第24話 4月の市役所は多忙
4月7日は水曜日だ。
毎週水曜日はノー残業デーとされていて、定時で帰ることが奨励されている。
他の日も、職員の健康維持と人件費削減のため、できるだけ残業はしないように、と副市長から通達されているのだが、無理だ。
仕事は山のようにあり、人員は少ない。
僕だって早く帰りたいが、残業せずに業務を終えるのは困難。
特に4月は忙しい時期で、定時に仕事をすべて終えるのは不可能だ。
新人の本田さんの指導もしなければならない。
4月には、できるだけ早期に締結しなければならないたくさんの契約がある。
駅前地下駐車場の業務だけでも、管理委託、廃棄物処理委託、消防設備保守委託、電気設備保守委託、清掃委託、機械設備保守委託、換気設備保守委託、警備委託などを業者と契約しなければならない。
年度末に指名業者を決定しておき、年度当初に契約締結事務を行う。
僕は本田さんに仕事のやり方を教えた。業者に連絡させ、一緒に入札や見積合わせを行い、契約締結の起案の仕方を指導する。
「驚きました。こんなに多くの業務委託があるんですね」
「専門業者でなければできない仕事がたくさんあるんだ。驚いている暇はないよ。さっさと仕事して。なにか質問はある?」
「文書管理システムの使い方をもう一度教えてください」
「マニュアルがあるだろ?」
「こんなわかりにくいマニュアルを読んでいたら、仕事が終わらないです」
「仕方ないなあ。まずはパスワードを入力して……」
僕は丁寧に仕事を教えた。けっしてやさしくしているわけではない。メンターとして当然のことをしているだけだ。
これくらい許してくれ、ガーネット!
僕自身の担当業務も進めなければならない。
今年度から、市有建物の火災保険業務をやることになった。
全国市有物件災害共済会という組織があり、河城市が所有する建物は、その共済会が運営する火災保険に加入している。
加賀さんから引き継ぎを受けた懸案事項として、すでに解体済の建物を把握し切れていなくて、無駄な保険料を支出しているという問題があった。
市の全部署は、建物を解体したときには、管財係に報告して、火災保険を解約することになっているのだが、倉庫などの小さな建物の解体は報告漏れが多数あることが昨年度に判明したのだ。
加賀さんはその問題を解決しようとして準備を進めていたのだが、異動してしまった。
僕がやらなければならない仕事になった。
建物を管理しているすべての部署に照会文書を送付して、解体済建物を把握し、不要な火災保険を解約する。
簡単には終わらない大仕事だ。
その仕事ばかりをしているわけにもいかない。
窓口に来客があれば、対応しなければならない。
「すみません、境界立会をお願いしたいのですが」
測量業者が管財係の窓口カウンターへやってきた。
僕はすばやく立ち上がって対応した。
「申請用紙を提出してください」
「はい」
業者から、市有地境界確認申請書を受け取る。
銀杏町公園と隣地の住宅地の境界を確定させるための申請だった。
案内図、公図、土地所有者から測量業者への委任状などの添付書類を見て、不備がないか確認する。
「受領します。立会日時にご希望はありますか」
「土地の売買を急いでおりまして、来週中にお願いしたのですが」
「承知しました。しばらくお待ちください」
僕は本田さんに声をかけた。
「境界立会の仕事が入った。僕と本田さんとで現場へ行きたいんだけど、来週、都合の悪い日はある?」
「わたしはまだ自分の仕事がよくわかっていないんですが……」
「どうしても休まなければならない日はない? すでに補佐から命令されている仕事は入っていない?」
「それはありません」
「よし。それならいい」
僕はともに立ち会ってもらう必要のある公園課管理係に電話をかけた。
たまに現場で一緒に仕事をしている佐久間主任と話をした。銀杏町公園の境界立会申請があった旨を伝え、来週の都合を訊く。
月曜日か水曜日がよいとのこと。僕は電話の保留ボタンを押した。
公用車管理簿を見ながら、測量業者と話し合い、4月12日月曜日の午前10時に現地立会を行うことにした。
公園課の佐久間さんに伝え、了承を得る。
「本田さん、4月12日、午前9時30分出発で境界立会を行う。予定に入れておいてね」
「はい。了解しました、波野先輩!」
本田さんはきりっと返事をした。
管財課ばかりでなく、4月の市役所はどの部署も多忙だ。
ノー残業デーだからって、定時に帰れるわけもない。
課長と補佐は午後6時に帰ったが、村中さん、竹内さん、僕、本田さんはパソコンを睨んで、仕事をつづけた。
7時頃に村中さんが「なあ、今日は水曜日だ。早めに帰らないか?」と言った。
「帰りたいけれど、仕事がまったく終わっていないです」と本田さんがぼやく。
「明日がんばればいいさ。ちょっと一杯やっていかないか」
出た。村中さんのちょっと一杯。ちょっとで済んだことがない。
「それって、お酒を飲もうってことですか?」
「そうさ。本田さんはおれと飲むのは初めてだろ。来るなら奢ってやるよ」
「行きます。仕事は明日やります!」
「私も軽く飲みたいです」
竹内さんはうわばみだ。軽くなんて言って、鯨飲する。
「僕はもう少し仕事をします。3人で楽しんでください」
僕はやんわりと断った。本音は飲みたくない、早くガーネットに会いたい、である。
「えーっ、波野先輩とお酒が飲みたいです。先輩が終わるまで、わたしも仕事をします」
「波野くん、たまには付き合えよ。本田さんの歓迎会だ」
「歓送迎会なら、4月9日に開催します」
「そんな親睦会の公式行事じゃなくてさ、もっと親密でプライベートな飲み会だよ。上司抜きで同僚と楽しく飲もうよ」
「先輩、飲みましょうよ。わたし、お酌しますから」
「波野くん、新人に誘われて、断わるのはどうかと思うなあ」と竹内さんも言った。
断れる雰囲気ではなくなってきた。
「ちょっと待ってください」
僕はスマホでガーネットの脳内コンピュータにメールを送った。
『すまないが、係の仲間とお酒を飲むことになった。夕食はいらない』
すぐに返信が来た。
『それって、本田茜も参加するの?』
『する』
『断って。浮気は許さないぜ』
『浮気じゃないって。断れる雰囲気じゃないんだ。僕にも職場の付き合いってものがあるんだよ。許せ!』
『やだ!』
ガーネットは駄々を捏ねたが、僕は無視することにした。これ以上、同僚を待たせるわけにはいかない。
「行きましょう。僕も飲みます」
「やったーっ。波野先輩と飲めるーっ。村中さんの奢りで!」
本田さんは心からうれしそうだった。
村中さんは苦笑していた。
僕たちは急いでパソコンをシャットダウンし、職場から出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます