第6話 おやすみ、梨久くん。

「ふぅ~……食べた……食べた……っ」


 天使さんはパンパンのお腹を撫でながら、座椅子に座ってテレビを見ていた。


 なんでも、天界にはないらしい。


 じゃあ、天使の娯楽ってなんなんだろう?


「天使さ――」

「ねぇ、梨久りくくん」

「な、なんですか?」


 テレビを見ていたときとは違う真剣な顔で、こっちを見ている。


「私に……なにか話したいことがあるんじゃないの?」

「へっ?」

「私は、見習いだけど。ちょっとくらいは梨久くんの力になれると思う」


 そう言って、座ったまま体をこっちに向けた。


「な、なんのことですか?」

「梨久くん」

「!! …………っ」

「梨久くんが内に溜めていること……話して欲しい。無理にとは、言わないから……っ」





 ………………………………………………………………。





「お、俺は……」


 ここに、自分と彼女以外、誰もいないことを自覚したとき、俺は――…ゆっくりとした口調で話し始めた。


「俺は……ずっと解放されたかったんです。あの家から……」


 所謂、お堅い家系に生まれた俺は、小さい頃から厳しく躾けられてきた。


 塾から始まり、ピアノ、水泳、そろばん、習字…………片手じゃ足りないくらいの数の習い事をさせられてきた。


 やりたいと思ったことは……一度もない。


 そんな環境に耐え切れなくなった俺は……一人暮らしをすることを決めた。


 もちろん、最初は両親がOKを出すことはなかったが、成績上位を維持することを条件に、特別に許された。


 そして、ついに一人暮らしが始まった!!


 順風満帆かと思いきや……学校で待ち受けていたのは、ぼっち生活だった。


 一人暮らしをすることがゴールだったため、正直、学校のことはどうでもよかったのだ。


 そして、ある日の朝、玄関を開けようとした手を止めたのだ。


 その日から、俺は学校をサボるようになった。


 もしかすると、一人だけという環境と解放感が、そうさせたのかもしれない。


「だから、『休む口実ができた』って言っていたんだね」

「学校に行くモチベーションがないんです。まぁ、成績は上位をキープしているし、このままでもいいかなって……」


 ………………。


「でも、おかげで少しはスッキリしました。周りに……こんなことを話せる人がいませんから…――」

「梨久くん!」

「は、はいっ!」


 急に呼ばれてなにかと思ったら、天使さんは自分の太ももをポンポンと叩いた。


「ここに頭を置いて!」

「え……」


 それって、所謂、膝枕なのでは……。


「さぁっ、早く!」

「っ……じゃ、じゃあ……失礼します……っ」


 吸い寄せられるように、俺は天使さんの柔らかな太ももに頭を置いた。


 や、やべぇぇぇ……。


 超……気持ちいいぃ……っ。


 すると、徐に天使さんが俺の手を取った。


「ふふっ。……ねぇ、今度は、私の話を聞いてくれる?」

「いいですよ……っ」

「じゃあ、言うね……」


 天使さんは、初めて見せる優しい眼差しで俺を見つめていた。





「実はねっ…――――――これ全部、『夢』なんだよ……っ」





「…………え。今、なんて……」

「梨久くん。キミは、もうすぐ目を覚ますの」


 ……この人は、なにを言っているんだ?


「覚ましたら……どうなるんですか?」

「……私と会ったことを全て忘れる。これは……夢、だから……」

「心の奥底で溜まっていた、誰かに“自分の話を聞いて欲しい”という願望が晴らされたから、目を覚まそうとしているんだよ」

「そ、そんな……」


 これが夢だなんて言われても、すぐに信じられるわけが……


「梨久くん、頬っぺた摘まんでみて」

「え?」


 頬を軽くつねると……


「痛くないでしょ?」

「…………痛くない」

「そう。それがなによりの証拠だよ」

「ほんとだ……」


 ……あっ。そういえば、天使さんが空を落ちてきたとき……地面に倒されたはずなのに、ちっとも痛くなかった。


「そっか……。これ、夢なんだ……」

「? 驚かないの?」

「驚いたって、しょうがないでしょ?」


 夢でもなんでもいい。


 俺はずっと……誰かに話を聞いて欲しかったのだから……。


 あ、あれ……なんだか、急に眠たく……


「ふふっ。おやすみ、梨久くん」

「…………っ」





 そこで、意識は深い闇へと落ちていった…――。

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