第22話
夜。
すでに宮殿周辺には魔導師達が厳重な防御を施し、これから水瀬が行おうとする作戦の支援体制を整えていた。
準備は万端。
最後に必要なもの。
それを受け取りに水瀬は日菜子の元を訪れていた。
「……んっ」
またもや二人っきりで、水瀬の膝の上に座った日奈子は、水瀬と唇をかわしていた。
「葉月市内の爆発とは、そういうことなのですね?」
「はい」
水瀬は日菜子に経緯の全てを説明した。
村上達が霧島邸に潜入。
重要書類を確保しようとして失敗。
ブービートラップによって書類のほとんどを焼失。
村上は、かなめに力任せに襟首を引っ張られたせいでむち打ちになって寝込んでいる。
「聞いた話ですが」
水瀬は日菜子の耳元でささやいた。
「んっ……な、なんですか?」
日菜子の手が水瀬の背に回され、ぎゅっと抱きしめられる。
日菜子はそれだけで芯から体が熱くなるのを押さえられない。
「爆発には、一年戦争の際、行方不明になっていたセムテックス系の爆薬……あれが使われたと」
「霧島は、テロでもやろうとしていたのですか?」
日菜子の顔が一瞬にして真顔に戻った。
「霧島……霧島源一郎が何をしようとしていたのか。それはもうわかりません」
水瀬は言った。
「ただ、そんな物騒なモノを使用してまで護ろうとした秘密が、あったのです」
「惜しいことをしましたね」
「えっ?」
「ですから、ほら。その書類が手に入れば、その狙いの一端でも掴めたかもしれないではないですか」
「あっ。そ、そうですね」
「?」
日菜子はマジマジと水瀬の顔を見ながら、
「水瀬?どうしたのですか?」
「いえ」
水瀬は答えた。
「今日、上手くすれば相手と交渉できるかな。その時に聞き出せないかな。そう思っていたので」
「計画はいただいていますけど」
日菜子の顔が曇った。
「心配です」
「日菜子は、魔導兵団の精鋭が御守りします―――そんなに信頼出来ません?」
「違います」
日菜子は水瀬に抱きついた。
「あなたが、心配なんです。悠理」
それが日菜子の本音だ。
愛する男が自分を命がけで護ってくれる。
それは女にとって嬉しいことだ。
だが、だからといって、愛する男を危険にさらすことを良しとする女がどこにいる?
日菜子も、その例外ではない。
主君としては、持ってはいけない考え方。
だが、女としての日菜子はそれを放棄出来ない。
「殿下」
水瀬は日菜子の肩を掴むと、その体を起こした。
驚いた顔の日菜子の目に映る水瀬は、とても優しい顔をしていた。
「ダメですよ?こういう時は、“敵を倒せ”とか、そう言っていただかないと」
「水瀬……」
「僕が忠誠を誓う殿下なら、そう言ってくれるはずです」
「……」
日菜子は、水瀬の膝の上から降りると、居住まいを正した。
水瀬の椅子から腰を上げ、主君の前で片膝をつく。
そこにいるのは、恋人同士ではない。
主従だった。
「皇位代理権者として命じます―――水瀬」
その声は先程までの甘えきった声ではない。
凛とした、威厳にあふれた皇女の声。
「はっ」
「皇室に弓引く敵はいかなる存在であろうとも排除しなさい」
「御意……ただ」
水瀬は答えた。
「小官は敵の面前に立ちはだかり、刃を持って全てを薙ぎ払い、地獄の業火で全てを焼き払いましょう……それでも」
水瀬は日菜子を見た。
その目は、明らかに主君を試していた。
日菜子と水瀬。
その冷たい視線同士が空中でぶつかる中、水瀬は言った。
「殺すのは、殿下の御意志です―――その覚悟がおありですか?」
戦場に出よう。
敵を殺そう。
だが、日菜子よ。
忘れるな?
敵を殺すのは、剣でも魔法でもない。
お前の意志そのものだ。
水瀬はそう言ったのだ。
「主君を愚弄するな―――かつてそう言った覚えがありますが?」
「……」
「私を愚弄するのはやめなさい!」
日菜子は室内に響き渡るほどの大声で怒鳴った。
「私は命令を下しました!」
それは、真上から叩き付けられるような声。
君主の声だ。
「命令に変更はありません!
