 チカはかわいらしく首を傾げた。

「隊員の人間関係に明るい総務課のお嬢さんが言うんじゃ、間違いないな」

 サトは笑って言う。

「なんで私なんかに声をかけたんだか……あぁ、めんどくさい」

「ヒラド隊長ファンクラブの娘達がそれ聞いたら、サトは絶対に袋叩きにあうよ。だから私以外の人には、隊長との待合せのこと言っちゃダメだよ」

 チカは心配そうに眉根を寄せる。

「……言わないよ。チカは私のたった一人の理解者だから、言ったんだ」

 サトは微かに笑う。

「……サトは、私の命の恩人だもの」

 どこか遠い目をしてチカは言った。

「……あの男のこと、もう忘れられた?」

「……うん……今は別の人とお付き合いしてるから……本当、あの時ヤケを起こしてた私を止めてくれてありがとう、サト」

 チカはサトの瞳を見上げ、にっこりと笑った。

「うん、チカは笑った顔が一番素敵だよ」

「うっわ、すっごい殺し文句……サトは女にしておくのほんともったいないなあ」

 しみじみと呟くチカの言葉に、サトは照れたような笑みを浮かべる。

「さて、じゃあそろそろ仕事に戻るか」

「そうだね……隊長となにを話したのか、気になるから後で教えてね」

 体を伸ばしたサトに、チカは言った。

「まあ、どうせ大した話じゃないと思うけどね。ありがとう、チカ。話を聞いてくれて……じゃ、行くわ」

 サトはくるりと踵を返す。

 サトの勤務地は、港の近くにある倉庫会社だ。

 そこまでは騎馬での移動である。

 その背を見送りながら、チカは少し複雑そうな表情を浮かべていたのだった。


 隊長から渡されたメモ用紙に記されていた場所は、今は使われていないとある倉庫の裏だった。

 サトは携行用ランプを手に、そこへ向かう。

「……ほんとにいた」

 夜闇に包まれたばかりの辺りは、まだなんとか視界がある。その中にランプを足元に置き、壁に寄りかかる平戸レンの姿があった。

「……悪いな、勤務明けで疲れてるだろうところを」

 レンはサトの姿に気づき、足元のランプを手に取る。

「どうしても、他人に聞かれては困る話なんでな……」

「……ってことは、やっぱ聞き間違いじゃなかったってことか……」

 サトはレンから少し離れた位置で立ち止まった。

「いきなり本題に入るけどさ、あんた女にモテるんだから偽装じゃなくて本当に結婚すりゃあいいじゃない。喜ばれるよ、その方が」

「……俺には、結婚願望も女と付き合う気もサラサラない」

「……へぇ、それが本当なら意外だ」

 サトは眼鏡の奥の瞳を細めた。

「若くしての昇格は、そういった努力の結果かと思ってたよ」

「……確かに、昔向こうから頼まれて何回かデートはしたことはある」

「やっぱりか」

 サトは口元にニヤリとした笑みを浮かべた。

「そして気づいたんだ。俺は女と付き合うのには向いていないとな」

 真面目な表情を一切崩さずに言うレンの言葉に、サトは真顔になった。

「いったいどういうことだ、そりゃ……」

「まず、女はめんどくさい。服だのヘアスタイルだのを褒めなきゃ不貞腐れる」

「……いや、それは一部の女の話だろ……」

 レンが口にした言葉に、サトは眉根を寄せた。

「それに飲食代は全て俺持ちが当たり前みたいな顔をする」

「……それも一部の女だけだろ」

「それになにより会話がつまらん」

 とどめの一言に、サトは重いため息を吐いた。

「隊長、あんた歩み寄りって言葉知ってる?」

「ん? 知っているが?」

 レンは怪訝な表情でサトを見る。

「知ってるなら使え、それを……つまらなさそうな表情したら、相手の女が気の毒だろうが」

 サトは軽くレンを睨みながら言った。

「なぜ俺がそこまで気を使わなければらなんのだ」

 しかしレンは憮然とした表情で言い切る。

「……わかった、もういい。私の認識が間違っていたのがよくわかった。しかし、なぜ私を選んだ? 私は見ての通りちっとも女らしくないぞ。あれか、むしろそういうのが好みなのか?」

