第12話
水瀬邸―――
建物そのものは古くからの日本家屋だが、その内実はかなり異なることは、軍事もしくは警察関係者なら一晩過ごせばすぐわかる。
水瀬自身は柱が細いとか、間取りが気に入らないというが、それは目に見える木造部分だけを指す言葉に過ぎない。
かなめは、この家の間取り図を見た途端に顔をしかめたのを思い出す。
ほとんどの窓は小銃弾に耐えられる防弾加工済。
非常時には廊下の各所に対爆シャッターか展開され、外部に対する阻止装置もかなり充実している。
何のためにここまでしているのか―――かなめにはわからない。
水瀬も語らない。
だが、その備えが、今はむしろ有難い。
「あれ?どうしたんスか?」
茶の間では、羽山が刀の手入れをしていた。
「涼子さんは?」
「今日、夜勤っす」
「ルシフェル。セキュリティを―――羽山」
かなめは羽山に言った。
「その刀で、斬ってみたいと思わないか?」
「へ?何をですか?」
「ついてこい。刀の出番だ―――近衛採用候補者の実力、見せてもらうぞ」
意味がわからず、きょとんとする羽山の横を抜けつつ、かなめは霊刃を抜く。
「な、何かあったんスか?」
羽山は刀を鞘に収め、慌てて立ち上がった。
「羽山」
かなめの後に続く博雅が緊迫した顔で、羽山に
「敵だ」
と告げた。
「敵?泥棒?ヤクザ?」
「ここに来る連中か?」
かなめの睨みに怯えながらも、羽山はかなめに説明した。
「水瀬のヤツ、鈴紀絡みでヤクザの組事務所に潜入したって聞いてたもんで」
「鈴紀?―――ああ、お前の従姉だったな」
かなめはある生徒の顔を思い出した。
羽山鈴紀(はやま・すずき)―――高等部騎士養成コース2年。
お嬢様然とした容姿・立ち振る舞いからは想像できないほどの、よく言って破天荒なキャラクターだ。
彼女の存在だけで高等部2年担当教員は、“明光学園創立以来の罰ゲーム”を味わっていると、職員の間で気の毒がられている。
どれほど厄介な存在かといえば―――
「ヤクザの組事務所から拳銃盗み出して、ヤクを他の組に横流ししたって」
これほどだ。
「水瀬がそのお先棒を?」
「オヤジさんからの指示だったそうです。鈴紀、水瀬伯爵の、“公表されるくらいなら死を選ぶ”って程の弱み握っていると豪語してますから」
「いずれお館様(注:由忠のこと)に殺されるぞ―――おっと、そんなことをいってる場合じゃないな」
かなめは現実に頭脳を引き戻した。
「ルシフェル。敵の数と現在位置はわかるか?」
「センサーに反応あり……数、測定不能……離れを包囲しています」
茶の間の壁に格納されていたセキュリティシステムを操作していたルシフェルが液晶モニターを睨みながら報告した。
「数、測定不能?」
かなめは、ルシフェルの肩越しにモニターを見た。
それは敷地全体をカバーする索敵装置の検知情報を映像化したもの。
「完全に包囲されているな」
武器を取りに戻っていた南雲が部屋に入るなり、その数の多さに驚いた声を上げる。
「この赤い点一つが?」
「妖魔、またはそれに類する存在」
羽山の問いにルシフェルがそう説明した。
「数は―――えっと……」
羽山は10まで数えて止めた。画面が真っ赤になっている。
反応があまりに多すぎるのだ。
ルシフェルは、ハッ。と息を飲んだ。
「未亜ちゃんは!?」
「―――離れだ」
離れ。
現在、村上達が潜んでいる建物。
敵の反応は、間違いなくそこを集中攻撃すべく展開している。
「離れだけを防衛すれば済む―――とはいえないか」
かなめはモニターを見ながら呟いた。
「水瀬に任せればいいでしょう?」
博雅の言葉はもっともらしいが、
「ムダ」
「ルシフェル?」
