第15話
翌日。
「おはようござまぁす」
ポリポリ頭を掻きながら台所に顔を出したのは羽山だ。
「おはよう。羽山君」
台所では丁度、ルシフェルが朝食作りに追われていた。
テーブルに並ぶ大皿に盛られた煮付け、卵焼き、サラダが食欲を誘う。
「眠れた?」
「水瀬ノシたおかげでぐっすり眠れた」
それを作るルシフェルは、なぜか制服の上にエプロン姿だ。
「どうしたの?ルシフェルさん。その格好」
「これから警備実習なのよ。瀬戸さんの」
騎士養成コースの生徒である以上、学習カリキュラムに組まれた実習は、たとえ近衛騎士であるルシフェルでも避けられるものではない。
何より、昨晩の水瀬の話が本当だとすれば―――
「瀬戸さんも“呪われた一人”だから気をつけないと」
「成る程?―――いてっ」
皿の上に盛られた卵焼きに伸ばされた羽山の手を、ルシフェルの手が叩く。
「だめ。みんな揃ってから」
「はいはい――コーヒーだけ、もらいたいけど?」
「コーヒーメーカーに入ってる」
「どうも」
コーヒーをカップに注ぎながら、羽山の目は知らずにルシフェルに向かう。
年上が台所に立つ姿はたっぷり見てきたが、同じ年頃の子、しかも制服姿というのは、一人暮らしが基本の羽山は初めてだ。
なんだか不思議と新鮮な、悪くない気分だと、そう思いながら、羽山はコーヒーをすすった。
ルシフェルは炊きあがったご飯ジャーを羽山に手渡しながら言った。
「準備出来たよ?みんな呼んできて」
「了解」
「それと、水瀬君はご飯抜きだからね?」
そして―――
ちゃぶ台は戦場になった。
縁側に正座させられ、指をくわえている水瀬を後目に……。
その後、ルシフェルは実習に出た。
割り当てられている担当は、瀬戸綾乃だ。
トップアイドルを世界最強魔法騎士が護衛する。
最初から話題になったことだ。
マスコミが綾乃よりルシフェルを撮影に来ることも、そう珍しいことではない。
警備用プロテクターにヘルメット。
透明な防刃シールドにスタンブレード。そして魔法騎士を示す霊刃で武装したルシフェルが、警備のため綾乃の楽屋に入った。
「え?」
それが、綾乃の第一声だ。
「なぜ、悠理君じゃないのですか?お姉様」
ワケがわからない。
その顔は明らかにそう語っていた。
「今日、私が当番なんだよ?」
「悠理君は?」
「お休み―――納得できない?」
「はい……」
綾乃は力無く頷いた。
「悠理君が、ここまで理解力のない人だったなんて」
「え?」
ルシフェルには意味がわからない。
当番でないことが、どうして理解力とつながるんだ?
「私、何かあれば、何をおいても私の元へ駆けつけろと躾たつもりでしたけど……やっぱり、言うこと聞かなければ挽肉にする程度のお仕置きでは、生ぬるかったようです」
「じ、十分すぎるって……」
おや?
言葉にひっかかった。
「何かあればって?」
「未亜ちゃんから聞きました。那由他ちゃんが襲われたって。そんな大事件が間近で起きていながら、妻である私には一言もなしなんて……あんまりです」
はぁっ……。
ルシフェルは小さくため息をついた。
「でも、水瀬君は無関係だからね?」
今にも泣き出しそうな綾乃が、そう言ったルシフェルに悲しげな声で訊ねた。
「悠理君は今、どこに?どんな娘の警護なのですか?」
「どんな娘?」
「悠理君、どんな女の子の警護にいってるんですか?あのお団子頭の娘ですか?」
綾乃が机の下から何かを取り出した。
「綾乃ちゃん、その藁人形、なに?」
「気にしないでください。いろいろあって、最近ではこの程度しか出来ないんです」
「気休め程度にはなる……と?」
「試されますか?」
さすが巫女の血を引くというべきか。
そんなセリフにルシフェルは、
「謹んでご遠慮申し上げます。それと、水瀬君は女の子の護衛なんてしてないよ?念のため」
「?……あの、お団子頭の娘は?」
「さっきも言っていたけど、誰のこと?」
「この娘です」
綾乃はPDAから「浮気証拠写真集」のフォルダを開いた。
その下には、「獄門級」「磔級」「さらし首級」など物騒なタイトルのフォルダが並ぶ。
その中の一つ「●●●●級」というフォルダを綾乃が開く。
ちなみに●●●●とは、自主規制を示している。念のため。
「去年のクリスマスイブと、今年のバレンタインデーにホワイトデーの記録です」
「ということは、綾乃ちゃんは、その娘に女の子の大切なイベント全部奪われて……」
綾乃の凄まじい眼光に、ルシフェルは思わず視線を逸らしてしまった。
「とにかく、これが証拠です」
綾乃がルシフェルに見せた一枚の画像。
「……えっ!?」
それを見た途端、ルシフェルの顔色が変わった。
綾乃が示す画像。
そこに映し出されているのは一組のカップル。
一人は確実に自分の心から不本意ながらの弟。
しかし、もう一人は―――。
「ま、まさか……」
ルシフェルはわが目を疑った。
“噂には聞いていたけど……”
困惑から抜け出せない。
水瀬と“あのお方”がいい仲だと、宮雀共がささやいているのは知っている。
だが、あくまで噂。
根の葉もない噂。
そう、思っていたのだが……。
「意外といえば意外ですが……そういう方ですか」
何と切り出そうか迷うルシフェルに、綾乃は穏やかに言った。
「ルシフェルさんって、本当にウソがつけない人なんですね」
「……あ、あのね?」
まずい。
ルシフェルは困惑した顔で綾乃を見た。
相手が相手だ。
“このお方”を守るためには、あらゆる手段を講じなければならない。