敵を殺しなさい!
敵と戦い、勝利と栄光をもたらす!
その騎士の義務を果たすのです!
立ちふさがる者は皆殺しになさい!
女子供といえどもその刃の元、切り伏せ!
菊花紋の威光を!
その恐怖を!
逆らいし愚か者にたたき込むのです!」
「全ては、殿下の御心のままに」
水瀬はそう言って一礼した。
「……」
日菜子の返事はない。
「……殿下?」
日菜子はそっぽを向いた。
「……殿下?」
今度は背を向けた。
「殿下ってば……お耳が聞こえないのですか?」
耳を塞ぐ。
「もうっ……日菜子ってば。かわいいんだから」
「知りません」
その声は怒っていない。
むしろ泣きそうだ。
「どうしてあんなこと言うんですか?」
日菜子は涙声で水瀬に抗議した。
「こうして二人きりの時は、女の子として扱ってくれるという約束でした」
「……」
水瀬はそっと日菜子を抱きしめた。
「私は、それを信じていたのです」
「あのね?」
水瀬は日菜子の髪に顔を埋めながら言った。
甘い香りが水瀬の肺一杯に広がる。
「敵を前にした時、迷いたくないんです」
「迷い?」
「そう」
「私が、迷いの原因になると?」
「違います」
「そう言っています!」
ぎゅっ。
振り返ろうとする日奈子の体を抱きしめる水瀬の手に力がこもる。
「日菜子が君主としての義務を忘れさせるようなことがあってはならない。それが心配で」
「……水瀬?」
「中華帝国女帝西太后の遺言にもありますよね?「以後女をして国を当たらしむるべからず。これ本朝の家法に違背すればなり」でしたっけ?女としての迷いを政(まつりごと)に持ち込むことを、あれほどの名君でも恐れた……その警告を軽んじて欲しくない。……そんなことして、大切な日菜子の名が汚されるようなことは、僕はイヤです」
「……水瀬」
日菜子は、そっと自分を抱きしめる水瀬の腕に手をやった。
固い軍服の生地越しに感じる水瀬の感触を日菜子は感じた。
「私、大丈夫です!」
日菜子は努めて明るい声で言った。
「必要だと思ったら、百万、千万の敵に包囲されて助けを求めるあなたを見殺しにして、その様を見ながらお茶だって飲めます!」
「……すごく、嬉しいのか悲しいのか」
「くすっ。そういうことでしょう?」
複雑な顔をする水瀬の腕の中で日菜子が回転し、最愛の男の胸中に顔を埋めた。
「喩えが酷すぎます」
水瀬はわざと憮然とした口調になった。
「ひどいです」
「傷つきました?」
対する日菜子はどこかおかしさを堪えているような様子。
「とっても」
「さっきの私はもっともっと傷ついたんです」
「……反省します」
「よろしい♪」
顔を上げた日菜子は瞳を閉じた。
「それで?」
「はい?」
「私に何か、お願いでは?」
「あっ。そのことですけど」
水瀬は言った。
「日菜子にちょっと……」
「なんです?」
首を傾げた日菜子に、水瀬は言った。
「お願い通り、死んでいただきますけど―――」
深夜。
宮城(きゅうじょう)、謁見の間。
窓から差し込む月明かりが室内を青白く照らし出す。
この国における栄達を見つめ続けてきたこの部屋も、夜となると人気はない。
いや、いた。
謁見の間の奥。
玉座に座るのは―――
日菜子だ。
誰もいない室内を見つめる目は、何も見ていない。
ただ、日菜子はぼんやりと座るだけ。
日菜子は待っていた。
ただ、一人の登場を。
フワッ
窓を閉め切っているはずの室内に一陣の風が走る。
「……」
黒い絹の様な髪がその風になびいても、日菜子は身じろぎ一つしない。
ただ、ぼんやりと座るだけ。
待っていた相手が現れたというのに、日菜子は動じない。
待っていた相手が現れた?
そう。
現れたのだ。
黒いざんばら髪、黒い服を纏った男。
霧島だ。
月明かりの中、霧島は無言で日菜子と向き合う。
いつの間に?
どこから?
