第26話 三角関係

 魚昇では12時近くまで飲んでいた。

 本田さんはタクシーで帰り、他の3人は歩いて自宅へ向かった。

 僕は酔いを醒ましながら、山城川沿いを歩いた。

 春だが、夜風は冷たかった。

 桜の花びらが散っていくのが、街灯の光で見えた。


 白根アパート201号室に入ると、「おかえり、楽しかったか?」とガーネットが少し寂しそうな顔をして言った。

「ただいま。まあまあ楽しかったよ。ちょっと飲み過ぎた」

「本田茜とは話したのか?」

「そりゃあ話したよ。一緒に飲んだんだから」

「仲よくなったのか?」

「ああ、あの子、僕のことを好きなタイプとか言ってたよ」

 僕はまだ酔っていて、さらりと言ってしまった。その直後、言わなければよかったかなと思ったが、口から出た言葉は消せない。

「なにーっ、茜のやつ、そんなことを言ったのか! 数多、なんて答えたんだ?」

 ガーネットがすごい剣幕で詰め寄ってきた。

「えーっと、なんて言ったかな。日本酒を飲んで酔っていたから、よく憶えていない」

「きっぱり拒絶してくれなかったのか?」

「ガーネットを愛してるってことは伝えたよ」

「それで、茜は引き下がったのか?」

「引き下がらなかったかも」

「ぎゃーっ、茜は敵だ! あたしから数多を奪おうとしてやがる!」

「僕はガーネットが大好きだから、心配しなくていいよ」

 僕はふらふらと浴室に入り、シャワーを浴びた。

 その後のことは憶えていない。


 目覚まし時計のベルで起きた。

 4月8日木曜日、午前7時。

 ガーネットはすでに朝食の用意をしてくれていた。

 炊きたてのごはんと卵焼き、大根おろしと大根の葉が入ったお味噌汁。

 味噌汁が少しアルコールが残っている身体に心地よく沁みていった。

「美味しい。ガーネットがつくるごはんは最高だよ」

「愛情を込めているからな。あたしの愛は茜の百倍だ」

「本田さんのことは、そんなに気にするなよ」

「気になるよ! 職場でずっと一緒なんだろう?」

「ずっとは一緒じゃないよ。席は隣だけど、僕には僕の仕事がある」

「隣! 隣の席なのか! くはーっ、近くにいる男女は仲がよくなりやすいんだよ!」

「誰がそんなことを言った?」

「少女漫画で学んだ」

「おまえ、少女漫画なんて読んでたっけ?」

「脳内ネットで読んだ。あたしは恋愛ものが好きなんだ。ヒロインの相手役はすべて数多に変換して読んでいる」

「そんな妙な読み方はやめろ」

「自然とそうなるんだよ。数多が好きだから!」

 やはりガーネットは可愛い。顔だけじゃなくて、心が乙女だ。口調は悪いけど。

 僕は朝食を終えるとすぐに歯を磨いた。そして、ガーネットを抱き寄せ、キスをした。彼女はうっとりした顔をしていた。


 8時15分に職場に着くと、本田さんはすでに仕事を始めていた。

「おはようございます。昨日はお疲れさまでした」

「おはようございます。かなり飲んでいたけれど、だいじょうぶかい?」

「はい。なんともありません」

 本田さんの肝臓はかなり性能がいいらしい。

 竹内さんもけろっとしている。

 村中さんは少しぼんやりとしていた。コーヒーを飲みながら、「ちょっと飲み過ぎた……」とつぶやいていた。


 日中は激務をこなした。

 午前中は本田さんに市営月極駐車場と経理の事務を教え、午後は僕自身の仕事、火災保険と庶務を進めていった。

 小学校の敷地と隣地の境界立会申請があり、日程調整をした。どうしてこんなに忙しいのだろう? 就職前、地方公務員は定時に帰れると思っていたけれど、全然ちがう。

 残業をして、午後9時に帰ろうとしたが、本田さんがまだ仕事をしていた。

 後輩の女の子を残して帰る気にはなれなかった。


「なにかわからないことはあるかい?」

「わからなくはないですが、月極駐車場の仕事も厄介ですね。空き待ちの人数が相当多いです」

「市営駐車場は民間の駐車場に比べて、少し安いからね。人気があるんだよ」

「今日、市議会議員の方から電話があって、空きはないのかと訊かれました。ありませんと答えたら、きつい口調で年度ごとの交代制を検討してくれと言われました」

 僕は焦った。議員からの問い合わせの回答には、注意を要する。

「どう答えたの?」

「自動車を所有している方が急に駐車場所を失ったら困るので、交代制はできませんと回答しました」

「それで正しいんだけど、議員さんの反応はどうだった?」

「なんか怒ってました。公平に機会を与えるべきだとかなんとか言ってました。わたしがそれに答える前に、電話は切られました」

「議員さんの名前は憶えている?」

「ノートにメモを取っています。民自党の鈴木議員です」

「その電話対応、補佐に報告した?」

「忙しかったので、していません」

 あちゃーっ。

「ごめん、僕の指導不足だった。議員さんからの電話があったら、すぐに矢口補佐に報告をして」

「わたしも報告した方がいいのかなあと思ったんですが、そのとき、補佐は席にいなかったんです」

「補佐がいなかったら、開高課長に報告してくれる?」

「わかりました」

「明日の朝一で、その件を補佐に報告してね。本田さんの回答は正しいんだけど、もし議員さんが問題視すると、その対応は下っ端の僕たちでは無理で、管理職が行うことになるんだ。報連相を大切にして、仕事をする癖をつけてくれ」

「ほうれん草ってなんのことです? 野菜がどうしてこの会話の中で出てくるんですか?」

「この文脈で言うほうれんそうは野菜じゃない。報告、連絡、相談のことだよ。略して報連相」

「報連相……。わかりました。ご指導ありがとうございます、波野先輩!」

 本田さんが笑った。可愛らしい笑顔で、ちょっとドキッとした。


 帰宅して、ガーネットに「今日はなにかあった?」と訊かれたので、本田さんに報連相を教えたことを話した。

「うわあ、数多が茜にやさしい! これは三角関係だぜ! 数多、浮気すんな!」

「三角関係なんかじゃないよ。僕はメンターで、本田さんはメンティ。指導すべきことを教えているだけだよ」

「それが女の子にはやさしく見えるんだよ。数多はわかってない!」

「僕にどうしろと?」

「茜にはビジネスライクに対応しろ。事務的な口調で、仕事のことだけを話せ」

「仕事のことしか話していないよ」

「うーん……。数多の口調はやさしいんだよ。努めて冷たく話せ!」

「それはちょっと無理かな。後輩には親切にしたい」

「ぎゃーっ、数多が二股をかけようとしている。女たらしだ!」

「二股なんてしないよ。ガーネット、僕を信じてくれ」

「うう……。信じてるけどさあ、不安なんだよ」

 ガーネットは涙目みたいになっていた。アンドロイドなので、涙は出ないけれど。

 僕が彼女の頭を撫でると、しがみついてきた。

 かわいい女の子だ。

 僕にはもったいないほどよい子だ。

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