第23話
翌日、水瀬は都内の駅にいた。
電車でどこかに移動するためではない。
水瀬に言わせると“奇跡的”なほど珍しく、任務中の食費として500円もの(締まり屋のルシフェルによって金銭を管理されている水瀬にとって)大金をもらったので、御馳走を食べに来たのだ。
「ヘイお待ち!」
どんっ。
駅の立ち食いそば屋。
朝食を摂るサラリーマンに混じってカウンターで待っていた水瀬の前に出されたのは、一杯の天玉そばだ。
「ありがとうございます」
水瀬は何故か、涙を浮かべて割り箸を割った。
その後、水瀬は地図片手に町中を歩いていた。
人通りが多いため、人にぶつからないように、補導されないように気をつけながら。
目的は人探し。
憧れの天玉そばを食べられたことに満足しつつ、水瀬はあたりを見回した。
「あ、いた」
立ち止まった水瀬を見つけたのか、水瀬に飛びついてきたのは―――
「ふぇぇぇぇん!悠理くぅん!」
髪の長い女の子の……幽霊。
そう。
真由だ。
「ど、どうしたの?」
今まで真由がいた辺りをちらと見ると、何人もの若い男の霊が漂っていた。
水瀬が怖くて近づけないのがありありとわかる。
「ひ、ヒドイですぅ!」
ひーん!
泣きわめく真由に、水瀬は正直、困惑した。
日菜子を殺した相手を、タマと共に追跡していただけのはず。
もし、見つかったら逃げればいいし、タマなら十分その相手となる。
全ては事前の打ち合わせで決めていたこと。
問題はないことだ。
それなのに、なぜこの子は泣いているんだ?
「あ、あの……真由ちゃん?」
「タマさんは途中に生えてたマタタビでラリっちゃうし、途中でヘンなお店の近くどころか、中にまで入るハメになるし!そしたら……そしたら!」
「そしたら?」
「おじさん達に、嬢ちゃんいくらだいくらだって!なんとか振り切って、お仕事続けていたら、今度はこの病院前でいかにも怪しいお兄さん達に囲まれて!」
「幽霊にまで……で?いくら要求したの?」
「してませんっ!日菜子に告げ口しちゃいますよ!?」
「それは勘弁してほしいなぁ……で?」
「グスッ……この病院の中に入ったのは確認しています」
真由と水瀬は目の前の建物を見た。
「病院?」
白い建物がいくつもそびえ、出入りもひっきりなし。
病院とすればかなりの規模だ。
「間違いありません」
真由は言った。
「この建物に入ったんです。建物の外から見張っていましたけど、それらしい霊が出た形跡はありません」
「で、その間にナンパされたんだ」
「ヒドイんですよ!?」
真由はたまらず怒鳴った。
「ベッドはいくらでも開いてるからとかなんとか!スゴくロコツなことばっかり!こんなメに会うくらいなら、宮中であの小うるさいおばさん達の相手してる方がマシです!」
水瀬は結局、泣きわめく真由を説き伏せてタマを回収後、宮中に戻るように指示して、そして病院の正面玄関をくぐった。
無理もない。
真由がこの病院に入らなかった理由が水瀬にもわかる。
天井には若い男女の霊が張り付き、床を赤ん坊の霊が這う。
死者の念が渦を巻き、生きている患者より死霊の方が多いような状況を作り出しているのだ。
患者やその家族、看護婦達が、そんなことに気づくことなくせわしなく動いているのがむしろ信じられない。
こんな所に霊である真由が入ったら、それだけで汚染は避けられないだろう。
水瀬は小さくため息をつくと中へと入っていった。
敵は、この病院に入った。
真由はそう言っている。
その情報が正しければ、この病院を虱潰しにするだけだ。
そう判断した水瀬が向かった先。
そこは地階。
霊の反応が最も強い場所。
階段を死霊が埋め尽くすのに気づかないフリをして、水瀬は階段を降りる。
決して気分のいいものではない。
目で見える老人や子供を踏みつけて、しかもその感覚がない。
実に奇妙な違和感に、水瀬は顔をしかめるしかない。
「ここかな?」
水瀬が立ち止まったのは、一つのドアの前。
怨念に近い死者の念がドアの隙間から放出されている。
「霊安室?……違うな」
水瀬は首を傾げた。
違う。
宮中で出会った彼の感じがしない。
でも―――なんだろう。
彼に近い、何かの感じが確かにこの地下から放たれている、それが死霊を呼びつけているのに。
それが、このドアの向こう側には存在しない。
この地階の別の場所だ。
キュラキュラキュラ
「!?」
不意に暗い廊下に響く金属的な音に、水瀬は身構えた。
「あれぇ?」
暗闇の向こうからそんな声がした。
若い女の子の声だ。
「君、何してるの?」
キュラキュラキュラ
廊下の向こうから姿を現したのは、牛柄のパジャマ姿の女の子。
右手が点滴の吊されたキャスターを握ってた。
キュラキュラという音は、どうやらそのキャスターの音だ。
「というか、君こそ何してるの?」
人間、しかも入院患者と判断した水瀬が逆に訊ねた。
「探検です」
女の子は無邪気にそう言った。
「探検?」
外見から判断すると、自分より年下らしい。
そんな子が探検?