 サトはなにかを諦めたかのようにため息を吐いた後、微かに渋面を作って訊ねた。

「お前を選んだ理由は、強そうだったからだ。社の女連中からやっかみで攻撃を受けても、跳ね返しそうに思えた」

「あぁ、そういうことか……確かに、普通の娘じゃ袋叩きにされたらヤバいことになるだろうな」

 サトは納得したように頷き、ちらりとチカの姿を思い出した。

 華奢でかわいらしくて、にこにこと笑うとまるでそこに陽だまりができたかのように感じる。

「ああいった普通のお嬢さんを気の毒な目に合わせるのは、私も反対だ……しかし」

 サトはふと真顔になった。

「なぜ偽装結婚などする必要がある?」

「うん、その説明は必要だ。俺の父は、余命三ヶ月と宣告されている」

「……病か……」

 レンの冷静な声音に、サトは微かに眉根を寄せ呟くように言った。

「死ぬ前に俺の嫁の顔を見ないと死んでも死にきれん、と俺は幼少の頃から言われて育った」

「そうなのかよ……もしかしてあんた、長男か?」

「そうだ。しかも俺は一人っ子だ」

 サトはしばしの間黙り込んだ。

「あんたのお父さんには気の毒だが、騙してまで安心させなきゃならないのか?」

 サトは問う。

「嫁を見せなければ、化けてでるぞ、うちの父は」

「はあ?」

「昔からとても執念深い人なんだ……思い込みも強いし、こうと言ったら一切曲がらない」

 レンの“曲がらない”という言葉に、サトの頭には自身の父親の姿が浮かんだ。

「……うちの親父も頑固で曲がらねぇわ……幸い、異性関係にゃ口出しされたことはないけど……そっか……」

 サトはぼんやりとランプの灯りを見つめた後、レンの顔を見た。

「見返りは?」

「見返り?」

「偽装結婚てやつに協力してやったら、私に何をしてくれる?」

 サトからの問に、レンはほっとしたような微笑を浮かべた。

「礼ならなんでもいい……金でもいいぞ」

「金か……いや、あんたの父親の前で嫁ですって言うだけなんだから、そんな大層なもんはなぁ……あ、そうだ」

 サトは妙案を思いつき、にこりと笑った。

「漫画買ってくれ、二タイトルを全巻セットな。合計百冊ある」

「それ、昨日図書室で読んでいた本か?」

「そうだよ、あれ既刊の冊数が多いんだ。しかもまだ連載中だし。あれのほかにももう一つ気になってるのがあってさあ!」

 サトは嬉々として言った。

「……もしかしてこれか?」

 レンは上着のポケットから二枚のチケットを取り出し、サトに示した。

「ん? なんだそれ?」

 サトはレンに近づきその手にあるチケットを見た。それを視認した途端、パッとその表情が明るくなる。

「そうそう、これだよ! 今、実写映画を上映しててさ! 観に行こうか迷ってたんだよ……で、くれるのか? このチケット」

 サトは二枚のチケットに手を伸ばすが、レンはさっとそれを元のようにポケットにしまい込んだ。

「おい……」

 サトは不服そうに眉根を寄せる。

「今度の休みに、一緒に観に行こう」

「はあ? なんであんたと一緒に行かなきゃならないんだ?」

 レンからの申し出に、サトは嫌そうに眉根を寄せた。

「偽装結婚は偽装とバレたら即アウトなんだ。うちの父はそういうところに敏感でな……つまり即席ではなく、ある程度経験を積み重ねてから父のところに挨拶に行ってもらう」

 レンはピシャリと言った。

「経験って、つまりはデートってことかよ……めんどくせぇな」

 サトはげんなりとして言う。

「俺も面倒だ……金もかかるしな……だが仕方がない。これも父を騙す為だと思えば」

 微かに眉根を寄せ、ため息混じりにレンは言った。

「意外とケチくせぇんだな、隊長……で、私の出した条件は飲むのか? どうするんだ?」

「もちろん飲むさ。ただし、成功したらだけどな」

「よし!」

 ニヤリと笑ったサトにレンは手を差し出す。

「ん? なんだよこの手は?」

「連絡先を教えろ。電話番号。後で映画を観に行く時の待合せの場所と時間を決めて、連絡するから」

「嫌だ。そんなの、今決めりゃあいいだろ」

「……当日急に都合が悪くなったりした時にも、連絡先がわからないと困るだろうが」

 少しイラッとした表情でレンは言った。

「ちぇっ、仕方ねぇな……推しの為だ……」

 サトはショルダーバックからメモとペンを取り出し、自身の連絡先を書き込むとそれをレンに手渡した。

「情報漏洩しやがったら、ただじゃすまさねぇからな」

「……それはお互い様だろ」

 ぼそりと言い、レンはメモを受け取る。

 辺りはすっかり夜闇に包まれ、冷たくなった空気が密約を結んだ二人をそっと包んでいたのだった。

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