そんな問いかけは無意味なのかもしれない。
ただ、霧島がここにいて、日菜子と向き合っていることが問題なのだから。
「……」
「……」
月明かりを手にしたナイフが鈍く反射する。
日菜子にそれがわからないはずはない。
それなのに、日菜子は動じることすらない。
騎士だから?
それとも周囲に護衛がいるというのか?
日菜子は動じない。
そして―――
霧島のナイフが閃き、
日菜子の首が、宙を、舞った。
「……」
日菜子の首をはねた霧島は、踵を返して謁見の間から姿を消そうとした。
「待って」
いつの間にか霧島の前に立ちふさがるように立っていたのは、水瀬だ。
「敵対はしたくない。でも、せめて、名前くらい教えて欲しい」
その言葉は、人間同士が話すいかなる言語でもない。
いや、そうでなければならないのだ。
「……」
「口がきけないワケじゃないでしょう?」
「……貴様になぜ、私が応じる必要がある?」
顔から想像するに、しわがれた声かと思ったが、案外と若い男の、やや神経質な声が響いた。
「その人に雇われていたんだ。だから、主が誰に殺されたか位は知っておかないと」
「キリシマだ」
「それはその体の名前」
水瀬は言った。
「そうじゃなくて、その体の主、つまりあなたの名前」
「……知ってどうする?」
「それは、僕の決めることじゃないよ」
水瀬は肩をすくめた。
「上の人の決めること」
「なら、その愚か者共に言っておけ―――我は死に神だと」
「死に神さん?」
「そうだ。死を司る者。不死にして絶対の存在」
「そんなお方が、何で人間の体使って、次々に人を襲うの?」
「理由はある」
霧島は言った。
「この男と私は契約を交わした。生け贄を巡ってのな。ところがこの男は期日までに生け贄を我に差し出すこともなかった。故に死して後、こうして契約の遂行のため、我に使われている」
「生け贄と、人殺しとどう関係があるの?」
「我に刃向かった者に死を与える。そのために」
「ふぅん?その人は、あなたとの契約を反故にした罰としてあなたにコキ使われて、とにかく生け贄を持ってくるように命じられている。というか、あなた自身が生け贄の確保に動いている。で、その途中であなたの仕事を邪魔した奴らをあなたはついでに殺そうという」
「そういうことだ。誇り高き我らに刃向かいし愚か者に死を与えるだけだ」
「わかった。で、お住まいは?」
「獄界国獄県獄市獄町獄一丁目」
「……冗談のわかる人って好きだなぁ。―――人間界でのお宿は?」
「語ると思うか?」
「上の人が、お礼にうかがうかもしれないし」
「ふん。義理堅いことだ」
「もう一つ」
水瀬は言った。
「目的は何?何のためにこんなことするの?」
霧島の答えは単純だった。
「知りたければ、我に殺されてからにすることだな」
「それじゃ聞けないでしょう?」
「お前の魂は実に奇妙だ。見たことがない。だから、私がじっくり研究してやろう」
霧島の爪が伸びて細身の剣のようになる。
目は赤く輝き、殺意をたたえる。
戦うつもりだ。
「いつもの武器がないのが残念だが」
「結構です。というか、その爪も引っ込めていただけると、大変有難いのですが」
恐る恐るという感じで話す水瀬に、霧島は森●健作ばりの清々しい声で言った。
「遠慮するな!」
「そう言われてもなぁ―――っ!!」
ガンッ!