「水瀬君、まだ怒っている。というか、“この程度、その頭数でどうにかしろ”って思っているに違いない」
「……そりゃあ」
博雅は言葉につまった。
確かに自分に羽山は実戦となればおまけだろう。だが、ルシフェル、かなめ、南雲の三人は実戦経験者の中でもかなりの猛者といって差し支えないだろう。
三人もいればどうにかなる。
それは確かに、一般的にも通じる判断だと思う。
当の本人達はたまったものではないが―――。
「ルシフェル、一角を任せるぞ?」
これ以上、待っていられない。
敵が動く前に防衛ラインを決めるべきだ。
かなめは作戦をまとめた。
「私が離れの東側、ルシフェルが西側。南雲と羽山は遊撃隊となって、この建物への攻撃を阻止。羽山、死にたくなかったら南雲の指示を聞き逃すな」
「あの……自分は?」
「秋篠。お前には別任務がある」
「別任務?」
「ああ」
かなめはぽんっ。と博雅の肩に手を置いた。
意味がわからない博雅は救いを求めるようにルシフェルを見るが、彼女もまた、黙って頷くだけだ。
「お前はルシフェルと共に行動。その指示に従え」
「その前に武器を……俺、スタンブレードさえ」
「お前の武器は」
時刻は9時を回っている。
敵は全く動かず、包囲を続けるだけ。
まるで、何かを待っているように、動こうとしない。
……本当に大丈夫か?
博雅はやっと足の震えが収まったところだ。
すくんだ足を確かめるように、何度も足下を蹴ってみる。
足が動くことが、なんだかとても嬉しかった。
それが安堵感を生み出したのか、博雅は周囲の景色にやっと気が回るようになった。
月が青白い光を放ち、大地を美しく染め上げる中、
博雅はふと、庭の端に咲き誇る花を見つけた。
垂れ下がったような白い花。
狂い咲いた“月下美人”
普通なら6月以降に咲くはずの花が、儚き美を博雅に見せつけるように季節外れの美を誇っていた。
珍しい。
博雅はその花に魅入られたように視線を向けた。
月下美人。
言葉の響きのよさから、博雅の好きな花の一つとなっている。
夜に咲き始め、朝に一夜限りでしぼむ儚さが博雅は好きだ。
それは人の一生のようだから。
「準備いい?」
博雅は、この世に咲くもう一つの月下美人からの声に我に返った。
ルシフェルの美しい黒髪が月の明かりを受けて銀色に輝いている。
「ああ」
博雅は頷いた。
花言葉は「はかない美、儚い恋、繊細、快楽、艶やかな美人」
それが月下美人。
ルシフェルの誕生日7月19日の誕生花と知った時程、言葉の縁に感じ入った瞬間を、博雅は知らない。
博雅は、目の前の自分だけの月下美人の声を待つ。
その華を、愛しき彼女を守るために。
その手に握られているのは―――笛だ。
「博雅君の笛で敵が動き次第、私達も動く―――葉双(はふたつ)程じゃないけど、期待しているよ?」
「……わかった」
月下美人。
美しき月下の世界。
博雅は心を開放しながら、そっと笛に口を付けた。
「ま、マジっすか?これ」
羽山は南雲の横で震える声をあげた。
目の前の闇の中。
そこから放たれるのは赤い光。
最初、それが何だか羽山はわからなかった。
「よく見ろ」
南雲はそうとしか言わない。
目を凝らした羽山は、悲鳴を飲み込むのがやっとだった。
腰を抜かさないだけ褒めて欲しいと言いたかった。
赤い光―――
それは、かつて人だった者達の放つ眼光だった。
暗闇にとけ込むようにしてこちらを見つめる顔顔顔―――。
虚ろな表情を浮かべる顔顔顔―――。
闇の中に潜む数はわからない。
闇に潜む敵の正体が、わからない。
それが逆に恐怖心を煽る。
「怖いか?」
南雲の問いかけに、
「こ、怖くないっス」
「ウソつけ」
南雲は言った。
