第23話 本格四川麻婆豆腐

 その日も忙しく、帰宅は午後9時30分頃だった。

「ただいま、ガーネット」

「おかえり、数多」

 ガーネットが笑顔で迎えてくれる。

 その可愛い顔を見ると、疲れが吹き飛ぶ。

 すぐに彼女が夕食をつくり、テーブルに出してくれた。

「今日は麻婆豆腐だぜ」

「美味しそうだな。好物だよ」

 僕は豆腐と挽き肉にネギが振りかけられた赤茶色の麻婆豆腐をひと口食べた。

「辛っ!」

 ものすごく辛い麻婆豆腐だった。


「ガーネット、美味しいんだが、かなり辛いな」

「そうなのか? 本格四川麻婆豆腐のレシピどおりにつくったんだが」

「本格四川か。豆板醤と花椒は入れたか?」

「もちろんだ。レシピに書いてあったからな」

「そうか。本格四川なら、豆板醤と花椒はたっぷりだよな」

 僕は強烈な辛さと痺れに耐えながら、炊きたてのごはんと麻婆豆腐を食べた。

 顔から汗が噴き出した。

 ぐふう。旨いんだが、辛すぎる。

「どうした、数多? 美味しくないのか?」

「美味しいよ。四川省のレストランで食べているような気分だよ」

「そうか。またつくってやるからな」

「うっ」

 僕は一瞬絶句した。

 この辛さはもう遠慮したい。

「次はもう少し辛さ控えめにしてもらえないか。そうすれば、もっと美味しく食べられると思う」

「本格四川でなくていいのか?」

「今度は広東風麻婆豆腐が食べたいかな」

「わかった。広東風だな。任せてくれ」

 ガーネットはにこにこと笑っていた。

 彼女の笑顔を見たら、絶対に残すわけにはいかないと思って、僕は懸命になって麻婆豆腐を完食した。

 汗だくになった。


 食後にコーヒーを飲んだ。

「今日は本田茜さんに仕事を教えたよ。とても聡明な子だ」

「浅葱の妹か。やさしく教えてやったのか?」

「別にやさしくはしていないよ。丁寧には教えたけれど」

「やさしくと丁寧は同じようなものじゃないか?」

「ちがうと思うぞ」

「いや、教えられる側にとっては同じだ。丁寧に教えてもらえると、この人はやさしいと思うはずだ」

 ガーネットは僕を睨みつけていた。

「つまり数多は、本田茜にやさしく接したわけだ」

「そうかな。別にやさしくはないと思うぞ」

「いや、数多はやさしくて親切だ。くそう、茜め。あたしが数多にやさしくしてもらいたいのに」

「おいおい、ガーネットは本田さんに会ったこともないだろう? 茜なんて呼び捨てにするなよ」

「会ったことがなかったら、呼び捨てにしたらいけないのか? そんな法律があるのか?」

「いや、法律はないが……」

「ネットに茜の写真がある。浅葱を幼くしたような風貌の女だ」

「まあ、可愛い女の子だよな」

「数多ぁ! 茜を可愛いと思うのか?」

「まあ、ふつうに可愛い子だと思う」

 ガーネットの視線が怒りを帯びてきた。

 あれ? どうして?


「浮気だ! 数多が茜に浮気している!」

「待て。僕は浮気なんてしていない。ガーネットひと筋だよ」

「じゃあ、茜にやさしくするな」

「やさしくしないよ」

「仕事を教えるなよ」

「そういうわけにはいかないよ。新人の本田さんに指導するのは、僕の仕事の一部なんだ」

「やだやだやだ。絶対に嫌だ」

「無理を言うな」

「じゃあ、丁寧に教えるな。雑にやれ」

「僕は真面目な公務員だぞ。仕事に手は抜かない」

「茜にやさしくするつもりか?」

「やさしくはしない。丁寧に指導するだけだ」

「それは行為だけを見ると、同じなんだよーっ!」

 僕は困り果てた。

「ガーネット、僕が愛しているのはおまえだけだよ」

「本当か?」

「ああ、本当だ」 

「仕方ないなあ。茜とはできるだけしゃべるなよ」

「うん。僕は雑談が苦手なんだ。仕事の話しかしないよ」

「絶対だぞ」

「約束するよ」

「針千本飲むか?」

「いや、雑談しただけで針千本飲むのは嫌だな。やっぱり約束はやめておくよ」

「ぎゃーっ、数多が浮気しようとしているぅ!」

 ガーネットがわめいた。

「おとなしくしてくれ。このアパートは壁が薄いんだ。近所迷惑だろ」

「うう……。浮気するなよ?」

「しないって」


 その夜、布団の中で、ガーネットは僕の身体中にキスをした。

「数多はあたしのだ……」と彼女は何度もつぶやいていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る