水瀬は霧島の一撃を何とか止めた。
「ほう?霊刃ではなく、実刀を用意してくるとは、考えたな」
「どっちが来るかわかんないもん」
「正解―――だ!!」
「!!」
水瀬はとっさに後方に跳ぶ。
いや、吹き飛ばされた。
霧島の腹部から飛び出した魔法の矢の直撃を受けたのだ。
だが―――
「ぐっ……き、貴様ぁ!」
水瀬が吹き飛ばされただけに対して、霧島は胸を押さえて蹲っている。
「や……やってくれたな」
霧島は煙を上げる胸を押さえながら言った。
「反射魔法(リフレクション)を使ったか……」
「どんなの来るかわかんなかったから」
霧島の口元が歪み、何かを言おうとした瞬間―――
「むっ!?」
霧島の体が横っ飛びに跳んだ。
霧島のいた場所を光の矢が突き抜けたのは、ほぼ同時。
第三者の攻撃であるのは明らかだ。
「なっ!?」
驚いた水瀬が後ろを振り向き、そして見たモノは、
「外したか!?」
黒いローブに身を包む数名の男達。
ローブから察するに、魔導兵団の魔導師だ。
「な、何を!?」
「どけっ!魔法騎士!」
狼狽を隠せない水瀬の目の前で、魔導師の手から次々と魔法の矢が繰り出される。
「追跡(トレース)が仕事でしょう!?」
流れ弾に当たらないように回避しつつ、水瀬がそう抗議するが、
「知ったことか!」
「我らは敵を倒すのみ!」
水瀬の言葉に魔導師達は耳を貸そうとしない。
理由は簡単だ、と水瀬は思う。
相手の動きが騎士ではなく、一般人のそれだと、つまり、自分達でも戦える相手だと判断したからだ。
「内弁慶っていうんだっけ?とにかく止めてよ!」
「やかましい!」
謁見の間に魔法の矢が走り、あちこちで爆発が起きる。
玉座までが魔法の矢で吹き飛んだ。
「これ、誰が弁償するの!?僕知らないからぁ!」
「必要経費だ!逃げたぞ!追えっ!」
魔導師達の目には霧島が謁見の間の背後にある隠し扉から逃げたように見えたのだ。
だが、水瀬は知っている。
それが幻覚だと。
だから、魔導師達に何も言わなかった。
そして―――
ギャアアアアアアアアアアアッ!!!
隠し扉の向こうから響き渡る絶叫。
そして、鈍い、何かを咀嚼するような音。
「ごめんね?バカが多くて」
水瀬はあらぬ方向に頭を下げた。
「人間とは、得てしてああいう愚かな存在だ」
闇の中から聞こえてくるのは霧島の声。
「目に見える者だけを信じる。いや、信じられない俗物だ」
「よくわかる。でね?」
「今夜は引くとしよう」
霧島は胸を押さえながら言った。
「肉体のダメージが大きすぎる」
「待って!」
水瀬は叫んだ。
「まだ質問に答えてもらっていないよ!?」
「聞きたければ代償を―――魂をよこせ」
「ヤダ」
「交渉決裂だな。ん?」
霧島は何かに思い当たったという顔で水瀬に言った。
「よし。こうしよう」
「えっ?」
「私の方で場を用意してやる。お前がイヤでも出てこなければならない状況も、私がお膳立てしてやろう」
「僕が、イヤでも?」
「これは賭けだ」
「だからイヤなんだって」
「やかましい」
霧島はすでに勝利が確定したような顔で言った。
「賭けに勝てば、話を聞いてやらないこともない」
「保証がなければやだよ」
「ついでに、あの日菜子という女の精神をいじって、お前専用の●●●にしてやる」
「それくらいならいくらでも出来る」
「……する気だったのか?」
「どうでもいいでしょ!」
水瀬は赤面して怒鳴った。
「僕だって男の子なんだから!」
「しかたない」
霧島は頭を掻いた。
「お前の女神様―――あの女ならどうだ?」
「―――へっ?」
「記憶操作して、お前とラブラブ真っ盛りだった頃の記憶を呼び覚ましてやる。後はお前次第だ」
「で……出来るの?」
「私を誰だと思ってる?なんなら、お前を見るだけで欲情するとか、お前以外のオトコに興味を持てなくしてやるとか、費用は別途相談でいくらでもセッティングしてやる」
水瀬は即答した。
「乗る!」
「よし」
霧島は頷いて言った。
「契約は成立した!しくじれば、貴様の魂は我のモノだ。努々(ゆめゆめ)忘れるな!」
ゴウッ!
一陣の強い風が吹き、とっさに腕で顔を覆った水瀬が次に霧島を見たとき、霧島の姿はどこかに消えていた。
「こ、今度は―――」
ふーっ。
ふーっ。
水瀬は鼻息を荒くして何事かを呟いていた。
「あんなコトとかこんなコトとか―――縛っちゃたりなんかして」
後には、最愛の女との濡れ場を想像して、欲望丸出しの鼻息を荒くする水瀬が立ちつくしていた。
「ムチとかロウソクとか―――ヌンチャクとか……フフッ……フッフッフッ」
戦場と化した謁見の間。
そこに、
ジュルッ
水瀬がヨダレを拭く音だけが静かに響いた。
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