「俺は怖い」
「……俺もっス」
「正直だな」
「俺は正直者で通ってるんですよ―――その、単純バカって」
「草薙並か?」
「あれは単細胞っていうんです」
カチッ。
羽山は恐怖を紛らわせるように刀の鯉口を切った。
「ところで、その刀」
「前の一件の時、水瀬からもらったんです」
羽山はバツが悪い顔で言った。
「無銘だけど、せっかくだから」
「お前、斬れるのか?」
「尚武のオヤジさんは、かなりのモノって言ってくれましたけどね」
「問題はお前の覚悟だ」
南雲は、手にしたトンファーの調子を確かめながら言った。
「敵と殺し合う覚悟はあるか?そう意味で聞いたんだ」
「えっ?」
「戦いは武器がやるんじゃない―――人間の覚悟がやる。お前に戦う覚悟はあるか?」
「……」
羽山は小さく息を吸って、
「やります」と言った。
「俺にも、やりたいことも、守りたいものもありますから―――なにより」
「ん?」
「こんな時にのうのうとメシ作ってるあのバカ、もう一回ブン殴らないと気が収まりません!」
「……成る程?」
南雲が、かすかにみそ汁の匂いを嗅いだと感じたその時、
博雅の笛の音が空間全体に響き始めた。
「あ、始まった」
沸騰しないように火加減を注意していた水瀬は、不意にコンロの火力調整レバーを掴む手を止めた。
コトコト。
鍋が奏でる演奏も好きだが、この音は次元が違う。
鍋の音が結果として肉体を癒すなら、この笛の音は、魂を癒す。
荒み傷ついた魂をそっと包む天女の如き音色。
水瀬は、鍋からあがる焦げた匂いに気づくまで、その音色に聞き入っていた。
「これが……」
羽山は言葉を飲み込んだ。
博雅の笛は、羽山のイメージするところでは、水晶が霧雨となって振る光景であり、天女の舞う光景―――いや、言葉に出来ない光景だ。
音色を傷つける無粋の存在、その全てが許されない。
羽山はそう思うと、笛の音色に魂を委ねた。
「羽山」
ぐいっ。
羽山は肩を掴まれ、魂を現実に引き戻された。
パシッ。
軽い音を立て、羽山の拳は南雲の掌に受け止められていた。
「無粋ですまないとでも言っておこうか?」
ここに何故いるか?
その答えを思い出し、羽山は赤面した。
「―――見ろ」
顎でしゃくられた先。
暗闇の敵は、次々と赤い光を失っていく。
「これは?」
「死霊の魂が解放されていくんだ」
羽山の目には解放された魂は見えない。
見えるのは、笛の音色に誘われるように、消えていく赤い光だけ。
すでに半数近く光が消えた。
「相手は―――死霊っていうんですか?」
「ああ。あの戦争で幾度も戦った……かつての仲間のなれの果てだ」
「……屍鬼」
ごくっ。
羽山はつばを飲み込んだ。
戦場で死んだ人間のなれの果て。
頭か心臓を潰さなければ絶対に活動を停止しない恐怖の存在。
戦線では妖魔以上に恐れられた存在。
それが、目の前にいる敵の正体だと、知ったからだ。
「どうやったかは知らんが、敵はこの辺をさまよっている連中を従えてここに来たんだろう」
「……俺、敵が死霊だなんて」
「敵が何者か?それを少ない情報を元に引き出すのも、騎士(プロ)の仕事だ」
「精々、精進しますよ」
羽山が肩を落とした。
「とにかく、今回は秋篠の大金星だ」
南雲は慰めのつもりか、羽山の肩に手を置いた。
「敵はこのまま消え去り―――」
バババババッ!!
上空から聞こえる爆音に南雲は言葉を止めた。
「―――なっ!?」
それは上空を旋回する民間ヘリ。
テレビか何かの取材か?
どこかのバカ社長を迷惑輸送中か?
明らかに違法高度での飛行だ!
……そんなことはどうでもいい!
異様に低い高度で飛ぶヘリの爆音。
これだけで十分問題なのだ!
