第21話 クレーム対応
生きていて張りがあるとはどういうことか、わかった気がする。
ガーネットがいてくれるおかげで、僕の人生は輝き出した。
美味しくて栄養のあるごはんをつくってくれる。
楽しいデートができる。
エロくて気持ちのいいセックスに溺れられる。
それらのひとつひとつが素晴らしい。
でも仮に、料理ができなくなってしまっても、セックス機能が壊れたとしても、僕は彼女を手放さないだろう。
ガーネットがいて、笑ってくれるだけで僕は満たされるのだ。
彼女と一緒に生きていける、それだけで充分だ。
4月5日月曜日、僕はガーネットがつくってくれた朝ごはんを食べて、出勤した。
本田茜さんは今日も研修に出席している。
ふたり分の業務をしなければならないが、僕はていねいに仕事をかたづけていった。
帰ったら、ガーネットがいる。
僕の稼ぎで、ふたりで生きていける。
そう思うと、自然にやる気が湧いてくる。
管財係にかかってくる電話も、誰よりも早く出た。
「はい、管財課の波野でございます」
「駅前の地下駐車場って、そこで管理してるのか?」
「はい、管財係で管理・運営をしております」
「昨日そこに駐車したんだけどさあ、帰ってきたら、車体にすり傷がついていたんだよ。どうしてくれるんだ?」
駐車場利用者からのクレームだった。
「駐車場内での事故でしたら、警察と保険会社に電話してくださるようお願いします。交通事故につきましては、当事者間で話し合って解決していただくことになっております」
「そんなこと言ったってさあ、当て逃げされたんだよ。相手がわからないから、話し合いなんてできねえんだよ」
「警察や保険会社と相談してください。『駐車場で起きた事故につきましては一切責任を負いません』という看板を設置しておりますし、申し訳ありませんが、わたくしどもでできることはありません」
「逃げるんじゃねえよ。駐車場が狭いから事故が起きたんだ。おまえらの責任なんだよ」
相手の声はかなりドスが効いている。だが、それに怯んで責任を認めてしまったら、つけ込まれることになる。市への苦情は多いが、できることとできないことがある。今回はできないことだ。この手のトラブルに巻き込まれていたら、キリがないし、通常業務にも支障が出ることになる。
「市営駅前地下駐車場は法令を守って建設し、管理・運営をしております。当方に責任はございません。駐車場内での事故は、当事者間で解決していただくのが、社会の通例です。警察と保険会社に連絡し、解決してくださるようお願いします」
「俺は金がねえんだよ。保険には入ってねえ」
金がないなら、車を買って維持することなんてできないだろうと思ったが、それを言うのはぐっとこらえる。
「では、警察に連絡してください」
「電話したよ。だが、あいつらは些細な接触事故なんか、捜査してくれねえんだ」
「それは困りましたね」
「そうさ、困っているんだ。市が責任を持って、俺の車を直してくれよ」
「申し訳ありませんが、それはできないのです。当方に責任はございません」
「申し訳ないと思っているなら、直せよ! そっちに管理責任があるんだよ!」
「駐車場に陥没箇所があったり、天井からの落下物があったりしたら、当方に責任がございます。そのようなことがあったのでしょうか」
「ねえよ。事故原因は当て逃げだ」
「それでしたら、お車の修理はこちらではできません」
「じゃあどうしたらいいんだよ! 警察も市役所もあてにならねえ。こっちは税金を払っているんだぞ。なんとかしろよ!」
出た。税金を払っているからなんとかしろ。市役所へのクレームの常套句だ。しかし、税金は万能ではない。できる行政サービスには限界がある。市には限られた予算と人員しかない。なんでもできるわけではないのだ。
「恐れ入りますが、この件でわたくしどもにできることはございません」
きっぱりと告げる。曖昧なことを言えば、こじらせることになる。
「ちっ、これだから市役所はだめなんだよ。少しは仕事をしろよ! おまえの名前を教えろ」
「波野です」
「フルネームを言え!」
「波野数多です」
「憶えておくからな。今度何かあったら、市長に言ってやる!」
電話が一方的に切られた。
疲れたが、こういうクレームはよくあることだ。いちいち気にしてはいられない。
「波野くん、だいじょうぶか?」
矢口補佐が気にかけて、声をかけてくれた。
「平気です。こんなことぐらいでへこたれていたら、市役所で生きていけません」
「そうだな。でもよく我慢して対応してくれた。成長したな、波野くん」
「そうですか? ありがとうございます」
「私も波野くんはしっかりしてきたと思うわ。よくやったわよ」と竹内さんも言ってくれた。
「それと、一昨日はごめんね。私、感じ悪かったかも。言いすぎたわ」
「だいじょうぶですよ。気にしていません」
「誰と付き合おうが、個人の自由よね。ごめん」
僕と竹内さんの会話に、村中さんが食いついてきた。
「なんだか面白そうな話だな。おれにも教えてくれよ」
「波野くんに素敵な彼女ができたって話ですよ。すごく綺麗な子」
「へえ。それは今度じっくり聞かせてもらわないといけないな。酒の席でさ」
村中さんがにやにやしている。
面倒くさいなあ。クレームより、こっちの方が面倒かも。
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