もし、“このお方”に牙を剥くなら、親子、恋人、親友、いかなる相手でも、すべからく実力を持ってこれを排除する。
それが、ルシフェル達近衛騎士の義務だ。
たとえ、それが目の前の少女だとしても。
例外は、ない。
「あ……あのね?」
ルシフェルは、それを口にすることが出来ない。
この子は大切な友達だ。
だから、
斬りたくなんて―――ない。
「言わなくていいです」
ルシフェルの言葉を遮る綾乃の口調はあくまで柔らかく、優しい。
「瀬戸さん?」
「お姉さまの立場はわかります。それに、大丈夫ですよ」
「……瀬戸さん」
ルシフェの口から知らずに安堵のため息が出る。
「最初からそうでした」
綾乃は言う。
「高校で再開した時、既に口に出すのも汚らわしい、あのオンナが悠理君の心を毒していて、私はその悪夢から悠理君を解放してあげた。共産圏の悪夢から人々を解放した米軍のように……今度も同じです」
一見、穏やかそうな綾乃の目に、シャレにならない程の憎悪がみなぎっていることに、ルシフェはすぐに気が付いた。
かなり突っ込みたいセリフに綾乃は続ける。
「奪われれば、すぐに奪い返す……スターリングラードのように、ケサンのように……ふふっ。素晴らしいと思いませんか?」
「喩えがよくわかんないけど、お願いだから、へんなコトしないでね?」
トップアイドルの一日はハードだ。
レコーディングが終わったと思ったら雑誌のインタビューが立て続けに入って、その後にラジオ出演、国営放送のテレビ撮影、グラビア撮影……。
同行するルシフェルも、綾乃が前に何をしていたか、一瞬忘れることがあるほど、そのスケジュールは過密だ。
よくやってらいれる。
綾乃に同行する度、毎度のこととはいえ、ルシフェルは心底そう思う。
大規模な作戦にいくつも従軍した経験のある自分だが、こんな仕事を続けていたら絶対体を壊すだろう。
しかし、綾乃は全ての仕事を完璧にやってのけるのだ。
それが、ルシフェルには不思議でならない。
「えっと、次は」
少しだけ休憩をもらい、休憩室の自販機にコインを入れ、ボタンを押した途端、
「あ、ナナリさん!?」
マネージャーが廊下の向こうから叫んできた。
「はい?」
「移動時間よ!早く来て!」
「え?……あと20分後じゃないんですか?」
「秋山先生の都合で時間がくりあがってるの!急いで!」
綾乃達が向かった先。
そこは葉月市から車で3時間程の距離にある観光地。
何でも、観光PRのイメージの仕事だと、ルシフェルはマネージャーから聞いた。
移動中、マネージャーから聞いた限りだと、綾乃の写真はポスター印刷され、国鉄の通路に張られると、結構な勢いで盗まれるという。
それでも、ルシフェルは思った。
観光地PRで微笑む綾乃ちゃん。横には近衛兵団新兵募集目的の凛々しい顔立ちの綾乃ちゃん。
この二枚が並んだら、かなりギャップがあるんじゃないか?
……まぁ、国鉄もまともにそれをやるほど馬鹿じゃないだろうが。
「それにしても」
マネージャーは、ルシフェルをジロジロと、まるで値踏みするように見ながら言った。
「ナナリさんって、本当に芸能界、興味ないの?」
「はい」
ルシフェルは即答した。
横で寝息を立てる娘がどれほどハードなスケジュールをこなしているか。
それを間近で見ていながら、それでも自分でやってみたいなんて考えるのはどうかしている。
同じ事をやれ。といわれるなら、あの戦争にもう一度行って来いと言われた方がまだ気楽だ。
「もったいないわねぇ……」
マネージャーは残念そうに言った。
「ナナリさんが綾乃の警護実習に来るって聞いた時ね?私達、あなたが芸能界に興味あるんじゃないかって期待したのよ?」
「そう、なんですか?」
ルシフェルも初耳だった。
「ええ―――運転手さん。もっと急いでくださいね?女優デビューさせれば絶対売れるって」
「はぁ……」
ルシフェルもドラマ位は見る。
だが、それはあくまで別世界の出来事だと思うから。
その別世界に自分が存在しているなんて、ルシフェルは想像すら出来ない。
「私には無理です」
「何言ってるの。歴戦の騎士が」
「友達が言ってました。使う体力が違うって」
「成る程?」
到着したのは温泉街。
演歌歌手でも使った方がウケるんじゃないかなぁ。
ルシフェルがそう思ったほど、何も目立つところのない鄙びた温泉街だった。
「最近じゃ、こういう温泉の方が若者にも人気があってね」
マネージャーが説明してくれた。
「なんていうの?歴史や伝統のある、風情のある所がいいって」
「マスコミの影響、ですか?」
「そう」
マネージャーは苦笑しながら頷いた。
「目新しい施設がなくなったから、あえてそういう風に、情報操作してね」
「それで、瀬戸さんが?」
「そう。観光協会は、綾乃みたいな若手が大挙して来てくれることを期待してる。だからこのお仕事が入った」
「高校生が来る所ですか?温泉街って」
「ふふっ。ターゲットは大学生。PR見て、若くて人気のある綾乃と一緒に温泉。みたいな妄想にふけるバカ共を期待して。余波として中高年が来てくれるといいって」
「辛辣なまでの大人の判断ですか」
「そうね。この業界にいると、そうなるけど……」
マネージャーは笑いながらルシフェルの頭をヘッドロックした。
「ホホッ……ちなみに私はまだ29ですからね?29と78ヶ月」
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