第8話 ゼイがいないミレーネアは

 ミレーネア伯爵令嬢は浮かれていた。

 ゼイとの婚約を破棄した彼女は、次のターゲットが決まっていたのである。


 そのお相手は、アレックス・ルード・シュナイダー。

 32歳で爵位を継いだ。若きエリート公爵である。


 身長は184センチ。精悍な顔立ちで、所謂イケメンである。


 勿論、貴族界隈では大人気。彼に好意を寄せている女性は多い。

 そんな彼の心を射止めたことに、ミレーネアは有頂天だったのだ。


 彼女はアレックス公爵と逢瀬を重ね、彼との婚約に向けて周囲の話を固めていた。


 そんなある日のこと。

 彼女はアレックス公爵とデートを楽しんでいた。

 馬車に乗り、見晴らしのいいアクムールの高台に向かう途中である。


「随分と王都から離れますのね」


「アクムールは辺境ですからな。しかし、静かで落ち着くんですよ」


「まぁ。静かということは誰もいませんの?」


「そういうことです。私たちを邪魔する者はいません」


「んもう♡ 何を考えてますのアレックス様ったら。うふふ」


 頭を寄せる彼女にアレックス公爵はニヤける。


「見晴らしの良い場所ですからな。あなたが気に入れば別荘を建ててもいい。勿論、2人だけのね!」


「まぁ、素敵♡」


「ふはは! こんな甲斐性はゼイグランドにはなかったでしょうなぁ!」


「ええ。あんな貧乏で惨めったらしい男には、アレックス様のような魅力は微塵もありませんでしたわぁ!」


「はははは! そうでしょう。そうでしょう!」


 ミレーネアは窓から見える護衛の数に心配した。


「……でも、こんな土地って、モンスターが心配ですわね?」


「ははは。そんなことは心配しなくていいのだよミレーネア」


「でも。護衛が2人しかいませんわよ?」


「ふふふ。私は公爵ですよ? こんな少ない護衛で移動はしません。この馬車の周囲には常に20人を超える護衛が控えているのです」


「では離れた場所に護衛が付いて来ていますの?」


「ははは。そういうことです」


「まぁ素敵♡ 流石はアレックス様ですわ!」


「はっはっはっ! 我々は何も気にせず愛を育めばよいのです」


「んまぁ……♡」


「おいおいミレーネア。そんな表情はよしなさい。誘っているのかい?」


「ならどうしますの?」


「まだ目的地には到着していないのだよ?」


わたくしは気分が良ければ問題ありませんわ」


「やれやれ。可愛い子猫ちゃんだ……」


「アレックス様……」


「ミレーネア……」


 2人の唇が重なろうとした、その時である。


 馬車は大きく揺れ、馬の鳴き声がけたたましく響いた。


「な、何事だ!?」


「ガドルリザードです!」


「何ぃ!?」


 窓から見えるのは、象よりも大きなトカゲのモンスターだった。

 その口には、先方を進んでいた護衛が咥えられていた。


「そ、そんなぁ……。ぜ、前衛はやられたのか!?」


「そ、その様です! こ、後衛に応援を呼びかけます!」


「バカ! そんなことより私たちを助けんか!」


「は、はい! 只今──うぎゃぁあああ!!」


 近くにいた護衛は瞬く間にガドルリザードに食べられてしまう。


「ひぃいいいッ!!」


 アレックス公爵は馬車から出て走り出す。


「ど、どこに行きますの!?」


「こ、後衛に連絡をしてきます!!」


「わ、わたくしはどうなりますの!?」


「助けに行きますから、待っていてください!!」


「ま、待つって……」


 馬車の眼前には、巨大なトカゲが立つ。


「ひぃいいいい!!」


 ガドルリザードは馬を一飲み。

 

 ミレーネアは馬車から飛び出た。

 同時に馬車は粉砕される。


「ひぃいいい!! アレックス様ぁああ!!」


 彼女が100メートル程度走ると後衛の護衛隊に遭遇した。


「ひ、酷いですわ。わ、わたくしを置いて逃げるなんてぇ〜〜」


 公爵は彼女の言葉が入らない。護衛に指示を出すので精一杯である。

 しかし、そんな行動も虚しく、護衛たちはガドルリザードの餌食になってしまった。

 アレックス公爵は再び走り出す。


「ひぃいいい!!」


「ちょ! え!? ま、又、わたくしを置いて逃げますの!?」


 彼は振り向きもせず。


「あなたも逃げた方がいい!! ひぃいいい!!」


「わ、わたくし、ドレスだから走りにくいんですのよ!!」


 などと、文句も言ってられない。

 眼前には大きなトカゲの化物が迫っているのである。

 その口の周りには護衛たちの肉片が付着していた。


「ひぃいいいいいいいいいいいいいいッ!!」


 ミレーネアは気がつけば走っていた。


「どうして、こんなことになるのよぉおおおお!?」


 幸いなことにガドルリザードの脚は遅かった。

 しかし、それでも必死に走った彼女は何度も転倒する。

 高価なハイヒールは疾うに脱ぎ捨てていた。

 頭の中は恐怖と救いを求めることで一杯である。


「だ、誰かぁあ! 誰かぁああ! ひぃいいい!」


 なんとか逃げ切った頃には王都の入場門へと到着していた。


「はぁ……はぁ……。た、助かりましたわぁ……」


 王都で馬車を借り、自分の屋敷へと帰る予定を立てる。

 御者に言われることがまた辛辣だ。

 

「お嬢さん、本当に伯爵の娘ですかい?」


「あ、当たり前でしょ! わたくしを見てわかりませんの!?」


「いや……。見てと言われてもねぇ?」


 その姿は泥だらけだった。

 野良仕事をしている者より酷い有様である。


「こ、これはモンスターから逃げて来たからこうなったんですのよ!」


「はぁ……。なら、護衛はどうしたんで?」


「全員、食べられてしまいましたわ!!」


「そりゃあ大変でしたなぁ」


「災難よ!」


「で、賃金は前払いでいいですかい?」


「お金なんか持ってないわよ! 屋敷に着いたら倍の賃金を払ってあげるから馬車を出してちょうだい!」


「……本当に、お嬢様なんですかねぇ?」


「いいから出しなさい! 倍の賃金なら文句はないでしょう!」


「へいへい。ですが、泥は拭いてくださいよ。馬車が汚れますんで」


 彼女はワナワナと震える。


「く、屈辱ですわぁ」


 馬車が走り出すと、幾分かホッとする。

 しかし、次の怒りが込み上げてきた。

 自分を置いて逃げたアレックス公爵のことを思い出したのである。

 バン! と馬車の側面を叩く。


「わ、わたくしを置いて逃げるなんて信じられませんわぁああ!」


「……アンタ、本当に伯爵様の娘さんなのかい?」


「お黙りなさい!! どいつもコイツもぉおおおお!!」


────


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