言い訳じゃなければ、ヘンな子だ。
「そうです」
女の子は楽しそうに笑った。
「病院の中を探検しています」
「……楽しい?」
「はい♪いつもベッドの上ですから、とても退屈で」
「ふぅん?」
「そういうあなたは?入院患者じゃないですよね」
「え?う、うん……お、お見舞いに」
「こんな地下にですか?」
「迷子になっちゃって」
下手な言い訳だと自分でも思う。
でも、人に会うことなんてまるで考えていなかった水瀬は、適当な言い訳を思いつくことが出来なかった。
「大変ですねぇ」
女の子は、驚いた顔でそう言った。
まるで疑っていないことは確かだ。
この子、大丈夫かなぁ。
水瀬は心配そうな目で女の子を見た。
きっと、精神病か何かで入院させられているのかもしれない。
「あ、今、何だかとっても失礼なこと想像しましたね?」
女の子は水瀬の顔を下からのぞくようにして言った。
「ダメですよぉ?私はレズじゃないんです。アブノーマルですけど」
「?あ、あのね?」
水瀬は言った。
「僕、男の子なんだけど……」
「へ?」
女の子はマジマジと水瀬を見た後、気の毒そうな顔で言った。
「ああ。性同一性障害の方」
「ち、違うよぉ……普通にツイてるって」
「じゃあ見せてください」
「―――へ?」
水瀬は女の子が何を言ったのかわからなかった。
「な、何を?」
「だからぁ」
目をランランと輝かせる女の子は、ポケットから携帯を取り出しながら言った。
「ツイてるなら、その証拠を」
携帯には疎い水瀬だが、カメラ機能を使って何を撮影しようとしているかは想像がついた。
「こ、こらっ!」
ぺしっ。
水瀬の平手が軽く女の子の頭を叩いた。
「女の子がそんなハシタナイことしちゃいけません!女の子はもっと恥じらいとタシナミを!」
「ううっ……女の子の頭はたくなんてヒドいですぅ……」
涙目で訴える女の子に水瀬は言った。
「そんなことより。こんな所にいたら大変なことになるよ?」
「なんでですか?」
「だ、だってここ、霊安室でしょ?」
「あれぇ?」
女の子はきょとん。とした顔になった。
「君、迷子さんでしょ?それで、なんでここが霊安室だって知ってるんですか?」
「プレートに書かれている霊安室って言葉くらい読めるよ」
「ああ。それもそうですねぇ」
「でしょう?」
「てっきり、あの子のお見舞いに来たのかと思いました」
「あの子達?」
「あのですね?」
女の子が何かを言おうとした時だ。
チンッ
ガラッ
そんな音がした。
水瀬は音のした方を向き、凍り付いた。
そこには、エレベーターの扉があり、中にいた看護婦が驚いた顔でこちらを見ていたのだ。
「あ、あなた!」
その怒鳴り声に水瀬が慌てて周囲を見回す。
いつの間にか、女の子が消えていた。
逃げよう。
水瀬がそう思った時にはもう遅かった。
ガシッ!
水瀬の襟首は看護婦につかまれ、水瀬の足は宙に浮いていた。
「こんな所で何してるの!」
「あ、あのぉ……迷子になって」
「ウソおっしゃい!」
看護婦は怒鳴った。
「ここは関係者以外入れない仕組みになってるのよ!?それをどうやって!?」
「ど、ドアが開いてるから、近道かなぁと思ってぇ……」
「ドアが?」
「そ、そうです」
水瀬の言った言葉は本当だ。
鍵のかかったドアがあったから、鍵を開けて、一度戻る。もう一度通りかかったらドアが開いていたのだから、水瀬に言わせると間違いない。
「誰かが閉め忘れたのね。全く……どこの誰かしら」
看護婦は水瀬を床に降ろした。
「とにかく、あなたはエレベーターに乗ってすぐにここを出なさい。ここは普通の人が来ていい所ではありません」
「はぁい……」
水瀬はエレベーターに乗ろうとして、動きを止めた。
「どうしたのです?」
「いえ……あの、流動食ですよね。ここで必要なのですか?」
看護婦は、手にした流動食のセットを一瞥した後、水瀬に言った。
「必要な人がいるからです。さぁ、行きなさい」
「……」
エレベーターの中で水瀬は考えた。
あの流動食は知っている。
僕が綾乃ちゃんに殺られかけた時、飲んだもの。
つまり、子供向けだ。
それを、霊安室に?
何故?
お供え物?
んな馬鹿な。
それに、あの子のあの言葉……。
“あの子のお見舞いに来たのかと”
あの言葉の意味は?
「……」
チンッ
1階で開いたエレベーターのドア。
その中に水瀬の姿はなかった。
美奈子ちゃんの憂鬱 リング・オブ・カーズ 綿屋伊織 @iori-wataya
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