第10話 ガーネットの手づくり夕ごはん

 ガーネットに会いたくて、早めに仕事を終わらせて帰宅したいと思っていたけれど、やはり忙しく、定時の午後5時15分で仕事を終えるなんて不可能だった。終業のチャイムが鳴っても、僕はパソコンを睨んで、市有地境界立会の起案文書を作成していた。

 管財係では矢口聡やぐちさとし補佐以下、村中明彦むらなかあきひこ主査、加賀早苗かがさなえ主任、竹内瑞紀たけうちみずき主任、そして僕、波野数多なみのあまた主事が働いている。

 定時で席を立ったのは、家事や子育てをしなければならない加賀さんだけ。その彼女も「事務引継文書が終わらない~っ、どうしよう」と悩んでいた。「でも保育所に行かなくちゃ。すみません、お先に失礼します」と言って帰っていった。

「お疲れさまでした」と皆が声を合わせた。


 僕が仕事を終えたのは、午後8時のことだった。そのときになっても、村中さんと竹内さんはまだキーボードの上に指を走らせていた。

「お先に失礼します」

「もうすぐ終わるから、ちょっと一杯やっていかないか?」と村中さんが言った。

 彼は42歳。無類の酒好きで、妻子がいるのに、ほぼ毎日居酒屋へ通っている。飲み仲間は多いが、ひとりでも飲みに行く人だ。

「おっ、いいですね。私も軽く飲みたい気分です」と竹内さんが答える。

 31歳独身。さらさらの黒髪ショートボブで少し垂れ目。右目の下の泣きぼくろがチャームポイントの美人で、才媛だ。村中さんよりアルコールに強い酒豪である。

 ちょっと一杯とか、軽く飲みたいとか言っているが、ふたりともがっつり飲むに決まっている。

 ちなみに僕はあまりお酒は強くない。ビジネスパートナーとの付き合いは大切だと思っているが、雑談は苦手だし、酒席は正直、あまり好きではない。

「すみません。今日は眠くて、早く帰りたいんです」

「そっか。お疲れ~っ」

「お疲れさま、波野くん。今度飲もうね」

「はい。そのうちお願いします」と答えたが、僕は当分外で飲みたくはなかった。眠いなんて嘘。ガーネットのことしか考えられない。とにかく彼女と早く会いたいし、ちゃんと買い物ができたか心配だ。 


 僕は自転車で夜道を走った。白根アパートへ急ぐ。

 8時15分に201号室の前に着いて、玄関の呼び鈴をピンポーンと鳴らした。

 すぐにドアが開いた。

 ガーネットが泣きそうな顔になっていた。

「ただいま」

「おかえり。数多~っ、アンドロイドに退屈はないって、まちがいだったぜ。数多がいないと退屈だし、時間が過ぎるのが長く感じた。寂しかったぜ」

「ごめんな。僕もガーネットに会いたくて、早く帰りたかったんだけど、忙しくてさ」

「お仕事お疲れさま。すぐに夕食をつくるから、待っていてくれ」


 ガーネットが炊飯器の早炊きスイッチを押し、キッチンで働き始めた。

 彼女の手料理が食べられるのか。いつもカップ麺ばかり食べているので、ものすごく楽しみだ。

 でも、きちんと節約してくれたのか、心配でもある。

「合鍵はつくったか?」

「おう。カインズでつくったぜ」

「食材はマルツエで買ったのか?」

「それが、ちがうんだな。節約するために、ネットで調べて、業務用スーパーのビッグスリーへ行った」

「お、やるな、ガーネット」

「米と食パンと卵と調味料なんかを買ったぜ。全部、マルツエより安かった。野菜は農協の直売所で手に入れた」

「すごいな、おまえ。僕にはそんな買い物能力はないよ」

「えへへ。数多のためにがんばったぜ」

 しゃべりながら、彼女は手早く調理を済ませた。

 僕の前に炊きたてのごはん、ケチャップがかけられたほかほかのオムレツ、湯気を立ち昇らせるわかめのお味噌汁、菜の花のおひたしが並べられた。


「いただきます」

「どうぞ召し上がれ」

 お味噌汁を飲んでみると、味噌とわかめとかつお節の味がして、とても美味しかった。

 オムレツの中はふわとろだ。

 ハイエンドモデルのアンドロイドの女子力はすさまじく高い。

「美味しいよ。ありがとう、ガーネット。女の子の手料理なんて食べるのは初めてだから、めちゃくちゃうれしいよ」

「数多が喜んでくれると、あたしも最高にうれしいぜ」

 ガーネットはにこにこと笑って、僕の顔を見つめていた。

 とてつもない美少女が僕のために料理をつくり、笑顔を見せてくれている。これって、しあわせの極致じゃないか。

「菜の花も旨いな」

「数多には栄養バランスのいいものを食べてもらって、長生きしてほしいからな。もちろんきちんと節約をしているぜ。今日は初期投資がかかったが、お米はカップ麺よりコスパがよくて、添加物もない。卵はどうせ食べるなら、ゆで卵ばかりじゃなくてオムレツとかも食べたいだろ? 野菜も直売所で買ったから安かったぜ。野菜ジュースばかり飲んでいるより、植物繊維が摂れて、身体にいいしな」

「うん。ひとりだと、無精をしてしまって、料理なんてする気になれなかったんだ。だからカップ麺とゆで卵ばかり食べていた。本当はよくない食生活だとわかっていたよ。ガーネットには感謝しかない」

「えへへへへ。あたしを買ってよかったか」

「もうきみなしではいられないよ」


 その夜もガーネットとセックスした。

 まだ購入して2日しか経っていないが、僕は完全にめろめろだった。

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