「先生!」
持ち込んだ武器の中にスティンガー(歩兵携帯型地対空ミサイル)があったことを思い出した南雲の耳元で羽山が怒鳴った。
怒鳴らなければ、声が聞こえないほど、ヘリの爆音は凄まじい。
「笛の音が!」
南雲は青くなった。
そうだ。
あの馬鹿ヘリのおかげで、笛の音色はかき消された。
つまり―――
「羽山、行くぞ!」
トンファーを構えた南雲が怒鳴った。
闇の中から次々と現れる敵―――死霊にすくむ羽山は、怒鳴り声に弾かれたように刀を抜いた。
「気後れするな!死にたくなかったら―――斬れ!」
「はいっ!」
南雲と羽山は、死霊の群れの中へ躍り込んだ。
「演奏を続けて!」
ルシフェルは、上空へ向け、不可視の一撃を放つと、そのまま死霊の群れの中へと飛び込んでいく。
博雅に出来ることといえば、ヘリの爆音と爆発音に負けないよう、演奏を続けるだけだ。
「このぉっ!」
袈裟斬りの一撃で、羽山は死霊を真っ二つに切断した。
「やった!」
「馬鹿っ!」
グンッ!
襟首を掴まれた羽山は、その瞬間、宙を舞った。
南雲が自分を力任せに後ろへと放り投げたと知ったのは、とんぼをきって着地した時だ。
「頭か心臓を狙え!」
南雲の怒鳴り声に反発しようとして、出来なかった。
真っ二つにされた死霊は、ビクビクと痙攣するように動き続けていたのだ。
ガンッ!
南雲のトンファーが振られる度に、何体もの死霊が頭を粉砕され、宙を舞う。
まさに鬼神の戦いさながらの展開に、羽山は一瞬、我を忘れてしまう。
「相手は屍鬼だぞ!?人間相手にしているのとはワケが違うんだ!」
「はっ、はいっ!」
羽山は柄を握り直すと、再び死霊の群れの中へと躍り込んだ。
「敵の親玉は!?」
霊刃を振るい、魔法攻撃を放ち、ルシフェルは確実に死霊を倒し続けていく。
やたらと多いのはパジャマ姿の死霊。
どうやら、病院での死者を中心に集めてきたらしいと検討をつけたルシフェルが探すのは、その中にいるはずの、たった一体の死霊。
そう。
霧島だ。
今回の騒ぎの首謀者が霧島なら、彼を倒すことで、死霊達に何か動きがあるはず。
それがルシフェルの判断。
だから、ルシフェルは霧島を捜した。
(時間が経つだけこっちが不利だ)
数がわからない以上、徒に体力と魔力を消耗するのは愚の骨頂。
一度、博雅の前まで後退、闇の中から続々と出現する敵に、ルシフェルは魔法を放ち続けた。
魔法の散弾。
無数の魔法の弾丸を散弾銃のように放つ攻撃魔法。
集団で突撃する敵を阻止するために兵士達が散弾銃を乱射する理論でルシフェルはその攻撃を継続する。
貫通力は普通の魔法の矢に比較してお話にならない位まで大幅に低下するが、対人殺傷力としては十分なレベルを維持している。
グシャッ!
グシャッ!
闇から出てくるなり、頭部や体を挽肉にされた死霊が地面にのたうち回り、消えていく。
ドンッ!
ズンッ!
離れの反対側を守るかなめも勇戦していることは、その魔法攻撃の爆発音と振動で知れる。
そんな中で、ルシフェルは素早く今後の作戦を立てた。
―――ヘリは燃料パイプを破壊したから、早ければそろそろ空中爆発する。
ドォォォォンッ!
どうやらパイロットは海上へとヘリを移動したようだ。
湾の方で爆発音がした。
パイロットとしての根性だけは褒めてやろう。
ルシフェルはそう思った。
―――これで、博雅君の笛が敵を押さえてくれる!
粘っこい爆音が響き終えると、あたりには博雅の笛の音色が戻ってくる。
―――よしっ!
先程までの動きがウソのように、死霊達はすべての動きを止めた。
音に気づいたらしい。かなめの魔法攻撃音も消えた。
そして―――
ルシフェル達の草刈りが始まった。
「あーあ……」
焦げた鍋を前に、落胆する水瀬は笛の音色に気づいてため息をついた。
「お鍋と引き替えの勝利かぁ……辛い勝利だねぇ」
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